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学校で教えるべきこと、その2:社会と言葉

学校で教えなくちゃいけない、一番大事なことは、社会とのかかわり方です。特に義務教育の、最重点課題。なにしろ、小学生、家庭という小さな世界から、社会人、つまり、広い世界の一員として巣立っていかなくちゃいけない。その世界がどうなっているのか、これは、単なる知識以上に、技術としても、身に付けなくちゃいけません。運転、みたいなものかな。

社会の教育、もちろん今のカリキュラムにもあるんだけど、これも、暗記が中心。技能、つまり、自分たちで社会を作り上げる能力、既存の社会に関わる能力は、あまり身に付いているとはいえません。少なくとも、そんな教育に重きを置いていない。社会の授業は、数字やら、人名やらが中心で、しかも、暗記しなくちゃいけない。これ、教えるの、楽ですねえ。試験も作りやすいし、、、受ける方は大変だけど。

まあ、下手に生徒がそんな能力を身に付けると、学校経営への批判が出る、なんて心配をしているのかもしれません。日教組にも、文部省にも、都合が悪い、結局のところ、社会に関わる実技、教育関係者の誰にも、歓迎されない。

でもこの能力、社会の一人一人が身に付けることはとても重要です。都市化に伴い、人々は孤独になる、その中で、人と関わる能力がなければ、人々は孤独のまま。挨拶を超えて、他人と組んで何かをすることができれば、経済も活性化するし、都会の生活、ずいぶんと華やいだものになるでしょう。

それが欠け落ちている人が増えると、中にはとてつもないことをやる人が出てくる。危ない若者、結局のところ、教育が作り出しているんだということを、教育関係者は自覚しなくちゃいけない。極論すれば、文部省と日教組が、危ない若者を作っている、というのが、今の日本の実情なんですねえ。少年院に送られた人たちは、そんな社会の犠牲者、ともいえます。ま、外部に頼った本人たちが馬鹿だった、という一面もありますがね。

さて、話を教育に戻すと、社会には二種類あるということを知ることも大事です。その違いをきちんと認識して、混同しないこと、これを忘れちゃいけません。

一つは、仲間社会、コミュニティ、まあ、情緒的、私的なつながりですね。コミュニティに関わることが出来て、必要なら作ることも出来る、コミュニティの限界と規範をきちんと認識すること、それができれば、さしあたり、都会の生活も幸福に送れるはずです。

もう一つは、抽象社会、ある程度、公(おおやけ)、という性質の社会。たとえば、会社とか、政治団体とか、、、規約があって、帳簿がある、そんな社会とも付き合えなくちゃいけないし、必要なら作れることが好ましい。ベンチャービジネスを起こすとか、NGOを作っちゃうとか、、、

で、この二つの社会の違いをきちんと認識することも重要。公私混同、しないように。

さて、社会はなぜ成り立つのでしょうか、社会に関わる上で必要な技術は何?

社会とは、人と人との関わり、その仲立ちをするのがコミュニケーション、その中でも大きな役割を果たすのが言語、なんですね。

国語は、だから大事。誤解を生まない文章を書く技術、これは、人が抽象社会と関わる上で、必須のものといえるでしょう。ま、そういう意味では、英語も大事、ですね。

またしても、長くなってしまった、、、本日はこのへんで。