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ネットという名の都市

さて、開かれた社会と都市的生活環境が良く似ているということ、その究極の姿がインターネットであるということを、これまで書いてきました。

もう一つの開かれた社会のイメージ、それは、「荒野」です。村落共同体という、閉じた世界の間に広がる広大な荒野、これ、開かれた世界なんですね。そこに生きる人たちは、自然、という、共通の敵と戦わなくちゃいけないんですね。

コンクリートジャングルなんてのも、よく言います。渋谷で、変な人の餌食になる女子中学生、なんて、まさに、コンクリートジャングルで野獣の餌食になったようなもの。

荒野と都市のアナロジー(類似性)、多くの識者が指摘しています。ここは、ちょっと文学的に、阿部公房「地球の虫食い穴への旅」から引用しますね。

外壁を完全に気密室化した国家も、ますます迷路じみてきた都市には、いくつもの閉め忘れた扉を残している。そして、その扉の向こうには、多分異国の都市へ直通する抜け穴が口を開いているのだ。かつて、祖父母たちが、異境に向かって旅立って行ったように、いまわれわれに出来るのは、都市の内部に向かう求心的な旅立ちだけなのではないだろうか。
……
むろん、すぐに希望を語るわけにはいかないだろう。だが、魯迅も言ったように、希望が虚妄である如く、絶望もいずれ虚妄にすぎないのだ。

荒野は異人の住む世界。異人とは、村落的共同体の外部の人。つまり、開かれた世界の人たちなんですね。都市はもうひとつの開かれた世界であって、荒野とは違う意味ですけど、異人たちの住む世界。都市で行きかう人たちは、村社会とは違って、異質な文化、常識を持つかもしれない人なんですね。

そういう世界だってことを知らずに、うかうかと渋谷に出てくる少女たちが、けだものたちの餌食になっちゃうんですね。

ネットも、ある意味では危険な社会です。変な人たちが一杯いる。IT革命はビジネスチャンス、なんて考える、金儲けしか頭にない人がいる。詐欺師もいるし、ちょっと頭のおかしいような人たちも、、、

そんな世界に、素人でも、簡単にアクセスできちゃうのが今の時代なんですねえ。まあ、誰でも簡単に渋谷に行けるしぃ、、、それほど、驚くような状況でも、ないかもしれない、、、

ま、ネットで生き残るには、ちょっとした注意が必要、ということだけは確かですね。