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社会の意識を考える

今日からは、社会の意識ということについて、少し考えを深めてみましょう。

さて、人間の意識とは何でしょうか?エゴ・コギト・エルゴ・スム、我思う、故に我あり、というのが一方のベースですね。その一方で、大脳生理学が教えるところによれば、人間が考えているのは、大脳のニューロンが、電気的なパルスをやり取りしているからです。

これに対応する社会の意識って、何でしょうか?

一つには、社会的合意ってのがあります。これは、世論のように、なんとなく形成されるものもあれば、法律のように、一定の手続を経て制定されるものもあります。また、学術的に認められた理論、定説なんてものもあります。

社会的合意に至らない主張ってのもあります。人の意識でも、疑問や、いくつかの可能性を考えたりすることがあります。

社会の意識において、人間のニューロンに相当するものは、個人でしょう。ニューロン間でやり取りされる電気的パルスには、様々な、人間間のコミュニケーションが相当します。

この日記にしたところで、書いている私と、読んでいるあなたとの間に情報の伝達があるわけで、大脳のニューロン同士が電気的パルスをやり取りしているのと良く似ていますね。

人間の大脳と、社会が大きく違う点は、そのまとまりがはっきりしているかどうか、という点です。人の脳は、明確な、一つの塊なんですが、社会は、様々な大きさの社会が複雑に絡み合ってできています。人類全体を一つの社会と考えることもできるのですが、特定の集団も、それぞれ社会であって、様々な事を考えているんですね。例えば、企業の意思決定とか、ありますからね。

そう言えば、企業は「法人」と言われて、法律的に人間と同じように扱われることもありますねえ。法律って、現実的な対応が必要ですから、かなり哲学の先を行っているところがあるんですねえ。