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哲学少女夕映(ゆえ)の名前の由来ではないかと、私が密かに推測しておりますデカルトの言葉、我思うゆえに我あり、は、現在の哲学では大事な概念です。名付け親は哲学者のおじ様でしょうね。

で、この思う我、ですけど、全てを疑っても、疑う自分の存在を否定することはできない、というきわめて論理的な疑う主体としての我、でして、具体的には自らの意識、ということになります。 ... "ネギま!の哲学、その5。意識はホームページ" を続けて読む