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虚数時間と相対性理論

本日は、恐ろしく古い記事コメントを頂きましたので、こちらでお答えすることにいたします。(2019.1.2:リンクを修正しました)

まず、アインシュタイン自身によります特殊相対性理論は「相対性理論」に詳しいのですが、これが実は、俗流科学解説書の「相対性理論」の内容に類似した、えらくわかりにくい話となっているのですね。

実は、アインシュタインが特殊相対性理論を発表した後、ミンコフスキーが時間を虚数とする4元時空の幾何学を発表し、これにより、互いに等速直進運動する系のあいだでの座標変換を4元時空内での回転変換として、時間と空間にまたがる現象が統一的に説明されました。

この説明は、1960年頃までは広く利用されておりまして、パウリの「相対性理論(上)(下)」も、虚数時間に従って説明しております。ちなみに、パウリの書は一般相対性理論、すなわちアインシュタインの重力理論までをカバーしています。

で、アインシュタインが一般相対性理論を考えた際も、実は、虚数時間を用いた4元時空で考察を進めた、といわれております。

曲がった時空を記述するために使用されるテンソル表現は、空間を計量テンソルというもので定義いたします。計量テンソルは、平らな空間に張られた直交座標系に対しては、対角要素が{1, 1, 1, -1}または{-1, -1, -1, 1}で、その他の要素が0となります。

数学的には、計量テンソルを定義して、その上に論理を組み立てることも間違いではありませんが、物理学である以上、計量テンソルが自然界のなにに対応しているのか、ということも把握しているべきだと私はおもうのですね。

このあたりにつきましては、以前のこのブログでも説明いたしましたが、「基底ベクトルのスカラー積が計量テンソルの各要素である」ということなのですね。

基底ベクトルというのは、座標系の基本となりますベクトルでして、直交座標系であれば、x, y, z方向の単位ベクトルが空間的な基底ベクトルになります。

直交しているベクトルのスカラー積はゼロで、同じ単位ベクトルどうしのスカラー積は1となりますので、計量テンソルの空間部分は説明がつきます。

で、計量テンソルの時間部分は符号が反転しているのですが、どうすればこういうことになるか、と考えますと、時間方向の単位ベクトルとは、実はいずれの空間ベクトルにも直交する方向を向いた、大きさが虚数単位(i)のベクトルである、と考えるしかないのですね。

つまり、基底ベクトルという物理的な概念と計量テンソルという数学的な定義を結び付けて考えようとすれば、「時間は虚数的に振舞う」と考えざるを得ません。

この言い方は非常に遠慮した物言いでして、実のところは、虚数時間が先にありきで、であるが故に時間部分の符号が反転した計量テンソルが当然のごとく使用された、という形に歴史は進んだ、と私は理解しております。

それ以外にも、4元距離の二乗(x2 + y2 + z2 - t2)が正の場合は空間的に離れており、負の場合には時間的に離れている、というのは今日の物理学者のごく標準的な物言いなのですが、二乗して負になるならばそれは虚数というのが正しいのではないだろうか、と私などはつい思ってしまうわけです。時間の二乗だけマイナスを付ける理由も、時間が虚数的に振舞うのだとすれば当然のことですしね。

さて、時間を虚数とみなせば、4元時空はエレガントに記述できるにもかかわらず、物理学者が頑として虚数を使いたがらない理由といたしまして、「自然界には虚数など存在しない」という思い込みがあるようすなのですね。

「実数(リアル)」、「虚数(イマジナル)」という言葉の響きからは確かに「自然界に存在するのは実数だけである」といいたくもなるのですが、そもそも数というものはすべて人の精神内部の存在であり、数そのものが自然界に存在するわけではありません。同じ概念的存在であるなら、自然現象をよりエレガントに記述できる数を利用するのが賢いやり方ではあるのですね。

なにが存在してなにが存在しないか、などという哲学的な問いに、物理学者が勝手な判断をするのはいかがなものかと思うのですね。それが物理学をわけのわからないものにしてしまっているとすれば、これは非常に間違ったやり方であるように私には思われます。

なお、誤解を招かないように一言申し添えますが、虚数時間という概念は、相対性理論を否定するものでもなく、ローレンツ変換と矛盾するものでもありません。時間を虚数で表せば回転変換になるし、時間を実数で表せばローレンツ変換になるという、単に数式上の表現の違いがそこにはあるだけです。

虚数時間の利点は、時間と空間を同じ数式で扱えること。欠点は、虚数という得体の知れないものが数式の中に入ってくることなのですが、なに、今日物理を学ぼうというものであれば、虚数の一つや二つ、どうということはないはずです。なにぶん、量子力学の数式には、虚数のでまくりなのですからね。

ちなみに、虚数時間を利用すると、波動方程式に表れる虚数も消えるという利点(?)があります。

また、時間が虚数であるとする代わりに、時間は実数で、空間的長さをすべて虚数であるとしても同じことになります(虚数空間)。これは、直交座標系に対応する計量テンソルの空間側対角成分を負とする流儀に対応するのですね。でも、こういたしますと、面積がマイナスになったりいたしますので、やはりここは、時間が虚数であるということにしておきたいと思います。

ちなみに、ファインマンは、時間が虚数的に振舞う、という代わりに、「ローレンツ変換に対して不変である」という要請を数式を立てる際に課しております。これは、実は、時間が虚数的に振舞う、ということと同義でして、ローレンツ変換のあの複雑な式に対して不変であるように数式をひねくりだすよりも、時間を虚数であるとして考える方がはるかに簡単であるように私には思われます。

実のところは、時間は虚数であるとして式を立てておいて、表向きは「ローレンツ変換に対して不変な式をつくりました」と世の物理学者は説明しているのではなかろうか、と私は邪推しております。これはひょっとすると、物理学業界のトップシークレットであるのかも知れませんね。

虚数時間の物理学、まとめはこちらです。最新のまとめ「虚数時間とファインマン氏の憂鬱」も、ぜひどうぞ。