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イケハヤ師の相場観とフェアバリューについて

最近のイケハヤ師の投資指南につきまして、少々ついていけない部分があり、柳メロンパン氏のブログを参照して精神の安定を保っているのですが、この正月の豪ドル投資行動で、やっとイケハヤ師が何を勘違いしているか、理解できたような気がします。

イケハヤ師の価値観:株(蕪!?)は野菜

メロンパン氏のブログにつけました私のコメントは次の通りです。

イケハヤ師の頭の中身は謎なのですが、ひょっとすると主婦が野菜か何かを安く買えた、と喜んでいるようなものなのかもしれません。

投資というものが、最後にポジションを解消した時の値差で儲けるものであるということを知らないのであれば、そういうこともあり得るということに気づきました。

そんなことも知らない人がいるとは、まったく信じられないことではありますが、イケハヤ師に限っては、そうであるかもしれないという気がいたします。

これ、株や外貨に対する投資を普通に行っている人には理解しがたい心境かも知れませんけど、そういう人は、社会の中では少数派なのですね。だから、普通の人は自分とは異なる考え方をするということに気づかなくてはいけません。

つまり、モノには固有の価値があり、その価格評価にも妥当な水準がある、という常識ですね。そして、時にスーパーは特売をする。今日は玉ねぎがお買い得、とか、別の日には大根がお買い得になるのですね。

そういう目で株式市場や外為市場を見ますと、暴落は特売日のようなものに見えるはず。イケハヤ師の摩訶不思議な発言は、おそらくは、そういう心理が背景にあるのでしょう。

つまり、GameWithが大いに下げるなら、その会社の株の特売をやっている、ということであり、今買わなくては損だ、ということですね。

だから、今朝の豪ドルの暴落は、セールが始まった、くらいの感覚なのでしょう。

そりゃ確かに、セールの前に買い込んでしまった分は損っちゃー損だ。だけど、バーゲンセールは今現在の買い手にとってお得なのであって、いつ始まるかわからないバーゲンセールの前に買ってしまったことを悔やんでみても始まらない。

そんなことより、よりお得な割引セールが始まったのなら、ここは大いに買い込むべきである。俺は、どれほどの豪ドルを抱えていたって、全然困らない、と。

そこで一つ欠け落ちている視点は、スーパーのお客は大根を売らない、ということ。お客はあくまで消費者であって買い続けるだけであるという点です。

投資家の普通の考え方

もちろんイケハヤ師のこの考え方、スーパーで野菜を買う主婦にとっては普通の考え方かもしれませんけど、株式や外貨に投資する人たちには、全く常軌を逸した考えのように思われるでしょう。

でも、それが何か、となりますと、これはなかなか難しい。

上につけました、メロンパン氏のブログに対する私のコメントでは、ポジションをクローズする際の損益を考えていないのではないか、というものでした。

これを常に考えておくのが時価評価というもので、普通の投資家も現在価値はどうか、つまり、今撤退した時にいくらの現金が手に入るかという貨幣単位での評価が普通です。(さしあたり、税金や手数料は無視します。)

でもこれには別の考え方があり、時価評価と取得原価評価の双方が現在でもつかわれているのですね。

実は、以前の我が国が株式や不動産に対しても取得原価評価を採用していた一方で、時価評価が国際会計基準(グローバルスタンダード)であり、我が国もこれに従うべきという主張は、我が国のバブル崩壊の後、国際社会から強い圧力と共になされました。

そしてこれを受け入れざるを得なかったために、我が国は金融危機の時代に突入したのですね。

取得原価評価は、それぞれの時点での企業価値を正しく評価しないという意味ではいい加減な評価ではあるのですが、満期まで保有することを目的とする債券に関しては、現在でも取得原価評価が認められています。

また、時価評価を行うべきか、取得原価評価でも良しとするかという点に関しては、日本以外でもかなりいい加減な運用がなされていたという指摘もあります。

時価評価すべきという海外の圧力を受けて素直にこれに従った我が国は、馬鹿正直に過ぎたのかもしれません。

ただし、俺は売る気がないから原価評価で良いのだ、などとイケハヤ師が考えておられるとしたら、これはちょっと不適当であるように、私には思われます。少なくとも現時点では、公開株式や外貨に対しての取得原価評価は、普通でないことだけは確かです。

フェアバリューという考え方

金融工学の世界では、株式や通貨(外貨)に対して「フェアバリュー(公正価格)」という考え方があります。まあ、理論的に正しい価格、というような考え方でしょう。

で、金融工学の世界では、公正な市場で取引されているものに関しては、市場価格こそがフェアバリューだというのですね。

確かに市場は、必ずしも賢いとはいえない人々が参加していますし、様々な考え方が渦巻いてはおります。でもそういうことをすべて織り込む形で市場価格は決まっている。だから、市場価格こそが唯一の妥当な価格である、というわけです。

ものの本を読みますと、フェアバリューは、PBR、つまりは純資産を基準にすべきであるとか、PER,つまりは利益を基準にすべきといった意見が種々あります。

確かに、市場取引されていない株式に関しては、このような指標を使うしかないのですが、市場取引されていたら、市場価格を無視する理由にはならないのですね。

なにぶん、市場で決まる価格は、様々な評価基準を多数の投資家がそれぞれ判断した最大公約数で決まるものですから。

つまり、市場取引されている株式等は、市場価格がフェアバリューである。そうでない株式などに関しては、BPRや一株利益を基準に価値を考えるべき、ということですね。

だからなにか?

まあ、イケハヤ師は、実のところでは、相場の損得など関係ないというところでしょう。つまり、アフィリエイトや、サロンや書籍などの有料の情報で儲ければよい。これはこれで、普通の考え方ではあります。

でも、読者がイケハヤ師の言説に期待しているのは、相場指南で儲けさせてもらえること。それがだめなら、こんなコンテンツはくそですよ。

イケハヤ師、これに気づいているのかいないのか、これは彼のブランド価値を維持するためには、かなり重要なポイントであるような気がします。

事業資産 ©イケハヤ師

イケハヤ師は、事業資産を蓄積しなければいけない、ということを書かれています。この場合、過去に書かれたコンテンツなどが事業資産なのであって、これをたくさん蓄積することで、あくせく働かなくても収入が得られるというのですね。

でも、最大の事業資産は社会的な信用なのですね。

企業にせよ、個人の事業主にせよ、関係する取引先に信用されるから事業が成り立つ。だから、データの偽装や会計の不正や商品の欠陥が明るみに出ると、企業は大きな損失を被る。

イケハヤ師も、信用の維持ということを、少しは考えた方が良いはずなのですが、どうしてこのあたりをあまり気にしないのか、少々解せないところです。

そもそも、イケハヤ師の過去のコンテンツが参照されるのも、有料情報が売れるのも、イケハヤ師の言説に価値を見出す人が存在するからなのであって、彼が信用できない人物であるとなりますと、これらの価値も失われてしまうでしょう。

まあ、主婦感覚というか、一介の消費者的センスだけで事業を回している、ということであるような気もしてまいりましたが、果たしてこれで大丈夫なものなのか、かなり心配になるところではあります。