伊藤聡氏の9/9付けBLOGOS記事「追悼デヴィッド・グレーバー:コロナ以降の新しい世界を想像するために」にコメントしました。
ゴミ収集に関しては「燃えるゴミ」が普通であったのが、いつのまにか「燃やすごみ」になってしまいました。
なんでしょうか、この投げやりな呼び方は、、、
「燃えるごみ」を燃やして処分するなら、ごみ収集員の主体性というものがある。
「燃やすごみ」を燃やすなら、そこに主体性のかけらもない。ロボットのような仕事だということを、自分自身で規定しているのですね。
これは、自己卑下の一種かもしれませんし、こういう自己否定が格好良いなんて考え方もあるのかもしれませんが、これは同時に自ら仕事の意義を失わせているのだということを、よく認識しなくてはいけません。
どんな仕事も、誇りを持ってやること。これが、大事なことだと思いますよ。
返信がついております。
Eric-c Eric-c
「燃えるゴミ」だとペットボトルでもプラスチックでも燃えるので、本来リサイクルに回すべき資源ごみは「燃えるゴミ」に含まれないというおかしなことになってしまうのです。
「燃やすごみ」は「燃やすべきゴミ」「燃やしていいゴミ」であって主体性云々はまったく関係ありません。
どのゴミを燃やすか燃やしていいかは現場の職員が判断するわけではなく、いろいろな条件や事情を勘案して決められるものです。
この点からも「主体性」は関係ありません。
瀬尾 雄三
Eric-c Eric-c さん
> どのゴミを燃やすか燃やしていいかは現場の職員が判断するわけではなく <
それを、ごみを出す人間が判断する、というわけですね。
そこに、ごみを出す側に思考力を要求し、ごみを処理するサイドには思考力を要求しない、という姿勢が垣間見られるわけです。
思考力が要求される側は自由な人間、思考力を要求されない側は奴隷的人間、普通、そう判断してしまうのではないでしょうか。
まあ、行政は、例によって楽をしようとしているだけなのかもしれませんけど、それは一つ間違えると、ロボットへの道、奴隷への道、人間の尊厳を失う方向へと続いているのかもしれません。
これが私の「負債論」です。
私は株はやるが、現物のみで信用はやらない。レバレッジは常に1だ。
それが失敗した時に責任を確実に取れるからだ。
変な経済理論を振りかざしてここまでのレバレッジなら安全だと触れ回る人間はおろかだ。リーマンショックはこういった人間によって作られだ。
リーマンショック時に危機となったAIGに60兆円投入されました。
アメリカでです。
あれ以降、私は資本主義を馬鹿正直に信奉している何かと経済を優先する経済学者を馬鹿にしています。コロナでもそういっていますね。
大きすぎてつぶせないとはいっても、その会社の欲によって作り上げられた負債をこうも処理しなければならないのか?
だから、私は法によるコントロール、ブレーキ、ハンドルは、エンジンである資本主義の企業より、強力でなければならないのです。
止まれない車に乗りたがる愚か者。私は経済学者をこのように評価しているのです。
たった一社で60兆円出したのです。
人の命が係わるコロナ出すのを惜しんではなりません。
AIGもコロナでも後で返すといっているのですから。