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中村ゆきつぐ氏の5/30付けBLOGOS記事「専門家会議が分析するファクターXと今後の対応 経済と協調を」へのコメント

中村ゆきつぐ氏の5/30付けBLOGOS記事「専門家会議が分析するファクターXと今後の対応 経済と協調を」にコメントしました。


支持しました。

野党の政治家は当然として、知識人(旧称:進歩的文化人?)も基本的には、政府批判が身上ですから、新型コロナウイルス対策でも政府のやることは何をおいても批判する、という習性があるのでしょう。

社会福祉関連であれば、確かに悲惨な人生を送る人たちを救済するため、全体を多少犠牲にすることは正当化されるのですが、感染症の場合に感染拡大を放置して経済を優先するわけにもいきませんから、この物言いは少々問題があった、ということでしょう。

経済とコロナ対策の両立には山中先生のページがごもっともです。

つまり、経済活動を一切認めない形での感染阻止を目指すのではなく、医療機能を充実させることによって、ある程度の感染者が出ることを受け入れる形で経済と医療の両立を目指す、という考え方ですね。

山中先生のコロナページ:https://www.covid19-yamanaka.com/index.html

図はこちら:https://www.covid19-yamanaka.com/…/18294-20200327092711-1-l…

それにしても、経済を優先するあまり、コロナ対策であまりにも非科学的な主張を行いますと、同じ口が原子力発電推進を主張しても、その反対を主張しても、ぜんぜん説得力がなくなります。またいってら、ですね。

野党にせよ、評論家にせよ、知識人にせよ、人間は総合的に評価されることにも気をまわして、主張される内容の科学技術的・学問的妥当性にも少々配慮されるのが良いのではないかと思います。


他の方のコメントに返信して多少の議論が行われました。

Mikio Wakabayashi

 ファクターXというのは、確定的なことがわかっていないから、Xと言っている。現状においてこれがファクターXだという議論は科学的に成りたない。だからこそ、現状においては科学的見地からは、さまざまな「仮説」が提示され、競われる段階にある。つまり、仮設A,仮説B,仮説C・・などがあって、決定的なものはない。また仮説にも「より有力な仮説」という概念は可能だろう。現状において、誰もが納得する「仮説」は存在しない。それが科学的思考というものだ。「仮説の段階」は、ある意味では「思い付き」の段階である。「思い付き」にすぎないと言えばそれまでだが、「思い付き」が徐々に収れんされて、やがては「真説」に到達するわけだ。実験科学なら「仮説」の段階は「試行錯誤」の段階ということになる。


瀬尾 雄三

仮説を仮説として主張するならよいのですが、仮説が真実であるかのごとく決めつけて、だから緊急事態宣言はいらない、などと主張するから有害視されてしまうのですね。

このあたりは、サイエンスのトレーニングを受けた人とそうでない人の差が歴然と現れる部分です。

それがこのエントリーの趣旨だし、いちろうさんがおちょくる部分ですね。

仮説を仮説として主張することは大いに結構なのですが、ポパーの主張するように、仮説であるなら反証可能性をきちんと意識しておくことが学問的態度というもので、仮説を絶対的真実の如く語るのは、ある種の宗教的行為ということになるのでしょう。


Mikio Wakabayashi

いえいえ、「仮説」というのは「真説」が確定していないから出て来ている。つまり、政治的意思決定の場合、「真説」に基づいて行うことはできないから議論となっている。政治的意思決定においては、「有力な仮説」と推定される仮説に基づいて行うほかはない。そこでも「何が有力な仮説なのか」ということは議論の余地が出てくる。

 具体的な事例として、英国がコロナ初期対策として採用したのが「集団免疫学説」。これは過去の感染症のデータに基づいてコロナ対策に適用したものであるが、「コロナ対策」で有効かどうかは、「一つの仮説」の域を出ないものだった。

 つまり、新型コロナ・ウイルスについての全体像は、まだつかみ切れていないのだから、すべては「仮説」に基づいて政治的意志決定をするほかはない。これが客観的な現状認識なんです。

これに関しては、これ以上の議論をストップしています。

この議論の難しい点は「仮説」の評価で、科学的な理論はすべてが仮説であるということも一面の真実だし、全く根拠に乏しい「仮説」だってあるのですね。

この場合で言えば、やまもといちろう氏が非難する全くの仮説がある一方で、集団免疫仮説のような、100%確かであるとは言えないまでも、かなり多くの学者の支持を集めている仮説もある。これをごっちゃにして議論するのはまずいのですが、さてこれを説明するとなると、非常に難しい。ここは議論をあきらめるしかありません。

こういうこともあるのですね。


議論が続いておりますので、以下に再録しておきます。

加藤洋行

>仮説を仮説として主張するならよいのですが、仮説が真実であるかのごとく決めつけて、だから緊急事態宣言はいらない、などと主張するから有害視されてしまうのですね。

これは2つのことを混同しています。日本での感染者、死亡者が少ないのはなぜか。これに対する答えはまだ「仮説」です。しかし緊急事態宣言が出る前と後で、感染者数の減少率は変化していない。これは「事実」です。専門家会議でもこれを認めています。つまり「緊急事態宣言は不要だった」というのは事実に基づいた見解です。仮説でもなんでもありません。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

厚労省が毎日発表している日本の累積感染者の増分を新規感染者と考えますと、これがピークを付けたのが4/12の714人、変動を除くため7日平均値でみますと、そのピークは4/15の542人となっています。

専門家会議が感染のピークは4/1頃であったといっているのは、感染から陽性反応が出るまでのタイムラグを考えてその頃が感染のピークであっただろうと推定しているわけです。

この直前にあったことといえば、24日のオリンピックの延期決定、25日の東京都の自粛要請、29日の志村けん氏の死去、4月1日の入国制限対象拡大などがありました。

これらの衝撃的な出来事があれば、国民のサイドも、緊急事態宣言を俟たずに、マスクの着用や手指の消毒を念入りに行うでしょうし、外出を控えるなどの対応もしたはずで、それが感染のピークに繋がっているのでしょう。

ただこれらの効果がいつまで保たれたかとなりますと、何の保証もないのですね。

そして、政府が緊急事態宣言を行ったことは紛れもない事実であり、これを受けて企業や様々な三密を伴う営業が自粛に踏み切ったことも事実なのですね。

これらすべての効果を含めて、現在の感染収束という結果は生じている。緊急事態宣言解除後に、多少感染が上向きになっていることをみても、緊急事態宣言の効果はなかったとは言えないでしょう。

少なくとも、「緊急事態宣言は不要であった」と立証されているわけではない。そのような見解を持つ人が存在することは否定いたしませんが、、、

緊急事態宣言不要説の問題は、たとえば日本人はBCGを接種しているから新型コロナの影響を受けにくいとか、アジア人は特別な免疫型をもっているなどの、立証されていない要因に基づいて緊急事態宣言を不要としている点です。

これを信ずる人が増えた場合、一つ間違えると膨大な犠牲者を招きかねない。これが問題です。

1 thoughts on “中村ゆきつぐ氏の5/30付けBLOGOS記事「専門家会議が分析するファクターXと今後の対応 経済と協調を」へのコメント

  1. mitsu minomi

    6> 我が国が実行したクラスター対策の取組が感染拡大を抑える上で効果的であった。
    その通りです。
    政府の官僚は頭はいいです。
    このことは認めなければなりません。
    十分な過去の蓄積がある中では良きアイディアを出してきます。
    キチンとその蓄積と頭の良さに敬意を払わなければなりません。
    そうしないと、自分より頭の良い人の意見を、対策を聞く機会を失います。

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