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デスバレー、あるいは、専門化の落とし穴

以前、発想法の話をしましたけど、今日のハイテク産業は、高度な科学技術に支えられており、素人の発想では、とても歯が立ちません。

しかし、優れた科学者が研究すれば、新しい産業ができるのかといえば、それも、うまく行かないのが実情です。

この問題は、「デスバレー」と呼ばれる問題です。デスバレーというのは、砂漠のような、生物の住まない、不毛の地のことなんですが、基礎科学と、応用技術の間に、専門家不在の、不毛な領域が広がっている、ということなんですね。

科学者は、通常、より難しい理論を探求することで、科学者としての成功を目指します。応用技術者は、製品の特性や、工場の生産性によって、雇い主である企業に認められ、出世します。

高度な科学技術を製品に応用しようとすると、その間の橋渡しが必要になります。しかし、科学者にとって、そんな橋渡しはつまらない仕事ですし、応用技術者にとっては、訳がわからない、ということになります。それでは、せっかく、新しい科学技術の成果があっても、人間社会には、あまり恩恵を与えることができません。科学技術は、国の予算に支えられて発展しているという側面もあり、役に立たない科学研究への予算は減らしてしまえ、という議論にもなりかねません。

それでは、どうすればデスバレーを超えることができるのでしょうか。

一つには、科学者が応用を考えるべきでしょうね。企業への売り込み、ベンチャービジネスの立ち上げ、などがその具体的な道です。米国では、研究成果よりも、企業などからの研究費の獲得や、ベンチャービジネスの成功が研究者の目的のようですが、行き過ぎた経済活動は問題かもしれませんけど、日本の基礎研究者も、ある程度、そのような活動をしなくちゃいけません。

もう一つは、企業などの研究に際しては、基礎研究と工場の間の交流を盛んにしなくちゃいけません。これは、話し合いといった、コミュニケーションも大事なんですけど、工場、研究所間での人事異動も有意義でしょう。セクショナリズム、というのは、今日の組織を蝕む大きな問題なんですけど、基礎研究と応用研究の間にも、超えがたい文化の違いが見られることがあります。つまり、お互いに、相手を馬鹿にしてしまうんですね。人を移動させる、ということは、効率性は、多少犠牲になりますが、文化を一つにするうえで、最も効果的なやり方です。

長い人生のある時期、まるで違う立場から、自分の仕事を振り返る、ということも、研究者にとっては意味のあることじゃないでしょうかね。急がば回れ、ですね。