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マイクロソフト、かつては、ネット社会の曲がり屋だったことも、、、

その昔、ネットニュースの世界では、マイクロソフトのニュースリーダがインターネットの規約であるRFCに適合しないという問題が、何度か指摘されていました。

マイクロソフト、この問題をなかなか修正せず(現時点では対処されているはずですけど)、そのユーザも、自分の責任を棚に上げて、その問題に配慮するよう他人に要求したりしたんですねえ。

まあ、マイクロソフトの製品、一番普及していて、使う人も多かったから、その問題に配慮することも、現実的な対応としては、意味があるんですけど、どう考えたって悪いのは、規格はずれのメッセージをネットに流すこと、規格に合うメッセージを処理できないソフトを製造・販売する会社と、それを使う人。

これが、仲間内の世界なら、皆で適当に問題を回避すのも、一つの手なんですが、開かれた社会では、規約が命、勝手に規約を変えられちゃあ、これにあわせて装置やソフトを作る人たちが困ってしまいます。規約が問題だというなら、これを変えようと提案して、議論すべきなんですねえ。

この手の身勝手な行動、弱小メーカがやれば、世間に相手にされなくなります。でも、市場を支配するメーカがやれば、多くの人が付いてきてしまうことも、、、そんなやり方が通ってしまったら、ネットの規約、一メーカの思いのままになっちゃいます。で、規約に従って作ったつもりの製品が、使い物にならないというケースも起こりえて、強い企業が全てを支配してしまう可能性も出てきます。

こんなやり方、フェアじゃない、と思うでしょう。フェアネスの基本は、弱者への配慮なんですね。開かれた社会も、実は、弱者に優しい社会なんです。インターネットは開かれた社会である、だから、力を持たない個人も、容易に参加できるんです。

この問題、開かれた社会の一部に作られた仲間社会のあり方にも、一つのヒントを与えてくれます。基本的に、仲間社会は、その内部で規範を作り、自らの行動を決めりゃいいんですけど、仲間社会の外部とかかわる部分、上の話では、ネットとの接続に関する部分では、開かれた社会の規約に適合しなくちゃいけません。普通の仲間社会でいえば、例えば、違法なことはやっちゃだめ、とかね。

このような、外部規範とのすり合わせ、甘味な仲間付き合いからみれば、うざったい話、、だけど、全体としての開かれた社会が維持されるためには、その中の個々の社会にも配慮が必要なんですね。

人は往々にして、身の回りのモノしか見ることができません。仲間社会の甘味な世界に慣れ親しんだ人は、外の社会のルールに気が回らないことも、、、でも、人は、仲間社会の中にいても、その外側の社会の中に同時に属しているのです。それに気付かないで行動したとき、その人を、悲劇が襲うのでしょうね。

それに、誰しも、外の社会と無縁ではいられない。外の世界も、より良いものにしなくちゃいけません。そのために必要なことは、どんな社会の人たちにも理解できるようなメッセージを発信すること、そういうコミュニケーション能力を身につけること、これが必要なのでしょうね。これを、普遍的コミュニケーション能力、といいまして、文化を異にする人々と意見を交わすときにはどうしても必要になるコミュニケーションのやり方なのでした。