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石井淳蔵著「ビジネス・インサイト」を読む

久々に経営学関係の書物をご紹介いたしましょう。経営学と言いましても、かなり軽めの岩波新書、石井淳蔵著「ビジネス・インサイト―創造の知とは何か」です。

石井氏の着眼点

同書は、あえて分類すれば経営学に分類され、その中でもケーススタディーを駆使した「企業戦略論」に分類されるのでしょうが、これまでの経営学の書物と一味違う内容となっております。

端的に言ってしまえば、著者も同書の中で繰り返し述べているのですが、これまでの経営学がよりどころとしておりました論理実証主義の限界を超えようとする書物であるといえるでしょう。論理実証主義は感性を切り捨て知性にのみ立脚する思想であり、言語化できるもの、論理で語りえるもののみを考慮の対象とする考え方です。この考え方は、今日の英米思想の根底をなしております。

しかしながら、同書で石井氏は、言語化できないもの、論理として意識される以前の、暗黙の認識が重要であると主張いたします。

これはわたしの経験にも符合いたしまして、実際の研究開発の現場でも、言語化できてしまったら問題はおよそ解決しているのであって、「おもしろい」とか「気持ち悪い」といったおよそ論理的ではない感覚が重視されます。

もちろん、こんな感覚が意味を持ちえるのは、それを語り合う研究者が一定のレベルにあるからでして、ただの素人がおもしろがるのは、あまり意味のあることではありません。また、専門家の「おもしろい」というような論理ではいかんとも評価しがたい言葉を重く受け止めるトップも、創造的な研究開発環境には欠かせない存在です。

棲み込むということ

さて、石井氏の主張によりますと、論理実証主義は、研究者と研究対象の間に距離を置くのに対し、研究者が研究対象に「棲み込む」ことが重要であると主張します。「棲み込む」というのは、研究対象と研究者が心を一つにすることで、文化人類学者のアプローチであります「フィールド・ワーク」にも相通ずる考え方です。

文化人類学が常道といたしますフィールドワークは、研究者自身が研究対象となる文化圏で生活をする過程で、その文化の特性を理解するというアプローチです。これも、言語化できない感情的感覚的な価値感が文化の重要な要素を占める以上、言葉にならない心理を読み取ることも研究には欠かせないのでしょう。

同書が表題としております「ビジネス・インサイト」とは、ある瞬間の経営者のひらめきであり、これがその後の事業展開の鍵となると石井氏は述べております。

確かに、ひらめきなどというものは、論理では扱うことができず、書物を読んだところで学び取ることはできません。これを学び取る一つの道が「ケース・スタディー」であり、決断を迫られた社長と同じ立場でものを考えることで力を養えると石井氏は考えております。

そういえば、わたしが以前聴講した江崎玲於奈氏の講演の中で、江崎氏は「優れた研究者とはテイストの良い研究者である」旨を述べ、「どうすればテイストの良い研究者になれるのか」との質問に対して「テイストの良い研究者の下で学ぶことである」と応えておられました。

「テイスト」というのは、日本語に訳せば「味」であり、まったく感覚的な言葉です。しかし、現在存在しない新たな理論や着想を得るというのは、論理的行為ではありません。

もちろん、正しい、意味のある理論を生み出すには、すでに知られている理論に対する膨大な知識も必要です。しかしそれだけでは新しいものが生み出せないこともまた事実です。

そのために必要な資質を持っている人を「テイストの良い」という形で表現されているのですね。それは、理屈ではなく、感覚的にわかる価値であり、(論理的な)言葉で説明することはできない概念である、というわけです。

寄り道:私のネット研究

さて、石井氏のアプローチ、わたしの感覚にはぴったりです。もちろん、論理実証主義に懐疑的である、ないしその限界を認識しているという点で共通するところがあるのですが、わたしのインターネット研究のルートと非常に近い関係にあるように思います。

わたしは、おそらくはいまの日本人の中では相当に早い段階でネットに慣れ親しんだ人間であると自覚しています。インターネットなどというものが普及する以前からJUNETに参加しておりましたから。で、これはすごいものだけど、このまま進むとエライコトになる、と直感いたしました。これは、主として文化的側面で大きなリスクをはらむ存在であると考えたのですね。

と、いうのは、当時の小さなネットの世界でも、盛んにののしり合いが行われており、傷つき立ち去る人々もおりました。当時の状況下でも、ネットの普及拡大は火を見るよりも明らかで、このまま進めば大変なことになると感じていたわけです。

で、選択いたしましたアプローチが、文化人類学。先日国会で漫画図書館の必要性を(本音ではなさそうでしたが)力説しておられました、青木保先生の下でインターネットの文化人類学的研究をせんと考えたわけです。わたしの場合は、フィールドワークを始める必要もなく、その前からネット世界の住民であったのですね。

ところがこれが難物でして、世間の理解が得られません。「誕生して間もないネットの世界には文化など存在しない」などと断言されてしまいますと、この研究はどのようにしても論文にはなりません。で、しかたがありませんので、青木先生が定年退官されたのを期に、文化人類学的アプローチはあきらめ、多変量解析による数学的アプローチに切り替えた次第。こちらは経営学の世界からのアプローチということになります。

まあ、結果的にどういう展開が良かったのか、わたしにはわかりません。わたしの説が認められてネットの文化が社会的注目を集めたところで、今のネットの世界がこれよりもまともになっているかといえばはなはだ懐疑的です。逆に、多変量解析による数学的アプローチは、ネット文化を定量的に把握するという目的以外にも、メッセージの特性を自動的に識別するといった応用も可能で、ネットビジネスへの展開の可能性もありそうです。(この研究の結論的部分は、本ブログのこの記事でご紹介しています。また、悲しきネットと題するページに、学位論文PDFを含めた研究結果をまとめておいておりますので、こちらもご参照ください。)

カルビー成功の鍵は松尾社長の強い思い入れ

と、いうわけで、同書のアプローチは非常に面白いのですが、一つ抜けている部分があるように思います。たとえば、カルビーのポテトチップのケースでは、同書の趣旨は次のようになります。

1.カルビーは、業容拡大のため、米国で大きな市場があるポテトチップ分野が日本でも大きな市場に育つと判断し、ポテトチップ事業への参入を決断した。

2.ポテトチップには、製法面では馬鈴薯をいったんマッシュポテトにしてこれを型押しする成型タイプと、馬鈴薯をスライスする生チップの2種類があり、生チップは棒状タイプとフラット型の2種類がある。カルビーは松尾孝社長の強い思い入れによりフラットタイプの生チップを選択したが、輸送コストが高く、油が酸化しやすいという問題があった。

3.そこで、カルビーはこれまでの工場立地を、馬鈴薯の産地である北海道から、消費地の近くへと変更するとともに、鮮度維持を営業の重点課題とした。

同書の言う「ビジネス・インサイト」は、この場合には「鮮度維持」という重要ポイントに気付いた点であるとされているのですが、わたしには、カルビーがポテトチップ事業で成功した最大の理由は、フラットタイプの生チップを選択したことにあるように思われます。

なにぶん、鮮度維持などに注力せざるを得ない理由はフラットタイプの生チップスを選択したからであり、輸送の問題にしたところで、成型タイプや棒状タイプを選択すれば大いに軽減されます。カルビーがそうしなかった理由は「松尾孝社長の強い思い入れ」によるというわけで、この部分はもはや理屈ではありません。

結局のところ、消費者がポテトチップを選択する際に最も重視するのは、それが美味しいかどうかなのであって、味や食感がポテトチップという製品のもっとも重要な因子となります。これは理屈ではなく、感覚的な問題であって、他人に説明できるようなものではありません。

カルビーの場合は、最高責任者である社長が、その違いを分かっていた。これがカルビーが成功した最大のカギであったように私には思われます。

どのような製品であれ、特定の製品を選択するのは顧客なのであって、顧客の感覚や種々の事情が顧客の判断を左右します。これは、価格などのはっきりした要素もあるのでしょうが、味やそれをもって味わう気分など、数値化はおろか、言語化することも難しい因子が多々あります。

結局のところ、それを見極める最高責任者の感覚が事業の成否を決めている、ということなのでしょう。江崎玲於奈氏流に言えば、それは「テイストの良い経営者」であって、理屈ではない、感覚だけが語れる世界です。

確かに論理実証主義を経営学に持ち込むことは、わかりやすいという利点はあるのですが、経営の本質を見失う恐れが多分にあります。文化人類学的な視点というのも、これはなかなかに重要なポイントであると、同書を読んで認識を新たにした次第です。