コンテンツへスキップ

ネギまを読む、あるいは馬鹿について

今週のネギま!、2週間も休載した割には、どうも内容が薄いような気がいたします。ま、今週号最大の話題は、超がついにその正体を明かしたことでしょう。でも、その正体、火星人、というのは、とうの昔に語られた内容でして、本ブログでもこのあたりで論じているのですね。それから、超がネギ先生の子孫であることも、ずいぶんと昔に、語られていました。ですから、今週号、目新しい内容はほとんどないのですね。

しかし、クラスメイトは超の話を誰も本気にはいたしません。まあ、これが普通の反応なのですが、、、

それよりも面白いのは、超のもう一つの話に対する反応、なのですね。

超:このクラスは能天気のバカチンばかりで、どーかと思てたが……
千雨:(全くその通りだが…

何が面白いかといえば、確かにこのクラス、馬鹿げた行動をする人が多いことは事実、なのですが(もちろん、漫画ですから、致し方ないのですが)、それよりも面白いのは、他人をバカである、と認識している人も、かなり多い、という点なのですね。

たとえば夕絵の128時間目5ページの台詞

夕絵:うるさいのと……トロイのと……天然の人ですね

それで場面が変わると、のどかに、バカゆえ、等といわれてしまうのですから困ったものです。

そのほかにも、こんなのも、、、

委員長:あなたのおバカさ加減にはついていけませんわ
明日菜:ばかいいんちょ…

もちろん、千雨に関しましては、最初に書きましたような台詞がそこら中にあります。

この手のシチュエーションは現実にも往々にしてありまして、自らが賢い、他人はバカだ、と信じ込んでいる人、というのは、結構大勢おられるのですね。

まあ、そう信じられる、というのは、ある意味、幸せなことなのですが、現実の世界に完全な人間はおりませんで、どんなに優秀なヒトも、間違いをしでかす。他人に自らの間違いを指摘される局面、というのは必ず訪れるものなのですね。

で、そのようなときに、自分は賢く、他人はバカである、と信じ込んでいる人は、本能的に自分の間違いを認められない。でも、論理的には、他人の指摘が正しいことが明らかである、となりますと、非論理の世界にぶっ飛んでしまう。わけのわからないことを口走るようになるのですね。

このような状況を傍からみておりますと、あの人、壊れちゃった、ということになりまして、まあ、ネットの世界では、ときとして観察される、興味深い現象なのです。

更に踏み込んで観察いたしますと、自分は賢く、他人はバカである、との信念は、ある種の代償行為でして、実は、賢さだけを頼りに生きてきた人が、世の中の進歩に付いていけなくなった状況下で、自らの弱みを隠すため、自らの潜在意識が自我を守るために作り出した、ある種の妄想、妄信、であるわけでして、このような信念に憑かれた状態というのは、進歩が止まってしまった状態、なのですね。

こういう、情けない状態に陥らないためには、他人には、それがどんな人であっても、自分より優れた部分があるはずだ自らの行動や考え方は、間違っている可能性があり、他人の指摘でそれを直すことが出来るかも知れない、という、謙虚な態度、他を重んじる姿勢が大事なのではないかと思います。まあ、これは、自戒を込めて、というわけなのですが、、、