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中村ゆきつぐ氏の8/25付けBLOGOS記事「『集団免疫』という言葉の定義 教科書とは少し違います」へのコメント

中村ゆきつぐ氏の8/25付けBLOGOS記事「『集団免疫』という言葉の定義 教科書とは少し違います」にコメントしました。


誤解している人がいるようなので、注意を喚起しておきますね。

「集団免疫」というのは「『集団』免疫」ですから、その点をお間違いないようにお願いします。

このエントリーでも書かれているでしょ。(二重引用符は私)

> 全体の『6割』の感染後、他の免疫を持たない人間の感染も防ぐ力。これを集団免疫と言います。<

問題は、国民の6割もの人が感染した場合、犠牲者がどの程度になるかということなのですね。

我が国の70代以上の高齢者は30%程度いて、この人たちのコロナ感染時の致死率が10%程度。彼らだけを隔離しておけば犠牲は防げるといったって、今ですら年金予算が財政を圧迫すると問題になっているのに、これほどの人を隔離する費用はどう負担すればよいかが問題です。

もう一つには、かりに高齢者がコロナに感染して死んだとしても、それは高齢者の数を減らして、高齢化問題の解決につながると期待する人もいないではないのだが、これも問題を複雑にするだけで、何ら良いことはないのですね。

つまり、かりに10%の3百万人が感染しただけでも、医療資源の枯渇を招き、他の病人までをリスクにさらす。そうして致死率が10%であったとすると、死んでくれるのは高齢者全体の1%だけ。しかも、9%の人は、散々医療費を使いつくした挙句に生き残る。

一方、免疫の獲得をコロナの感染に頼らなくても、自然免疫や交差免疫なりに期待できるのだ、といっても、これがどの程度の人がもっていて、どの程度の効果があるかが分からない。

だから、我が国のコロナ対策として、これらに頼ることは困難なのですね。

まあ、幸運に期待するという、夢を持ち続けることは否定しないのですが、夢に国民の命を賭けることはできない相談だということを忘れてはいけません。

夢は持つとしても、マスクや消毒や接触の防止といった地道な対策が不要になるわけではないのですね。


返信がついております。

加藤洋行

>問題は、国民の6割もの人が感染した場合、犠牲者がどの程度になるかということなのですね。

感染しても発症せずに治ってしまう人がいます。その数字を考慮する必要がありますね。

>つまり、かりに10%の3百万人が感染しただけでも、医療資源の枯渇を招き

まず、300万人という数字が大げさ。8月23日時点の数字で、検査陽性者数累計は 6万2388 名。ざっくり、月1万人のペースですから、300万人達成するには25年かかる計算です。また「300万人が一斉に入院治療を要する」と仮定するのもおかしい。なんか、二重、三重に間違えている印象です。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

>> 問題は、国民の6割もの人が感染した場合、犠牲者がどの程度になるかということなのですね。

> 感染しても発症せずに治ってしまう人がいます。その数字を考慮する必要がありますね。

この数字はどの程度になるのでしょうか。国民の6割というのは、日本の人口1億2600万人と掛け合わせると7千6百万人ほどになるわけで、この何パーセントが犠牲になるかを評価しないといけません。

また、高齢者に感染が広がると犠牲者がうなぎ上りに増大するため、隔離などの安全策が必要になるのですが、なにぶん我が国の高齢者が3,000万人ほどいるために、このための費用は莫大になる。

年金ですら破綻しかかっていることを考えると、その非現実性が分かるでしょう。

かといって、高齢者の感染を招いてしまうと、医療崩壊を起こすし、医療費の負担で財政がパンクする。我が国は既に高齢者を抱えすぎているのですね。

もちろん、このエントリーは、それ以外に自然免疫や交差免疫があるということで、これらと合わせて6割の人が免疫をもてばよいわけですね。

しかし、これらを国民の安全を確保する基盤とするためには、これがどの程度期待できるのか、その定量的評価はどうなるのか、効果に関するエビデンスはあるのか、といった点を議論していかなくてはいけません。

そのあたりがきちんとできるまでは、これまで通りの地道な対応が必要になるはずです。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

大事な点を言い忘れていました。

> 8月23日時点の数字で、検査陽性者数累計は 6万2388 名。ざっくり、月1万人のペースですから<

月1万人のペースで、集団免疫が確保される7千6百万人の感染者(日本の人口1億2600万人の6割)に到達するには、いったい何か月かかるでしょうか。

簡単な計算により、7,600か月という答えが出ます。600年少々です。集団免疫が出来上がるのは600年先。天文学的には目と鼻の先であっても、私には、そこまで生きていられる自信がない。

加藤さんは何万人という数字が、現実を乖離した「大げさ」な数字に思えるのかもしれませんが、人口1億2600万人を抱えた日本というベースで考える際には、このくらいの数字はすぐに出てきてしまうのですね。


加藤洋行

瀬尾 雄三

ボクは「国民の6割が感染する必要がある」とは思いません。筆者の中村先生もそんなことは言っていない。文章をよく読みましょう。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

ボクは「国民の6割が感染する必要がある」とは思いません。

もちろんそんなことはわかっています。

では何割か、それが書かれていないことが問題です。

集団感染の基本は、国民の6割が感染すること。その場合の、感染の規模を私は示しております。

で、それ以下でも良いと、加藤さんや中村先生は主張している。ただし、これには定説もないしエビデンスもない。

自然免疫や交差免疫が、コロナ感染による免疫をはるかに(数桁以上)超えた効果があるならこの主張は成り立つのですが、少なくとも同程度や数倍以上の程度でははなしにならない。

夢を語るのは悪くはないけど、その前提として、現実的に効果のある諸施策はきちんとやること、これを忘れてはいけません。


加藤洋行

追記

>つまり、かりに10%の3百万人が感染しただけでも、医療資源の枯渇を招き

重要なのは感染者数ではなく、重症者数です。重症者数が人工呼吸器の数よりも少なければ医療崩壊は起きない。感染しても発症せずに治ってしまう、あるいは重症化しないで治ってしまう人がいますから、感染者数は重要ではありません。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

この部分、文脈を読み取ってください。

> かりに10%の3百万人が感染しただけでも、医療資源の枯渇を招き、他の病人までをリスクにさらす。そうして致死率が10%であったとすると、死んでくれるのは高齢者全体の1%だけ。しかも、9%の人は、散々医療費を使いつくした挙句に生き残る。<

ここで問題になるのは、70歳以上の高齢者(日本にはおよそ3,000万人程度おられます)で、この人たちに対する感染防止措置が不十分な状態で(集団免疫を得るための)感染拡大があった場合のリスクを論じているのですね。

高齢者の場合、重篤化する比率が高い(死亡率も10%近い)ため、この部分に感染が広がると医療資源枯渇のリスクが生じてしまいます。

欧米で医療崩壊が発生した国々の累積死亡者も人口の0.05%程度ですから、30万人規模の死亡者が予想される事態は危機的領域になるのですね。

もちろんそれが何年もかけてということであればだいぶ負担は減るのですが、それでは集団免疫に間に合いません。


加藤洋行

>ここで問題になるのは、70歳以上の高齢者(日本にはおよそ3,000万人程度おられます)

70歳以上の陽性者は6058名、死亡者は928名となっています。3000万人という数字に目を奪われ過ぎです。それに、70歳以上となると健康状態も人それぞれです。季節性インフル、肺炎球菌、糖尿病、高血圧、熱中症、そしてお餅と、コロナ以外に気をつけないといけないことは、たくさんあります。コロナだけが怖いというと笑われます。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

70歳以上の問題は、コロナに感染した際の重篤化するリスクが高い、ということなのですね。

40歳以下の人は重篤化しにくく、死にもしないから、70歳以上(あるいは60歳以上)の人たちを隔離するなどして感染しないようにすれば、普通に経済を廻せるとする考え方があるのですね。

この結果、40以下の人たちがコロナに感染して、軽症で回復すれば免疫もできる。一挙両得ではあるのですが、問題は、70歳以上の人口が3,000万人ほど我が国にはある。

これだけの人たちに、感染予防のための隔離などを行うことは、経費だけを考えても非現実的なのですね。なにぶん、年金ですら、すでに財政的に破綻寸前なのですから。

一方で、この人たちのガードが十分でない場合、70歳以上の層に感染が拡大してしまったら、容易に医療崩壊を招きかねない。なにぶん母数が3,000万人なのですから。

この問題は、コロナが怖いとか、そういう問題ではなく、社会がコロナに対していかに対応できるか、という問題なのですね。

そして、政治的に大いに問題はある考え方であることをあらかじめお断りしておきますが、コロナで高齢者の死亡率が高いことが、高齢化問題を解決する切り札のように考えておられる方も一部におられる。でもこれは、全然解決策にはならないのですね。

なにぶん、コロナの致死率は高々10%なのですね。コロナにかかった老人も、さんざん医療資源と予算を食い尽くした挙句、9割は回復してしまう。非人道的行為を許容するにしても、老人対策としてははなはだ非効率的なのですね。アイヒマンに馬鹿にされますよ。

結局のところ、コロナが弱毒化して安全になったならそれもよし、なぜか多くの人が抗体を獲得していたならそれもよいのですが、そうなっているという確証が得られない限り、地道な対応もするしかない。

夢を持つことは、悪くはないのですが。


Isao Matsumoto

ここは瀬尾さんを支持します。

ワクチン開発までの時間稼ぎ、ということなんだと思います。

偉い人たちがみんなその方向なのも、そういうことなんでしょう。なにぶん今回は地球経済が許す限りの青天井の予算がつけられるのでワクチン開発自体は成功するでしょう。問題は時間。

(エイズも気が付けば普通に治る病気になってしまってる。20年)

自然界での集団免疫獲得は600年くらいの(もっと長いかも)時間をかけてゆっくり行われるものだと思います。生物史時間では普通のことでしょう。今現在普通の風邪となっている病気はみんなそれくらいの死者を出して鎮火されてきたもので。昔は病院なんてそもそもなかったでしょうけど。

(タスマニアデビルが伝染病で絶滅しかかってますがどう見てもそちらの方が大変。しかしどうもデビルも生き残る模様。生き残り組にとってはよくあることらしい)

人類の歴史としてはたいしたことないエピソードになるでしょう。オリンピックが1年ずれたなんてきっとオタクじゃないと理由を知らない。テストにも出ない。 私たちにとっては同時代の出来事なので大変ですけど。


Toshimi Minoura

> 全体の『6割』の感染後、他の免疫を持たない人間の感染も防ぐ力。これを集団免疫と言います。

この定義は間違いです。

全体の『6割』が感染し、集団免疫が成立しても、他の免疫を持たない人間が感染する可能性はあります。可能性はあっても、新規感染者数はしだいに減少し、最終的には0になります。そこで、累積感染者数は全体の7割とされています。これは、基本再生産数が2.5のときです。


加藤洋行

瀬尾 雄三

>70歳以上の問題は、コロナに感染した際の重篤化するリスクが高い、ということなのですね。

だったら、ご自分で気をつければよろしい。重篤化しにくい、50歳代以下の人の行動制限までするのは、自己中心的過ぎます。40代、50代の人は、いま必死になって家族を養っている。彼らが支払っている年金で、いまの年寄りは暮らしを維持してもらっている。そういう現役世代に敬意を表しつつ、近づかないことです。リタイアした世代にとっては、簡単なことです。


加藤洋行

Toshimi Minoura

そもそも、全世界共通で「6割」なのでしょうか。日本と欧米で死亡者数が100倍も違うのに、一律「6割」なんでしょうか。甚だ疑問です。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

> だったら、ご自分で気をつければよろしい。重篤化しにくい、50歳代以下の人の行動制限までするのは、自己中心的過ぎます。<

この手の問題を、個々の人の問題にしてしまっても解決にはつながらないのですね。集団としての日本社会がどうなるか、という観点で議論しなくてはいけません。

現実問題として、一定の経済力のある人にとって、コロナの問題は大した問題ではない。お金を払えば、十分な介護を受けられるし、そうした施設は感染には恐ろしいばかりの気の使い方をしている。自宅にいるなら、通販もあるし、電話一本で配達もしてくれる。

しかしながらそういうことのできない高齢者も多数おられる。実際問題として、我が国の70歳以上の高齢者は2,800万人ほどいるわけで、そのすべてが豊かであるわけではないのですね。

このかなりの部分は、普通の住宅で暮らしており、街中に買い物に出かける。政府が援助すれば助けられるかもしれないけれど、これだけの多数の高齢者を感染からガードできるほどの予算が我が国にはないのですね。

一方で、彼らが感染したらどうなるか。仮にその1割が感染しても、30万人近い感染者が出て3万人ほどが重篤化し、そのかなりの者が死亡することになる。

その意味するところは、莫大な医療資源を食うことになるし、多額の医療費が費やされ、医療崩壊を起こし、他の医療にも齟齬をきたす。

結局のところ、これは高齢者だけの問題で済むわけではないのですね。

この問題を議論する際には、これは社会の問題だという視点が大事です。自分の商売や自分の安全だけを考えていても、社会全体が変わってしまうと思惑通り進まない。

多くの人が関係する社会的問題に関しては、Win-Winの戦略を考えないとうまくいかない。そこが分かっていない人が多いとの印象を、これらの議論を通して、受けております。


加藤洋行

>この手の問題を、個々の人の問題にしてしまっても解決にはつながらないのですね。

マスクをつける、手洗い、うがいをする、社会的距離を保つ、こういったことは個人の問題です。それでも感染した場合に地域や社会が助けてくれる。ボクはそういう理解です。自助、共助、公助、もう一度よく考えてみてください。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

この手の議論の場で、個人的な事情に基づく主張をすることはあまり意味がないのですね。

開かれた議論の場に要求されることは、いわゆる抽象的コミュニケーションなのであって、学術的議論と同様の、個人的立場を捨象した、すべての人に共通に受け入れられる主張をするように心がけなくてはいけません。

> マスクをつける、手洗い、うがいをする、社会的距離を保つ、こういったことは個人の問題です。<

特定の人がマスクを付けることは個人の問題です。でも、多くの人にマスクを付けてもらうことは、社会的問題なのですね。

> だったら、ご自分で気をつければよろしい。<

これが、特定の個人の立場を指す議論の在り方で、こういう場で行う議論には不適切な物言いである、ということなのですね。

はやい話、この手の物言いは無意味です。なぜかといえば、私は自分の行動について議論しているのではなく、社会的な議論をしている。

私が気を付けて何とかなるものなら、最初から問題にはならないのですね。気を付けたところでいかんともしがたい多数の存在を前提に議論しているわけですから。

それが普遍的主張というものであって、学術的議論のイロハでもあるのですね。

実は、この手のコミュニケーションのあり方というのが、私の研究テーマであったりいたします。お付き合いよろしくお願いいたします。

3 thoughts on “中村ゆきつぐ氏の8/25付けBLOGOS記事「『集団免疫』という言葉の定義 教科書とは少し違います」へのコメント

  1. mi.mino

    瀬尾さんの書き方
    >>瀬尾 雄三
    >>加藤洋行 さん
    加藤さんの書き方
    >>加藤洋行
    >>瀬尾 雄三

    つまりお里が知れる。
    加藤さんは、相手に氏なり、さんなり、Mr.なりをちゃんとつけましょうね
    最低限の礼儀でありまともに論戦する能力がないことを示しています。

    返信
  2. 通りすがり

    ブロゴスでのコメントいつも興味深く拝見しております。
    コロナに関しては想像以上に無責任でいい加減な、「老人は死んでもいいから経済を回せ」と滅茶苦茶な事を平然と言い張る人間が多い事に驚愕しております。
    (高齢化社会の日本でそんなこと言ってもますます委縮するだけでしょう)
    また、集団免疫などとっくに否定された説にいつまでも拘泥する専門家(怪しいですが)が多いのにも困ったものです。

    日本でコロナが予想ほど広がらなかった理由は、政府が全く当てにならないので国民一人一人が自主的に自衛・自粛に務めたからでしょう。重症化が少ないのは医療システムの全国民をカバーできる整備と医療従事者の献身で説明はつきます。怪しげな珍説の入り込む隙間は無いと思います。

    どうぞこれからもご活躍お祈り申し上げます。
    (瀬尾氏にとってはゲームのようなものかも知れませんが)
    科学的エビデンスの重要性を理解できない連中は一生このままでしょう。

    返信
  3. mi.mino

    >>だから、我が国のコロナ対策として、これらに頼ることは困難なのですね。

    >>まあ、幸運に期待するという、夢を持ち続けることは否定しないのですが、夢に国民の命を賭けることはできない相談だということを忘れてはいけません。

    >>夢は持つとしても、マスクや消毒や接触の防止といった地道な対策が不要になるわけではないのですね。

    了解です。

    返信

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