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自然界の実在と人間精神内部の概念について

昨日の記事への補足です。

実数や虚数を含む数学的概念は、言葉と同様、人間精神内部の存在である、ということを昨日書きました。また、物理法則も、同様に、人間精神内部の概念的存在である、と書いております。

これにつきましては、異論も多々あると思いますので、ここでもう少し議論をしておきたいと思います。

まず、言葉は外界の実在ではないか、という考え方があるでしょう。たとえば、文字は紙の上のインクの形状で表されており、これらは物理的実在ですし、音声も空気中の振動という物理現象でもあります。

しかし、それが言葉として意味を持つのは、これを解釈する人間の精神があってこそなのですね。たとえばインカ帝国の文字、キープをみせられて、これが言葉であると考える人はあまりいないでしょう。それを言語として解釈できるのは、その意味を知っている人だけであり、言語の物理的実在が意味のある言葉に変化するのは、人間精神の内部である、と考えるべきだと思うのですね。

次に、概念というものは、ある種のパターン抽出の結果であって、これが可能となるためには、自然界にある概念に対応するパターンに良く似た実在物があるからである、といえます。となりますと、パターンは実在するし、そのパターンに対応する概念もまた実在するのではないか、とする主張も出てきそうです。

しかし、このパターン検出、概念化、という行為は、実は、その人の生まれ育った文化に大きな影響を受けており、つまるところ、人間精神のあり方によっていかようにもなりえるのですね。

たとえば、虹の色が何色あるかは、文化によって異なりますし、魚や植物の種類をどのように分類するかということも文化に依存します。月の影に日本人はうさぎを認めるのですが、他をイメージする国々もあるのですね。鰯雲羊雲は、そういわれてみればそうかもしれない、とは思いますが、星座となりますと、これは普通の人にはそうそうわからない。ま、あのひしゃく形から熊のイメージが浮かぶ人はそうそうおりますまい。

結局のところ、概念というものは、それを見出す原因となります実在物が自然界にあるとしても、その概念自体は、人間精神の中で構成されるものであり、その際には、その人間の生まれ育った環境であります文化が大いに影響を与えている、ということなのでしょう。

物理法則も、物理現象の記述であって、それ自体はある種の概念です。もちろん、人が物理法則を見出す事態が自然界で生じていることは確かでしょう。

つまり、さまざまな天体がさまざまに動いていることは自然界の実在なのですが、これをケプラーの法則で説明したり、万有引力で説明したり、アインシュタインの重力方程式で説明したりするのは、人間の精神活動の結果であって、物理法則そのものは、人間精神の生み出しました、人の精神内部の存在なのですね。

最後に、数学的な概念、端的に言って、数は実在するのか、という問題です。確かに3つのりんごが眼前に実在する、という状況を考えることができまして、そういう意味では3という数は実在する、といえるような気がいたします。

しかし、それが3つある、といえるのは誰かがそれを数えたからであって、数えるという行為は人間精神が行うもの。二点間の距離が実数である、というのも、誰かがそれを測ったからいえるのであって、測る前には、確かに二点間は離れているけれど、その距離を数字で表す、ということはできないのですね。

さらには、実数という概念は、有理数と無理数をあわせた概念なのですが、無理数という概念は人間精神が生み出したもの。直角二等辺三角形の斜辺の長さが有理数で表すことができない、ということを見出したピタゴラスが無理数を発見したのですね。(ちなみにその証明は、整数を素数の積で表す素因数分解が一通りのやり方しかない、という原理に基づきます。)

もちろんそれ以前、有理数は整数の比、すなわち分数で表されておりました。普通の意味(ピタゴラスの法則を使わず、という意味)で長さを測る場合には、基準となりますスケールに対する比率を表示することになりますので、これで実用上はすべての長さを表すことができるのですが、分数という概念、あるいは比率という概念は自然界には存在せず、人の精神が生み出した、精神内部の存在です。

で、複素数も人が考え出したものだから、別に実数と差別する必要はなかろう、というのが私の主張です。まあ、「実数:real」、「虚数:imaginal」という言葉が、実在、非実在、という意味合いを含んでおりまして、これがあらぬ誤解を招いている原因ではなかろうか、なんて気もするのですけどね。

ちなみに、空間と時間のいずれを虚数としようとも理論的には問題がないのですが、私は「時間が虚数的に振舞う」とすべきではないかと思います。なにぶん、4元時空には、時間軸は1つしかないのですが、空間軸は3つありまして、面積や体積も考えざるを得ません。これが実数になったり虚数になるのは、少々わかりにくかろう、との配慮によるのですね。

まあ、どのように物理法則を書き下すのも、お好みのままです。つまるところ、物理法則は人間精神内部の存在に過ぎないのですから、、、


虚数時間の物理学、まとめはこちらです。