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「涼宮ハルヒの憂鬱」を読む

アニメDVD「涼宮ハルヒの憂鬱」もまもなく7巻が発売となり、アニメの楽しみもそろそろ終り、となりそうな雰囲気。そんなある日、ふと本屋の一角にハルヒの小説版が平積みになっているのを見かけました。

なにぶん、角川スニーカー文庫など、あまりおなじみではないのですが、ちょいと興味を引かれて買ったのが運の尽き。結局全部読む羽目となってしまいました。

さて、この小説、本屋の店先には8巻も並んでおりまして、それにしては、タイトルが異なりますし、番号も振られていない。ま、スニーカー文庫の一連番号は振ってあるのですが、コミックやアニメDVDなどには大きく巻番号が記載されているのに対して、小説版には特に巻番号の表示はありません。つまり、一見したところ、それぞれが独立した小説、といった風情で並んでいるのですね。

まあ、そういうことならと、最初に購入したのが第8巻に相当する「涼宮ハルヒの憤慨」でして、SOS団が文芸部活動を開始する「編集長一直線」と悪霊退治に乗り出す「ワンダリング・シャドウ」は、独立性の高いお話です。とはいいましても、アニメもみたことがない、コミックも読んだことがない、その他のハルヒ本も読んだことのない人がはじめて同書を手にしたら、何じゃこりゃ、と思うかもしれない内容ではあります。

そもそもなんで最終巻から読み出したかといえば、最初の方はアニメでみた話が入っているだろうとの予想によるものでして、次に読みましたのは、当然、第7巻であります「涼宮ハルヒの陰謀」。宝探しとみくるの過去改変話が交錯する同書の内容は、独立性の高い話であるのですが、古泉と語られる過去の分析に関しては、第4巻を読んでいなければ何のことやらさっぱりわかりません。やはり最後の巻から読み出したのは、間違いであったのでは、などと考え始めさせる内容ではあります。

第6巻「涼宮ハルヒの動揺」。これも独立性の高い話です。この巻の最初のお話がDVD6巻の最初のお話「ライブ・アライブ」。これを読みますと、ははあ、さては、、、などとこの小説版とアニメ版の関連が見えてくるのですが、実はこの予想はすぐに裏切られます。

第6巻のその他のお話は、学園祭で封切られるミクルの大冒険の内容と、有希に一目ぼれをした男の話、雪山合宿でのミステリーゲーム、ミクルの過去改変譚と小物話が並ぶのですが、まあ、30分アニメの各1話を構成しそうな内容ではあります。

で、第5巻「涼宮ハルヒの暴走」ということになるのですが、この中にはDVD第6巻の後半に含まれます「射手座の日」が含まれております。これも、他の2話、「エンドレスエイト」、「雪山症候群」と共に独立性の高い話、ではあります。

ただ、このあたりまで読むと、何故に時間の感覚が麻痺してくるか、という理由がだんだんとわかってまいります。なにしろ、著者が時間の順を追って話を書いておらず、それを私が、最後の巻から読んでいるため、そのような現象が起こるのではなかろうか、との仮説に到達するのですね。なにぶん、第5巻の最初と2番目のお話は、文化祭の前と後のお話で、その文化祭の話は第6巻の「ライブ・アライブ」で語られている次第です。

ついでに言ってしまうと、文化祭で上演される映画「ミクルの大冒険」は、その内容が第6巻で紹介されるのですが、この映画が撮影されるお話は第2巻、といったわけで、製作と上映の時間関係は正しいのですが、その間に長い長いお話が挟まっている、という不可思議な構造となっており、逆順に読んでいる私には、撮影風景が語られる時点で妙なデジャヴ(既視感)を感じる、という次第なのですね。

ま、「雪山症候群」は、その次の話が第6巻のミステリーゲーム「ネコはどこに行った」に繋がっておりまして、時間間隔の齟齬は逆順に読む私に原因がありそうなのですが、第5巻の最初の話が夏で、最後の話が冬、というのも、混乱の一つの原因ではなかろうか、という気もいたします。

ま、そんなことはどうでも良いお話ですので、第4巻「涼宮ハルヒの消失」に進みましょう。これは、このシリーズの中での最高傑作なのではないか、と思いますよ。ただ、わけわかんない、とならないためには、これを読む前に、少なくとも第3巻は読まなくてはいけませんし、アニメのVol1~3をみておくか、小説版の第1巻を通読しておく必要があるでしょう。

なにぶん、かくいう私、これを書きながらちらりと第4巻を見たところ、最初から最後まで、再読してしまったくらいなのですね。まあ、この短い文章を書くために、なんとも長い時間を費やしているのでした。ま、悪い時間の使い方でもないか、とは思うのですが。

「涼宮ハルヒの憂鬱・劇場公開版」などというアニメ作品が将来もしありえるならば、おそらくそのストーリーはこの第4巻の内容となるのではないでしょうか。ま、最初の5分くらいは、名探偵コナン劇場公開版と同様、SOS団設立のいきさつと、宇宙人、未来人、超能力者の紹介が、それぞれが活躍するシーンを交えて挿入されないと、知らない人には何のことか、全然わからないのではなかろうか、などとあらぬ心配をいたします。

まあそれにしても、DVD第1巻で紹介された、3年前に生じた情報爆発とは、実は、SOS団の面々(古泉を除く)が寄ってたかって宇宙(未来?それとも過去?)を改変してしまった結果である、なんてのが最終的な落ちになるのではないか、なんて気もする、第4巻ではあるのでした。

さて、第3巻「涼宮ハルヒの退屈」は、これはDVDアニメを御覧の方なら内容は推察できるはず。「涼宮ハルヒの退屈」、「ミステリックサイン」、「孤島症候群」と、DVD4巻以降のお話が続きます。

でも、この中に紛れ込んでおります「笹の葉ラプソディ」は、アニメには紹介されませんでした重要なお話でして、実は3年前の情報爆発の原因ではなかろうか、と、私が密かに睨んでおります重要な挿話、ハルヒの校庭落書き事件の一幕であります。このお話、前述いたしました劇場公開版が実現するものなら、オープニングにいきなりぶつけてしかるべきお話であるような気が致します。小学校に忍び込んで落書きをするシーンだけでも良いのですが、キョンの背中のみくるをどう扱うかは、悩ましいところです。

先を続けましょう。第2巻「涼宮ハルヒの溜息」は、映画撮影のお話がメインとなります。DVD第3巻の最後、小説版「涼宮ハルヒの憂鬱」第1巻の最後で、キョンはハルヒに、宇宙人のこと、未来人のこと、超能力者のことを全て話そう、などと独白するのですが、それをまさに実行するのが第2巻の出だし。当然この言葉、ハルヒにはまったく信用されないのですが、それに即して製作されたのがこの映画、というわけですね。

このお話、このシリーズにしては、少々お遊びが過ぎる、といいますか、ポテンシャルが低め、といいますか、まあ、端境期、といった感じの印象を受けるのですね。ま、第1巻が、極めてクオリティの高い内容であり、作者の姿勢はこれで終わり、といった書き方をしておりますので、これを長大な小説に仕上げるための方向修正、といった意味合いがあったのかもしれません。まあ、萌え系指向の方には、それなりに面白いかも知れない、、、

と、いうわけで、最後はいよいよ第1巻「涼宮ハルヒの憂鬱」なのですが、これも少々驚くべき書物である、といわざるを得ません。

同書の内容は、アニメDVDの1巻から3巻までの内容を忠実に再現するもの、というよりも、これを元にアニメが製作された、というのが実際のところでしょう。で、何が驚きか、といえば、この本、そのままアニメのシナリオになっているかのごとく、本に書かれた文字の一言一句がアニメの中で発せられている。

これは、本もアニメも、キョンを語り部として、彼の口から物語が語られる形式をとっているからなのですが、それにしても、本に書かれた文字をそのままセリフにしてしまって、まったく違和感を感じさせない、というところが凄い。

こんなことが可能である理由として、谷川流氏が本を書く際、アニメのシーンを頭に描いて、それを文字にする、といった作業がなされたのではないか、と私は推測いたします。

恐るべし、谷川流、ですね。

小説版を通読いたしますと、アニメ版の構成の謎もわかるような気がいたします。アニメ版、TV放映版とDVD版で順序が違っておりまして、DVD版が途中の回を抜いているにもかかわらず、ストーリーが完璧につながっている、というのが一つの謎でした。

しかし、同書を読みますと、この本の内容がDVD版の1巻から3巻までに相当。このメインストーリーに、他の巻からとりました独立したエピソードをいくつか挟むことによって、TV版アニメは成立していたのですね。

だからある意味、DVD版のアニメこそが正しい順序、であるわけでして、どうせ売れやせんだろうと、いい加減に間引きをしてDVD化した、というわけではない、ということだけは確かである様子です。

本シリーズを通読いたしまして沸きあがりました期待は、アニメの続きを作って欲しいということ、第4巻のストーリーを柱とする劇場公開版を作って欲しいということ、これに尽きます。

ま、角川さんも商売のことは良くわかっていらっしゃるので、おそらくこの期待は実現するのではないか、と密かに思っている次第。また、出費がかさむなあ、、、