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プライベートでは勉強をしない日本のサラリーマン

「プライベートでいっさい勉強しないとどうなるの?と思った時に読む話」というエントリーを城 繁幸さんが上げておられますが、その中で、日本のサラリーマンはプライベートでは勉強しない、ということが書かれています。

これを読みまして、「そういえば」と、思わず納得してしまいました。

私が以前、財閥系の大企業に勤務していた時、他の人たちが本を読まないことに驚いたものです。

これ、工場の人間であれば、決まった仕事をしているのだから、本など読む必要はない。漫画やスポーツ新聞を読んでいたところで、何一つ困らないのですね。

でも、研究所や本社の人間が本を読まないのは少々困るはずなのですね。

私が特に問題を感じていたのは、研究開発管理のあり方で、当時私の勤めていた研究所の仕事の進め方が、はっきり言って無茶苦茶だったのですね。

工場であれば、生産量と経費が常に数字となって表れる。でも、研究所では成果はすぐには表れない。

だから無茶苦茶をやっていても、すぐに問題が明るみに出るわけではないのですが、実際に行われていることは、巨額の資金をどぶに捨てているようなことだったのですね。

実は、そんなことは、ちょっと注意してみればわかります。成果を上げているチームとそうでないチームの差は歴然としているのですね。これは、担当者と話をするだけでも、できるチームとダメなチームはすぐにわかる。

でもそのダメなチームにも、巨額の予算が費やされている。

同様に、駄目なやり方とそうでないやり方も、ちょっと見ればすぐにわかる。だから忌憚のない議論をさせてもらえるなら、そのあたりは、白日の下にさらすことができるのですね。

はっきり言って、リーダーの能力など、簡単に評価することができます。この人たちにやらせておいて、何か出てくるか、何も出てこないかは、高確率で予測できる。だから、成果を上げるためにいかにすべきかは、簡単にわかるのですね。

つまりは、成果の出せる人間にやらせればよい。でもなぜか、そういう方向では運用されていない。

一方で、研究開発管理の手法に関しては、多くの研究がおこなわれ、その成果は書物になっている。そこで、私はその手の書物を読みふけってこれを紹介したり、機会を捉えては「こんなことでは駄目ですよ」と言っていたのですが、なかなか動かない。

そんな私が、経営学のコースに通って経営学修士をとったり、しまいには学位をとるなどということまでしたのは、周囲を動かすための理論武装という面もあったのですね。

これが奏功してか、本社に転勤になり、RD戦略をみましょうなどということを始めたのですが、本社の人間も本を読まないのですね。

でもここの人たちは、さすがに少々わかりまして、こんな本がありますよとご紹介したら、若い人にそれを読ませて、事業部のメンバー全員を前にその内容をプレゼンさせる、などということもやっていました。

まあ、こんなことをして、一朝一夕にどうなるものでもないのですね。なにぶんそれをやったのは、本一冊だけでしたから。

事実、時すでに遅し。さして間もなく、この事業部の主要な分野からは撤退ということになってしまいました。

世間一般が有望とみなす分野は、それ相応に、競争も厳しい。のんきな会社に勝ち目はない。当然に過ぎる結果ではありました。

そういえば、最悪の人は研究所にいましたね。本を読まないくせに私が本を紹介したら、貸してくれという。貸したら返さない。今日に至るまで。

この手の人に、書物が役に立っているようにはとても思えません。馬の耳に念仏、豚に真珠、猫に小判、などという言葉は、こんな人のためにあるのだと思いますよ。

閑話休題。私は転職をしたし、その際に、MBAやPhDは大いに役立ちましたから、このあたりで恨みつらみを言うつもりはありません。そもそも、そうなる可能性が高そうだというのが、これらの学位をとるもう一つの動機でもあったのでした。

未来を予測することは難しいのですが、先行きどう転ぼうとも、私は困らない。そういう状況にもっていくというやり方は、不確実な時代を生き抜く、一つの知恵だと思いますよ。まあ、余計な話かもしれませんけど、、、

一般論として言えば、経営上の判断を下すのはトップであり、トップが選ばれる基準は、必ずしも経営能力の優劣ではない。その結果、経営能力に疑問のあるトップが誕生するケースもままあるのですね。

その際、脇を固める重役陣が経営能力に優れる人の集団であればよいのですが、これも必ずしもそうはならない。同じ穴の狢であるケースが多い。

かつては、経営は勘と経験に頼る職人的能力によってなされていたのですが、今日では、さまざまな知見も集約され、一つの学問領域として成立してきている。この知識・ノウハウをきちんと押さえた企業とそうではない企業が競争すれば、どちらが勝つかは自明の理なのですね。

まあ、市場経済というのは良くしたもので、駄目な会社は淘汰される。

ただその過程で、莫大な無駄が生じ、多くの人が人生計画を頓挫させる。まあ、みちゃいられないのですが、私にできることは何もない。あれよあれよとつぶやくのみです。

かりにダメな会社であったとしても、自分がそこに就職して給料をもらう以上は、まともな会社にするために全力を尽くすべきでしょう。

でもダメとわかっている会社と運命を共にする必要まではない。

沈没しそうな船に乗っているなら、さしあたりは救命胴衣をしっかりと握りしめておくことです。できれば、ほかの船に乗り移るための準備もしておいた方が良い。

自分が乗っている船が沈没しないように、自らの置かれた立場で全力を尽くすことは大事なことなのですが、バカが寄ってたかって沈没させてしまうなら、これを止めることは難しい。

私の言うことをきく人たちならともかく、そうでない人たちに私の言うことをきかせることは至難の業なのですね。そこまでは、面倒を見切れません。ある段階では、この人たちを切り捨てることも、オプションの一つと考えなくてはいけません。

そもそも、この人たちに付き合って消耗する理由は全くない。何しろこちらは、脱出の準備をとっくに整えているというのに、、、

三十六計、逃げるに如(し)かず、という言葉は、今日でも真実であるような気がいたします。