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三田次郎氏の7/27付けBLOGOS記事「『感染者数』という呪いの正体と専門家の限界」へのコメント

三田次郎氏の7/27付けBLOGOS記事「『感染者数』という呪いの正体と専門家の限界」にコメントしました。


これはマスコミの問題というよりは、感染者数計測を取りまとめている、厚生労働省の問題でしょう。

PCR検査結果は、いくつもの形で利用されている。これを、きちんと把握したうえで、その数値を取り扱わなくてはいけません。

その利用法ですが、第一には、検査を受ける人の健康のため、感染者に適切な治療を受けさせるというのが、検査の第一の目的です。

第二には、クラスター発生を防止するため、感染者を隔離する、そのために、隔離すべきか否かの判定のために検査結果が使われている。

第三には、新型コロナの感染がどの地域にどの程度の広がりで生じているかを知り、医療資源の拡充や、移動制限などの社会的対応につなげるという目的があるのですね。

この三つの使われ方は、新型コロナが問題になった当初から行われておりました。だから、関係者は全員が知っていなければおかしいのですね。

ところが、PCR検査を拡充した際に、計測の連続性が失われてしまった。第一、第二の目的への対応レベルが上がったのは良いのですが、感染が拡大しているのか、さほどでもないのかが分からなくなってしまった。

これは、厚労省の致命的なミスなのですね。まず、厚労省はこのミスを認識して、リカバリーに努めなくてはいけません。

以前の検査は、37.5℃以上の高熱が3日以上継続した、感染の疑いが濃厚である人(対象1)と、感染が明らかになった人と濃厚接触した人(対象2)であったわけですね。

これに対して、新しい検査基準は、対象1の基準を緩めるとともに、新たに危険な職場の従業員に検査を受けさせた(対象3)。

この数字を社会的対応に使うには、対象3を除外し、対象1・2は基準緩和と対象者状況を元に旧来規準の数値を推定しなくてはいけませんでした。

仕事でやる以上、ここは、きちんとできなければいけない。

それができなければ、素人の誹りを免れません。


返信がついております。

Kazumichi Yamase

厚生労働省の責任との指摘は仰る通りだとは思いますが、ここで筆者が指摘するマスコミの問題点は『感染者数という言葉の実態を解釈せぬまま報道している事』ではないでしょうか?

解釈の説明責任は厚生労働省かもしれませんが、マスコミが言葉の解釈をせぬまま報道して良い理由にはならないと考えます。

語彙の解釈が人々の共通認識ではない場合の弊害は、私が指摘するまでもない事だと思います。

それを鑑みれば、マスコミのやっている事は職業倫理的な大問題だと言えるのではないでしょうか?

仮に、マスコミが正しく解釈した上で今の報道姿勢でいると言うならば、それは別の意味で大問題です。

私はそう読み取りました。


瀬尾 雄三

Kazumichi Yamase さん

厚労省の発表した数値は、「マスコミに好都合な方向にずれた」適切ではない数値である、というのが実態であるわけですね。

だから、まともなマスコミなら、これを批判することが自らの営業上不利益をもたらすとしても、批判して正しい数値に修正させなくちゃならない。これは正しい主張ではあります。

しかし、我が国のマスメディアが、マスメディアの社会的意義などそっちのけで、商売第一でやっている、というのは好ましいことではなく、これを批判することは妥当であるとは、私も思います。

でも、所詮は私企業のやっていることで、報道の自由、言論の自由の下で行っていることでもあるのですね。これに問題があるなら、新たな報道機関を立ち上げて、より正しい報道をおこなう自由は、誰にでもある。

それに引き換え厚労省は国の一機関であり、税金を使って行う公務なのですね。これをいい加減にやることは許されるものではない。こちらは、国民の一人として、大いに批判しなくてはいけません。

こういう背景まで考えた上で、まず第一に批判されるべきは、マスコミ(なり専門家なり)と厚労省の、どちらだと思われますか。


Kazumichi Yamase

瀬尾 雄三 様

私は同じ土俵で比較する問題ではないと考えます。

何故ならば、厚生労働省が改善したとしてもマスコミの姿勢が改善される訳ではないし、逆もまた然りだからです。

一見、関連性があるようで、問題の根本では関連性はないと考えます。

どちらもンコです。


瀬尾 雄三

Kazumichi Yamase さん

マスコミには、好きに言わせておけばよいのです。もちろん、個々の珍妙な主張は、一々批判しておかなくてはいけませんけど、彼らの口をふさぐことはできない。

言論の自由がありますので、、、

一方、厚労省にはきちんとした仕事を要求する。これは当然の話であって、いい加減な仕事は厳しく糾弾しなくてはいけません。無能な官吏の排除を要求するくらいのことは、不当であるとは言えません。

検査強化に伴い感染状況の計測に連続性が失われるという問題は、検査強化が叫ばれた本年4月中旬の時点でもわかっていたことです。https://blogos.com/article/451091/

これに対する私のコメントの一部を以下に再記します。このくらいのことは、当然わかっていなければいけない問題でした。https://blogos.com/article/451091/forum/

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検査数を増やす際に注意すべきことは、感染者数の増加が、感染拡大によるものなのか、検査強化によるものなのか、その切り分けをしっかりしなければいけません。さもないと、いたずらに国民の不安を煽る結果になってしまいます。

現在の我が国の感染者の増加も、そのかなりの程度は、検査数の増大に起因している可能性が高いのですね。

様々な感染防止策は、社会経済に大きなダメージを発生させ、国民の生活を困難にする。だから、感染拡大が、事実生じているものなのか、検査強化による見かけ上のものなのかは区別して、不要な対策は取らず、必要な措置をしっかりとするようにしなくてはいけません。

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まったく、何をしているのでしょうね。

2 thoughts on “三田次郎氏の7/27付けBLOGOS記事「『感染者数』という呪いの正体と専門家の限界」へのコメント

  1. mi.mino

    ちなみに、私は旅行業界を救う必要は全くないと思って居る。
    コロナが起こる前はインバウンドで儲けていたはずだ。
    中国というリスクの高い国と付き合うのだから、そのお金はリスク回避にためておくはずだ。
    ためておかずイケイケで使ってしまった経営者はリスク回避能力が低い。

    もういちど書いておくが中国はハイリスクの国であり、それにそなえることこそ、経営者の能力が高い。
    1980年代のバブルのころから全く進歩していない。経営者の能力は。
    もちろん中国なんぞと付き合わないのがもっともリスクがひくい。

  2. mi.mino

    >>この感染症の問題に関しては勝利ポイントは医療施設側にだけにあるわけではない。

    ビジネス側はかってに動かしてはいけない。
    敗北条件は、ビジネスにおいて中国をあまりにも入れすぎたことにある。
    だからこの件に関しては医療のモデルのみが重要だ。
    なにかとビジネス側は他分野に口をだしたがるがいい加減にすべきだ。

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