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子、怪力乱神を語らず

子、怪力乱神を語らずって、論語の一節ですが、この言葉、中国の思想家を現実に引き戻す働きをしたといわれています。

薔薇の名前(上)(下)」に出て来る名探偵ウイリアムは、かつて裁判官を務めたこともあるのですが、当時の常識に反して、犯罪を裁くには、犯人とされた者が何を行なったかを明らかにすることで行ない、その真の原因を「悪魔の仕業」とすることは避けた、と書かれています。この話、フィクションですけど、現在から見れば、合理的な行動だと言えますね。

さて、科学者の使命は、自然現象の裏に隠された「真理」を明らかにすることだ、といわれているんですけど、この「真理」ってなんでしょうか?

世俗的には、全ての人が真理だと認めれば真理だということになります。じゃあ、みんなが「悪魔の仕業」だと思ったら? 真理だということになってしまうんでしょうね。社会的には。

しかし、科学者のいう「真理」には、現象が伴わなければいけません。ある症状を示す病気の原因がXX菌によるものだ、ということであれば、XX菌を培養して、それを接種した動物が同様の症状を示すことを立証したり、顕微鏡でその姿を調べたりします。

それでは、ニュートンの運動法則はどうでしょうか?十九世紀には、全ての科学者はそれが宇宙を司る真理であると信じていました。しかし、アインシュタインの特殊相対性理論で、それは、単なる近似に過ぎないことが示されました。結局のところ、物理法則といえども(相対論を含めて)、仮説に過ぎません。それが自然現象を正確に記述することで、その価値が認められます。

自然現象は、その裏に潜む法則に従って現れてくる、っていうのは、一つの見方かもしれませんが、自然現象に向き合う我々の意識の中に、自然現象を記述する一つの表現として、物理法則がある、というのがより正確なところでしょう。