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国家の品格、ヴィトゲンシュタイン的には論理的!?

以前のブログで、国家の品格をご紹介したのですが、倫理に論理を求めない藤原氏の論調に、少々苦言を呈してしまいました。子供に人の道を教えるに、理由など説明していられないのは確か、なのですが、日本的流儀を世界の人々に教えるためには、論理もやはり必要、などと書いてしまったのですね。

最近、野矢茂樹著ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む(ちくま学芸文庫)、を読んでおりましたら、この論理の塊のようなヴィトゲンシュタイン大先生も、倫理に論理は似合わない、なんてことを言っておられるのですね。上にリンクを張りました本ですと、p287のあたりです。

ふうむ、と、いうことは、藤原先生の国家の品格、論理性を求めないといいながら、実は、深い論理に裏打ちされていたのかも知れませんね。そうならそうと、書いておいて頂ければ助かったのですが、、、

で、このヴィトゲンシュタインの言葉、正確に引用いたしますと、こうなります。

6.421 倫理は超越論的である
6.13 論理は超越論的である

で、このあたりのことを「読む」の著者の野矢先生は説明いたしますに、まず、「草稿」のヴィトゲンシュタインの言葉「倫理は論理と同じく世界の条件であらねばならない」を引きまして、「すなわち、経験を成り立たせるために、この世界がこのようであるために、それ自身は経験されえず語りえないながらもなお要請されなければならない秩序のことにほかならない」といたします。

まあ、私なりに解釈しなおしますと、倫理、論理といったものは、何らかの論理的帰結ではなく、人が人である以上、本来的に備わっている能力、特性である、ということでしょう。論理、倫理というものは、ああだこうだ、と理屈を言う前の大前提というわけですね。

だから、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いかけに対するヴィトゲンシュタイン流の返答は、以下のようになるのではないでしょうか。

少年:なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?
ヴィトゲンシュタイン:人を殺してはいけない、ということに、理由などありません。理由はありませんけど、人を殺してはいけないのです。(倫理の超越論性)
少年:???
ヴィト:そもそもあなたは、なぜ全てのことに理由があると考えるのでしょうか? その理由を、お聞かせ願えませんか?(論理の超越論性)
少年:・・・・・・

もちろん、ここで、当然じゃん、などと応えれば、待ってましたです。人を殺しちゃいけないのも、当然じゃん、で片が付くのですね。さすがヴィトゲンシュタインですね。これを藤原氏流に「ならぬことはならぬものです」などと言ってしまいますと、「ふん、てやんでぃ」となりそうな気がいたします。確かに倫理は論理を超えた存在であるといたしましても、その説明には、他人を納得させる論理性が必要、であるような気がいたします。一見矛盾した話のようではありますが、、、

ところで、倫理に関するテーゼ、実は、以下のようなコメントが付いているのですね。

6.421 倫理は超越論的である(倫理と美は一つである

これに関しまして、野矢氏は首をかしげているのですが、なんとなくわかる気がいたします。この部分、注釈が付いていまして、「倫理と美」は、「倫理学と美学」と訳すべきかもしれない、と、野矢氏は悩む一方で、「倫理[的]感覚と美的感覚」と訳した黒崎氏の訳も紹介しています。(「倫理は美学である」と訳したらわかり易いですね。2012.06.23追記)

まあ、国家の品格の藤原氏なら、このコメントに、ぱん、と膝頭を叩くことでしょう。「ふむ、ヴィトゲンシュタインとやら、お主、武士(モノノフ)の道をわかっておられるな」と言いそうなところですね。

で、「読む」の最後の方の、以下の言葉、この含蓄も感じ取っていただけそうです。

世界の事実を事実ありのままに受けとる純粋に観想的な主体には幸福も不幸もない。幸福や不幸を生み出すのは生きる意志である。生きる意志に満たされた世界、それが善き生であり、生きる意志を奪い取る世界、それが悪しき生であり、不幸な世界である。あるいは、ここで美との通底点を見出すならば、美とは私に生きる意志を呼び覚ます力のことであるだろう。

そして美とは、まさに幸福にするもののことだ。(『草稿』1916年10月21日)

この観点から申しますと、倫理、美学のわからない人は、不幸な人であり、「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問を発した少年も、生きる意志を奪い取られた、不幸な世界に生きる少年であったのかも知れません。

この質問にうろたえた大人たちも、まあ、少々情けなかったのですが、この少年を取り巻く状況(今日では、普遍的に存在するのかもしれません)が、大きな問題である、と認識すべきなのではないでしょうか。

まあ、美学の喪失、という問題に関しましては、わが国よりも、中国の方が大問題、であるようにも思うのですが、他国の心配をする前に、まず、自らを心配しなくちゃいけないですね。