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月は東に、日は西に、なんて俳句を思い出したのは

今朝、朝日が昇る東の空の反対側を見上げたら、ほとんど満月のように、月が見えました。

で、与謝蕪村の、菜の花や月は東に日は西に、なんて俳句を思い出したんですね。

西と東、逆ですけど、そのときひらめいたのは、この俳句に対する変な文句があったから。つまり、この月、満月を指すと考えるのが一般的なんですけど、満月と太陽は、同時には見えないはずだ、なんて文句があるんですね。蕪村、一言も満月だなんて言っていないのに、、、

太陽の反対の空に月が見えるから、満月と解釈するんですけど、厳密には、多少ずれているはずですね。でも、このずれ、非常に小さいんじゃないか、ということに今朝気が付いた。つまり、今朝、朝日の反対側に見えた月は、ほとんど満月に見えたんですね。

で、それがなぜだか考えながら歩いていたんですけど、ユ~レカ!わかりました。月の明るい部分の幅、月の直径の (1+cosθ)/2 倍なんですね。ここでθは満月をゼロとして、毎日12度づつ増える角度。30日で360度になります。で、コサイン、小さな角度では1に極めて近い。cos 12°、0.978ですね。だから、満月から一日ずれても、明るい部分の幅、直径の 98.9%もある。影の部分、およそ1%、ほとんど満月と区別が付きませんね。

月の満ち欠けの変化が最も速くなるのは半月の頃。で、新月の頃は、変化速度、満月の時と同じになるんですけど、こっちは、変化が見易い。なぜかというと、明るい部分の幅が変化するから。

明るい部分の幅が0と1%は、はっきり違いがわかるでしょうし、1%と2%だって、明るさが2倍も違う。100%と99%の違いよりも、はるかにわかりやすい。

という訳で、天文学的には満月とは言いがたいかもしれないけれど、俳句に読まれた風景としては、ほとんど満月の月が、菜の花畑の上に浮かんでいた、と考えてよいのではないでしょうかね。夕日の丸と月の丸、その下に広がる菜の花畑なんですね。

私も春には菜の花を咲かしているんですけど、夕方の菜の花はすばらしい。花畑を囲うすずらん水仙咲き乱れる中に菜の花畑が広がる、それを夕暮れの、淡い、赤い光が照らす、この光景を最初に見たときは、極楽もかくや、な~んてことまで感じてしまったんですよ。多分、蕪村も、それに近い印象を受けたんじゃないでしょうか、、、

蕪村のこの句に対しては、そのほかにも細かなことを言う人は一杯おりまして、これは春分の日の句であろう、なんて言う人も、、、その根拠は、月が真東から昇り、太陽が真西に沈むのは、春分と秋分だけ、だと。別に俳句を詠むときに、そこまで方位をきっちり割り出しているとも思えませんがね。

まあ、この辺は、アタマの体操に近い世界、なのかもしれませんね。