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藤田孝典氏の10/13付けBLOG「ひろゆき氏 非正規雇用にメリットがあると思い込んでいる労働者は『肉屋を応援する豚』」へのコメント

藤田孝典氏の10/13付けBLOG「ひろゆき氏 非正規雇用にメリットがあると思い込んでいる労働者は『肉屋を応援する豚』」にコメントしました。


肉屋があるから、豚は短い人生(トン生?)を生きることができるのですね。

肉屋がなければ、豚は野垂れ死ぬしかない。それも嫌なら、野生化して生きるしかない。

野生化して生きるためには、力を付けなくちゃいけない。世界が必要とする能力を身に付けること。それが自らの力で生きるための条件です。

そうなるためには、あらゆる機会を利用すること。学校、ネット、書物。常に周囲を観察して、何が問題か、どうすればよりよくなるのかを考え続けること。

そういう努力をさぼってぶー垂れていたら、そりゃ、豚になるだけです。肉屋を応援するしかありません。それはそれで、一つの人生だと思いますけどね。


返信がついております。

よがた みちあき

一見正論のように聞こえるけど、そこばかり強調すると企業が業務効率の改善、生産性の向上などには取り組まず、正規雇用を非正規で置き換える利鞘で延命してきた点が覆い隠されてしまいます。

もちろん自助は肝心だけど、一番重要なのは社会の持続性であるはず。貧困も自己責任と言わんばかりの状況を続けて、生活困窮による少子化の加速、自殺者や先々の生活保護自給者の増加を招くようでは不味いわけです。

その野生の豚の例だと、皆が食えるだけの糧がなければ餓死、病死、衛生悪化、食害も頻発して社会が荒んでいきます。


花の ヤン

<そういう努力をさぼってぶー垂れていたら、そりゃ、豚になるだけです。肉屋を応援するしかありません。それはそれで、一つの人生だと思いますけどね。>

それは皆が同じ条件だという前提がないと成り立ちませんよ。

しかし、実際には親の財産や収入により教育の機会等が大きく違っているわけですから、瀬尾さんのこの主張には同意しかねます。

また、たとえ能力が劣っていたとしても幸福なってはいけない理由はありませんし、有能な者にしか財貨をまわすことができないほどリソースが不足しているわけでもありません。

むしろ、現在では生産力向上しておりデフレ不況という現象が起こっているわけですから、能力が劣った者にも安定した職業と賃金を与え「消費者」として経済の安定に役立てるべきではないでしょうか。


瀬尾 雄三

いろいろご批判を頂いておりますが、リベラルとはそういう思想であるということを忘れちゃいけません。

機会に関しては、最低限の機会は提供されている。憲法は健康で文化的な最低限の生活を保障しているし、義務教育の機会も提供されております。

そりゃ、金持ちの家に生まれれば私立の学校にも通えるし塾でみっちり鍛えられることもありますから、機会が平等であるわけではない。しかしこれを否定しようとすると、極端な共産主義制に移行するしかない。

まあ、実際のところでは、今日リベラルと自称している方々も、実際のところは共産主義制を理想とされているように見受けられますし、それも、ポルポト流の極端な平等主義を理想としているように見受けられます。

今日では、共産主義、社会主義といえども、普通の世界では、有能なものに資源を集中する傾向にあり、何から何まで平等という社会は特殊な世界であると思われます。

なお、親が裕福なら子も経済的に豊かになるという点に関しては、我が国は諸外国と比べて相続税が高く、三代続く金持ちはない、などといわれる状況なのですね。

これを完全に平等にしようとすると、ポルポト流に、子供は全員寄宿舎、などという制度にしなくてはいけないのでしょうが、これは人間性において、少々問題のあるやり方だと思いますよ。

社会制度に関しては、我が国は妥当な水準にあり、あとは本人の努力にゆだねるというのが正解ではないでしょうか。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<いろいろご批判を頂いておりますが、リベラルとはそういう思想であるということを忘れちゃいけません。>

リベラルの定義について、私は議論するつもりはありませんね。

もし瀬尾さんが「リベラルとはそういう思想である」とおっしゃるならば、私は「そのリベラルには同意しかねる」と返事するだけのことです。

<まあ、実際のところでは、今日リベラルと自称している方々も、実際のところは共産主義制を理想とされているように見受けられますし、それも、ポルポト流の極端な平等主義を理想としているように見受けられます。>

それは私の主張のことでしょうか。

ならば、私は「瀬尾さんのおっしゃる共産主義が正しいと思う」と返すだけのことです。

<今日では、共産主義、社会主義といえども、普通の世界では、有能なものに資源を集中する傾向にあり、何から何まで平等という社会は特殊な世界であると思われます。>

別に、私は「有能なものから資源を取り上げて、無能な者に与えよ」と言っているわけでありませんよ。

私は「無能な者にも資源を与えよ」「無能な者も『消費者』として貢献できる」と言っているに過ぎません。

といいますか、むしろ私は能力の格差は是正が難しいという能力主義者であり、それを踏まえた上で無能な者の生活の保証と戦力化を提言しているわけです。

学歴エリートさんの残念な傾向として、能力主義を「能力による選別」と解釈することが挙げられますが、私の考える能力主義とは能力の格差を踏まえた上で最大限のパフォーマンスを考えるわけです。

つまり、能力の劣った者の有効な戦力化です。

他国を見ても優秀な人物は確率的にしか存在しませんから、他国に対して優位になるには能力の劣った者をどう戦力化するかがキーポイントになるのではないでしょうか。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

人は優秀と無能の二つに分けられるわけではなく、得手不得手の分野もあれば、それぞれの有能さ・無脳さのレベルにも無数の段階があるのですね。

そして、機会に関しても、完全な均等を目指すならポルポト流になるのだが、これはやりすぎである一方で、今日の日本では、かりに経済的な問題があったとしても、機会が全く与えられないことはないであろう、と言っているわけですね。

それぞれに、おのれのレベルと得意分野に応じて、各自が適切な貢献のあり方を考えればよいわけです。

> 私は「無能な者にも資源を与えよ」「無能な者も『消費者』として貢献できる」と言っているに過ぎません。<

消費者は、お金を使っていただける、という意味では社会に貢献しておりますが、お金は使えばなくなります。そして、そもそも消費とは、価値のある食品を無価値な大便に変換するような、貢献どころか、社会にとってはマイナスの行為でしかないのですね。

しかし、社会にとってマイナスでしかない人に対しても生存権や幸福追求権を認める、これが近代的な人権思想で、我が国もこれで動いております。具体的には生活保護制度があるのですね。

もちろん、今日の生活保護制度は不十分ではないという議論があることは重々承知しておりますし、ベーシックインカムのような、より自由度の高い形に切り替えるべきだとは思っておりますが、これは別の議論ですので、今回は省略いたします。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<それぞれに、おのれのレベルと得意分野に応じて、各自が適切な貢献のあり方を考えればよいわけです。>

しかし、能力が劣る人たちの賃金等の待遇が悪ければ、それは「使い捨て」であって適切な貢献のあり方とは言えないのではないでしょうか。

<消費者は、お金を使っていただける、という意味では社会に貢献しておりますが、お金は使えばなくなります。そして、そもそも消費とは、価値のある食品を無価値な大便に変換するような、貢献どころか、社会にとってはマイナスの行為でしかないのですね。>

それはどうかと思いますよ。

リーマンショック直後のデフレ不況では生産しても売り先がないため、工場の稼働日を減らして週休5日状態とかになっていたわけですから、安定した消費層の維持は重要だと思います。

つまり、消費によって社会に貢献するという図式は今後も有効な考え方だ思います。

ここで私の考えを披露すれば、企業は終身雇用制を採用し並や並以下の人材のスキルアップを時間をかけて育成し戦力化すれば、企業や国全体の生産力を高いレベルで維持できることと、高いレベルの消費者層を形成できることの両立ができるわけです。

つまり、能力の高い者は放置してもスキルアップと実績を重ねていくため、国家政府や企業は並や並以下の人物のスキルアップを重点的に画策すべきであることと、そのための方策として終身雇用制が有効であると考えているわけです。

たとえば、能力の高い者は自ら余暇等を利用してスキルアップするでしょうが、能力的に劣る者は勤め先が用意した教育カリキュラムがなければスキルアップする機会もスキルアップする意志も発揮しないと考えられるわけです。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

ちなみに、私はベーシックインカム論には否定的見解です。

「ベーシックインカムがあるのなら、わざわざ働く必要がない」と考える人はある程度は必ず出現すると思われるからです。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 企業は終身雇用制を採用し並や並以下の人材のスキルアップを時間をかけて育成し戦力化すれば、企業や国全体の生産力を高いレベルで維持できることと、高いレベルの消費者層を形成できることの両立ができる <

これができたのは、産業構造が固定化していた時期だけで、20世紀後半の高度成長期特有の現象でした。

今日では、企業の人材育成の能力は、著しく劣ってしまいました。それどころか、必要な人材がいなかったり、そもそも企業の在り方が時代遅れになり、存続自体が危ぶまれる時代となったのですね。

狩猟社会から農耕社会に変化した時、猟師は農民に変わらなくてはいけない。だけど、狩りをする集団が農民を育てられるわけもない。農民は、農業集団の中で育てられるのですね。

その後の産業革命もしかり、電化もありましたし、重化学工業の発展もあったのですね。それぞれの時代に、新しい能力を獲得しなければ仕事にならない。でも、これらは技術者に限られた現象だったのですね。

今日の情報革命は、技術者だけでなく、すべての人々に変革を迫っている。そしてこれに適応できない組織は消滅するしかない。企業も、必要なスキルの人間を入れて、役に立たない人を切るしかない。もはや教育は、企業の手におえるものではなく、各自が学ぶしかないのが実情なのですね。

そういう時代に、セーフティネットが生活保護しかないのは問題で、生活保護制度は、すべてを失うことが支給の条件であるため、人を再起不能にしてしまうのですね。

ベーシックインカム(BI)は、資産の保持を許すので、再起を可能とします。で、BIが最低限の生活に必要な資金に足りない額しか支給しなければ、BIがあるから遊んで暮らす、というわけにはいかなくなるのですね。

世の中厳しい。BIも、そういう制度にしておかなくてはいけません。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<今日の情報革命は、技術者だけでなく、すべての人々に変革を迫っている。>

この意見には同意しかねますね。

変革を迫られているのは有能な人物のあり方であって、並や並以下の人物にまでそれを求めるのは過剰要求だと思います。

正しくは「技術者だけでなく、経営者や企画担当にも変革が迫られている」のであり、それを並や並以下の人物へのシワ寄せで対処するのは経営者や政治家の怠慢というべきですよ。

なにしろ、個人レベルで「変革しろ」「何とかしろ」といったところで本当に何かできるものではありませんし、何かできるのは企業などの組織や政府レベルでしかなしえませんからね。

<そういう時代に、セーフティネットが生活保護しかないのは問題で、生活保護制度は、すべてを失うことが支給の条件であるため、人を再起不能にしてしまうのですね。>

だからこそ「終身雇用制」なのですよ。

もし終身雇用制を普遍的に企業が採用すれば失業すること自体が減少しますから、生活保護制度を適用する事例も希少なよほどのことに限られてくるわけです。

といいますか、雇用が不安定な状態で生活保護制度を稼働させれば、不況のたびに失業者急増と生活保護制度適用が増えることになり予算的制約問題がその都度問題になるわけですから、制度設計としてこの組み合わせは非効率的ではないでしょうか。

私は給付主体の社会福祉制度には疑問を感じています。

<で、BIが最低限の生活に必要な資金に足りない額しか支給しなければ、BIがあるから遊んで暮らす、というわけにはいかなくなるのですね。>

それでは、何らかの理由により就労できない人への社会福祉制度としてBIは不十分ということになりませんか?

そんな欠陥制度を採用するくらいなら、素直に病気や障害などへの個別の社会福祉制度を用意した方がすっきりすると思いますよ。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

終身雇用制は、一定以上のクラスの人に対する雇用形態であり、下のクラスでは、昔から日雇い、季節雇用、パートタイム、アルバイトなどは一般的でした。

終身雇用制は、最初から一定以上のスキルをもった人を対象としていたはずで、そのスキルが通用しなくなるなら、終身雇用の意味はなくなる。それが現在の問題なのだと思いますよ。

そもそも、スキルが通用し続けるなら、解雇する理由もないはずで、自動的に終身雇用と同じことになるのではないでしょうか。

その他、BIがあるから生活保護がすべて不要になるということはありませんよ。

生活保護は、他に収入がある場合、その収入額を減じて支給するわけですから、BIの支給を受けた分だけ生活保護の支給額は減額される。だけど、BIが従来の生活保護の支給額以下であるなら、その差額は生活保護から支給されることになります。

それは、現在の生活保護が、健康で文化的な生活を維持するために必要な額の支給であれば当然のことだと思いますが。

BIの優れたところは、貯金のある人にも支給されるということで、貯金とBIを使いながらスキルを磨きなおす、といったやり方もできるという点なのですね。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<終身雇用制は、一定以上のクラスの人に対する雇用形態であり、下のクラスでは、昔から日雇い、季節雇用、パートタイム、アルバイトなどは一般的でした。>

今回の話題はその下のクラスのはずの非正規雇用が一定以上のクラスにも適用されるようになったが故に問題になったわけですよ。

<終身雇用制は、最初から一定以上のスキルをもった人を対象としていたはずで、そのスキルが通用しなくなるなら、終身雇用の意味はなくなる。それが現在の問題なのだと思いますよ。>

そうした経緯的なこととは別に、私は「終身雇用制は並や並以下の人物を時間をかけて育成することに適している」ことで終身雇用制を有望視しているのです。 そう考えると、瀬尾さんがおっしゃる新しいスキルを従業員に習得させる点で有利に作用すると思います。

<生活保護は、他に収入がある場合、その収入額を減じて支給するわけですから、BIの支給を受けた分だけ生活保護の支給額は減額される。だけど、BIが従来の生活保護の支給額以下であるなら、その差額は生活保護から支給されることになります。>

イマイチよくわからないのですが、それでは従来の生活保護と比較して何のメリットがあるのでしょうか?

これこそ、私がBIに否定的な最大の理由ですよ。

つまり、多少なり生活水準を落とせばBIだけで生活できることから、自発的非就労者が増えてしまうわけです。

瀬尾さんや私の世代では「やる気」があって当然というような雰囲気がありましたが、今の時勢ではわざわざつらい思いをしてまで就職したいと考える若者がどれだけいるのか疑問です。

まして、職を探しても非正規雇用ばかりでは「やる気」の出しようがありません。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 多少なり生活水準を落とせばBIだけで生活できることから、自発的非就労者が増えてしまうわけです。<

おっしゃられるような状況を防ぐためには、BIの給付水準は、BIだけでは生活できない水準に設定するのが極意ではないかと思いますよ。

BIだけで生活するのは相当につらい。安い時給で仕事をするのもつらい。ならば、もっと効率的な稼ぎ方をしよう、と考えるように誘導するわけですね。

もちろん、貯金を取り崩せば、他に稼ぎがなくとも、さほどつらくない生活を送ることもできる。これは、仕事をして、貯金をためて、大学に通いなおすような場合に、そうそう貯金を取り崩さずとも学業が続けられるという意味で、大いに良いことであるわけです。

要は、このバランスが大事なのですね。

ちなみに、BIである程度の収入が得られていれば、安月給もBIに加算されるわけですから、給与水準の低い人には大いに助けになると思いますよ。

BI,それほど悪い制度ではないと、思われませんか?


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

一つ誤解されていることに気付きましたので、説明を追加します。

BIは生活保護制度の置き換えというわけではないですよ。

BIは、一時的に雇用を解除された人も救う、セーフティネットとしての役割が期待されたものであり、生活保護は憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を保障するための制度なのですね。

だから、BIを導入したからといって生活保護がなくなるわけでもない。

とはいえども、「生活保護がBIに置き換わる」という物言いは、間違っているわけではなく、BI支給額に相当する額だけ、生活保護給付が減少する、ということなのですね。

つまり、支給額で見れば、BIで支給された額だけ生活保護の支給は減少する。この文だけ、生活保護がBIに置き換わった、というわけです。

BIの支給額が十分に大きく、生活保護を上回る場合には、生活保護制度はなくなることになるのですが、BIにそこまでの規模は要求されないでしょう。

BIは、資産の保持や他の収入の有無などに関わらず支給されますので、生活保と支給額よりは相当に小規模でよいはず。竹中氏の提言した、月7万円というのは、妥当な水準ではないかと思います。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<おっしゃられるような状況を防ぐためには、BIの給付水準は、BIだけでは生活できない水準に設定するのが極意ではないかと思いますよ。>

そこの辺りは私も考えたことがあるのですが、給付金額が少ない場合にはBIとしてのメリットがなく、給付金額が多い場合には官給ニートが出現するという結論に至りました。

そう考えると、わざわざBIを実施する意義があるのか疑問です。

そうなると、わざわざBIを導入する必要があるのでしょうか?

<もちろん、貯金を取り崩せば、他に稼ぎがなくとも、さほどつらくない生活を送ることもできる。これは、仕事をして、貯金をためて、大学に通いなおすような場合に、そうそう貯金を取り崩さずとも学業が続けられるという意味で、大いに良いことであるわけです。>

まあ、自発的にスキルアップする場合には有効なのでしょうが、これには2つの点で疑問です。

第一に、皆がスキルアップ退職をすれば人手不足が起こるのではないか。 第二に、自発的にスキルアップ退職を行うのは有能な人物に当てはまる現象であって、並や並以下の人物は遊んで暮らすケースが増えて、国民の全般的な傾向として有効なスキルを持たない人物が増えていく結果にならないだろうか。

<ちなみに、BIである程度の収入が得られていれば、安月給もBIに加算されるわけですから、給与水準の低い人には大いに助けになると思いますよ。>

それは、バイトのみで生活する低スキル民を増やすことになりそうで、私としては疑問です。

並や並以下の人物は易きに流れるものなのですから、そのような都合の良い思惑のとおりに行動するとは私には思えません。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

生活保護の問題は、「最低限」の生活を保障するため、もてる資産をすべて手放してからでないと生活保護を受けられないという点なのですね。

これでは、給与生活者が解雇された場合のセーフティネットにはなりがたい。事実上すべてを失ってから初めて生活保護が受けられることになるのですね。

BIは、基本的にすべての人に支給されるもので、貯金があろうと、収入があろうと支給される。だから、かりに首を切られても、貯金やバイトで食いつなぐことができるわけです。

この手のセーフティネットを整備する理由は、解雇を容易にするためであり、「バイトのみで生活する低スキル民」の存在余地を作り出すことはこの制度の目的でもあります。

ただし、そういう生活は「肉屋を応援する豚」の生活であるわけで、それでも良いという人は、そういう人生を送ればよいと思いますよ。つまり、安価な労働力として生きる、ということなのですが。

逆に、高スキルの人材を高給で遇するようにすれば、おのれの能力を高めようとする人も増えるはずで、BIがこれをバックアップできるなら、これもまたこの制度の目的にかなうこととなります。

こうしてみると、BIは、悪くない制度のように、私には思えますが。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<この手のセーフティネットを整備する理由は、解雇を容易にするためであり、「バイトのみで生活する低スキル民」の存在余地を作り出すことはこの制度の目的でもあります。>

なるほど、私は支持しませんけど、この目論見ならBIは有効ですね。

しかし、やはりBI導入により生産量が減少するような気がするのですが、それはよろしいのでしょうか?

おそらく、企業収益にはプラスに作用すると思いますが、生産そのものは減少傾向となると思います。

つまり、経済規模の上では非効率的に作用すると思います。

また、低スキル民が増えることも国全体の生産力の地盤沈下ということにならないでしょうか?

さらに、不況時には解雇が増えて不況を悪化させる要因であり、これも非効率的であることも指摘しておきます。

私が思うに、雇用の流動化論は有能な人物にのみ有効な制度設計ではないでしょうか。

つまり、能力があって自発的にスキルアップできる人物には雇用の流動化はチャンスが多いでしょうが、能力的に並や並以下の人物にとっては解雇不安と将来展望のなさによりストレスが溜まる場合の方が多いように思われます。

存在比率で言えば能力的に並や並以下の人物の方が多いわけですから、国民の幸福度から見れば雇用の流動化はデメリットの方が多いと思いますが、いかがでしょうか?

といいますか、雇用の流動化論は企業やエリートの利益に偏りすぎのように思えますね。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

雇用の流動化は、有能な人に有利な制度であることは確かです。

でも「有能な人」=「高給取り」ではないことが現在の大問題なのであって、人材の流動化が阻害されている結果、これが広範に生じる。これが今日我が国の社会的損失を招いているのですね。

雇用が流動化すれば、無能な人は職を追われるわけで、無能な人には不利な設計であることは確かでしょう。でも、人間の能力など多面的なもので、今の職では無脳であっても、他のことをやらせれば能力を発揮するかもしれない。その可能性を見出す機会と考えれば、人材の流動化も悪くない。

有能な人に大いに働いてもらい、社会が必要とする価値をじゃんじゃん創出する。そして、生み出した価値に対応する処遇をおこない、大いに税金を払ってもらう。さすれば福祉予算もたっぷりとれることになる。これで経済は良い方向に回転すると思います。

何をやらせても駄目な人が存在することは確かなのでしょうが、こういう人に重要なポジションを与えることは、社会的な損失であるともいえる。それは、組織の運営にとってもそうだし、有能な他の人の機会を奪っているという意味でも損失なのですね。そのような人には、BIでおとなしく暮らしていただくのも悪くはない。

人手不足を心配されるかもしれませんが、長い目で見れば、ロボットやAIで、今日人間が担っている業務は、相当程度機械化され、労働力は補われる。極端な言い方をすれば、人は遊んで暮らせるようになる時代がいずれ来るのですね。

そして、人はぜいたくなもので、遊んで暮らすと何かを作り出すのではないかと思いますよ。それがコンテンツ産業になる。我が国の得意な、漫画、アニメ、ゲームなどは、そういう人たちが作り出してきたようなところもあるのですね。

まあ、少々楽観的に過ぎるかもしれませんけど、BI、やってみる価値はあると思います。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<でも「有能な人」=「高給取り」ではないことが現在の大問題なのであって、人材の流動化が阻害されている結果、これが広範に生じる。これが今日我が国の社会的損失を招いているのですね。>

これには弱者の視点がない点で問題があると思います。

つまり、賃金格差で低賃金労働者は「無能な人」と認定されることと、今後も低賃金労働である見通ししか立たないことから、労働意欲低下を招くこととストレス増加により、能力的には並や並以下の従業員の生産性が低下につながるわけです。 したがって、企業収益の観点でも有能なものに高給を与えることが本当に有意義であるかは疑問です。

そう考えると、能力による賃金格差は非効率的であり、賃金はなるべく横並びにして有能なものにはポストを用意するシステムの方が軋轢もなく労働意欲を高く維持できるのではないでしょうか。

また、「『有能な人』=『高給取り』」という図式では、従業員に低賃金労働を強いる経営者も「有能な人」ということになるため、経営者の金銭欲だけでなく名誉欲も刺激することからブラック企業が続出し弱者が経済的にも精神的にもシワ寄せを被ることになります。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<雇用が流動化すれば、無能な人は職を追われるわけで、無能な人には不利な設計であることは確かでしょう。>

これは、ひょっとして「無能な経営者や幹部」を想定していませんか。

無能な幹部はたしかに問題でしょうが、企業でも底辺の方が広いわけですから上に当てはまることだけを問題にするのは片手落ちというものでしょう。

<でも、人間の能力など多面的なもので、今の職では無脳であっても、他のことをやらせれば能力を発揮するかもしれない。>

ところが、ダメな人物の典型パターンとして、職を転々としたためスキルのないまま歳だけとっていくケースがあるわけですよ。

こういう人物は終身雇用制と年功序列賃金で企業に定着させて、時間をかけてスキル獲得させるべきだと私は考えています。

思うに、他の方面でも能力を発揮するようなケースはそんなに多いものではなく、能力的に並や並以下の人物では大抵はどの分野でも相応の訓練を要すると考えた方が自然だと思います。

<何をやらせても駄目な人が存在することは確かなのでしょうが、こういう人に重要なポジションを与えることは、社会的な損失であるともいえる。>

<そのような人には、BIでおとなしく暮らしていただくのも悪くはない。>

これには同意しかねます。

たとえ無能な人でも生産に従事させれば生産が増えることになりますからね。

無理して有能な人だけ使うことを考えるよりも、無能な人も有効に使うことを考えた方が効率的だと思います。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<人手不足を心配されるかもしれませんが、長い目で見れば、ロボットやAIで、今日人間が担っている業務は、相当程度機械化され、労働力は補われる。>

これはそのとおりだと思いますし、もの凄く興味をそそられる話題ですね。

しかし、現状では人が働いて生産するしかないわけですから、これを無能な人が働かなくてもいい根拠にはならないと思います。

もっとも、瀬尾さんの構想では、有能な人がロボットやAIと同じように働いて、無能な人が働かなくても十分暮らしていけるだけの費用を貢ぐ構図なのかもしませんが。

<そして、人はぜいたくなもので、遊んで暮らすと何かを作り出すのではないかと思いますよ。それがコンテンツ産業になる。我が国の得意な、漫画、アニメ、ゲームなどは、そういう人たちが作り出してきたようなところもあるのですね。>

それはそのとおりですね。

まあ、私はそうした活動は定年退職して隠居した人たちが担うべきだという考えですけど。


瀬尾 雄三 花の ヤン さん

> 賃金はなるべく横並びにして有能なものにはポストを用意するシステムの方が軋轢もなく労働意欲を高く維持できるのではないでしょうか。<

こういう考え方があることは否定しません。「能力に応じて働き、必要に応じて取る」ですね。共産主義の典型的主張です。

市場経済の下では、「提供した価値に応じて取る」のが公正なありかたなのですね。きちんと市場が機能したら、そうなります。

もう一つの問題は、無能な人に重要なポストを任せる問題点を軽視されていることで、実際のところ我が国の大問題はこの点にあるというのが私の実感です。

そういうことになる元凶が、終身雇用制と年功序列賃金であって、年功序列で賃金だけが上昇するならまだましで、ポストも上昇してしまう。まあ、よほどひどい人は排除されるのでしょうけど、少なくとも、このような組織では若い有能な人に活躍の機会が与えられない。

それが我が国が新しい産業に出遅れる、一つの原因であるというのが私の認識です。

もちろん、新しい会社を起こせばよいのですけど、過去に蓄積された資源が有効活用できない。日本という国は、とてつもなく巨大なハンディを背負って国際競争を戦っているのですね。

漫画、アニメ、ゲームというコンテンツ産業を、定年退職した隠居が担う、ってどういう世界でしょうか。

まあ、これは余談みたいなものですけど、こういうのは、若者が率先してやらなくちゃいけない世界なのではないでしょうか。

まあ、、、スタジオジブリなどを見ていると、そういう主張が出てくるのも、わからないではないのだが、、、


花の ヤン 瀬尾 雄三 さん

<もう一つの問題は、無能な人に重要なポストを任せる問題点を軽視されていることで、実際のところ我が国の大問題はこの点にあるというのが私の実感です。>

おや、私は「有能なものにはポストを用意する」としっかり書いていますよ。

瀬尾さんがおっしゃったとおり、私も昇進に年功序列を適用することには否定的見解です。

ただし、従業員側の心理として出世が遅れた者の勤労意欲を維持させるには、やはり賃金くらいしかないと思うのです。

つまり、「賃金ではさほど差がついていない」ということで納得してもらうのです。

瀬尾さんは無能な人物の感情に配慮する必要はないとお考えかもしれませんが、私は従業員のモチベーションは軽視できないという見解です。

<市場経済の下では、「提供した価値に応じて取る」のが公正なありかたなのですね。きちんと市場が機能したら、そうなります。>

それは同意しかねますね。

これまで述べたとおり、私は従業員のモチベーションの維持とストレス軽減の観点から賃金に格差をつけるやり方には否定的見解です。

一部の出世コースに乗ったグループだけモチベーションが上がっても、一方でその他のモチベーションが下がったりしたらトータルでもパフォーマンスは下がるでしょうし、ストレスに関してはどちらのグループにも負荷が大きくなるはずです。

なお、「『提供した価値に応じて取る』のが公正なありかた」についてはイデオロギーに分類されるものだと私は認識しています。

「提供した価値に応じて取る」が本当に公正かどうかは別として、はたしてメリットが私が指摘したデメリットに対してどれだけ勝るのか示していただかないと私には妥当な主張なのかどうか判断がつきかねます。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<漫画、アニメ、ゲームというコンテンツ産業を、定年退職した隠居が担う、ってどういう世界でしょうか。>

私が想定しているのは江戸時代のような隠居階層が文化を支え発展させるようなことです。

商業市場だけでなく、アマチュアによる文化活動の振興により、文化の発展と文化関係市場の拡大が見込めます。

しかも、現役世代にとっても隠居後の生活に希望が持てますから、今の仕事が多少つらくても頑張ることができるようになるのです。

というわけで、私はBIを導入するくらいなら、年金の完全政府支出化と月額30万円とかの十分な金額の支給をする方がメリットが大きいと主張します。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

経営資源は有限ですから、ポストの数も限られています。したがって、有能なものにポストを与えれば、無能な者からはポストを奪う必要があります。

有能なものと無能なものに同じ処遇を与えるというのは、BIと同様な効果を生み出し、給与だけ得て、自らの能力を磨くことを怠る人を生み出してしまう。

今問題になっている「働かないおじさん」というのは、そういう人たちなのではないでしょうか。

もう一つの問題は、「同一労働同一給与」という考え方があり、これを敷衍すれば、無能なおじさんを高給で処遇するなら、能力に劣る若者やパートタイマーも高給で処遇しなくてはいけない。

こんなことをしておりますと、有能な人はもともと少ないため、結局、我が国の給与水準は低い側に合わせることになってしまいます。

有能な人を厚く処遇する意味は、我が国の技術者に技術を磨こうというインセンティブを与えるとともに、世界から有能な人材を集めるという意味もあるのですね。

そうして作り出す優れた製品で世界を押さえることができれば、我が国の経済は改善し、日本国民の多くが豊かになる。

経済を豊かにしない限り、ただただ多くの人が高給をむさぼるようなうまい話はあり得ない。夢のような話をしていても始まりません。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<有能なものと無能なものに同じ処遇を与えるというのは、BIと同様な効果を生み出し、給与だけ得て、自らの能力を磨くことを怠る人を生み出してしまう。>

いえいえ、何度も申し上げますが、私も「有能なものにはポストを用意する」と主張しています。

処遇が同じなのは賃金であり、ポストの提供では格差をつけるべきというのが私の主張です。

<もう一つの問題は、「同一労働同一給与」という考え方があり、これを敷衍すれば、無能なおじさんを高給で処遇するなら、能力に劣る若者やパートタイマーも高給で処遇しなくてはいけない。>

私は終身雇用制度と年功序列賃金制度を主張しているわけですから、当然ながら同一労働同一賃金制度には否定的見解です。

同一労働同一賃金では未経験者が採用されにくくなる欠点がありますから、未経験者を比較的低賃金で雇用し在職年数に応じて賃金を上げていく年功序列賃金制度の方がメリットが大きいと私は考えています。

また、無能なおじさん問題については「企業経営上で必ず発生する必要コスト」として、法人税の控除項目に入れておけば十分でしょう。

たとえば、従業員の在職年数に応じて控除金額を増やすとかすれば、企業にとって損失にはならないのではないでしょうか。

わざわざ失業を増やして社会保障で救うような回りくどい方法をするよりは、終身雇用と法人税控除の組み合わせの方が企業や従業員への負荷が少なく簡素な制度設計で済むと思いますよ。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<有能な人を厚く処遇する意味は、我が国の技術者に技術を磨こうというインセンティブを与えるとともに、世界から有能な人材を集めるという意味もあるのですね。>

なるほど、「隗より始めよ」というわけですか。

しかし、技術者のインセンティブに関しては賃金よりも開発環境の充実度が大きいと思いますし、企業が自前で有能な人材を育てる方が安上がりであるメリットも馬鹿にできないと思いますよ。

まあ、そこは企業の考え方次第の領域ですが。

さて、ここまでやりとりが進んでしまいましたが、私の方は持論をだいたい披露したと思います。

瀬尾さんのご意見は考えさせられることも多く刺激的で楽しかったのですが、議論の継続についてはいかがでしょうか。

まだ、瀬尾さんに質問や言い足りないことがあれるのでしたら、私もこの件について興味がありますので正直うれしいのですが。


瀬尾 雄三

およそ私の言いたいことも言いつくしましたので、同じことをあまり繰り返すのは止めておきましょう。

リベラルと共産主義(なり行き過ぎた社会主義)の違いは、リベラルが自由とその結果に対する責任をきちんと意識していることで、経済的にもおのれの能力に見合った仕事をして、その結果に見合うリターンを与えることを要求するのですね。

共産主義は、「能力に応じて働き、必要に応じて取る」というスローガンが明確に語っているように、仕事と処遇が分離されている。

この結果、共産主義国家では、恐るべき非効率な仕事ぶりがまかり通り、経済破綻を招いたわけです。そこで、中国などは市場経済を導入したのですが、これは実質非共産化であり、共産主義を標榜する理由は、それが独裁政権を正当化しているだけの話なのですね。

もちろん、自由を保障するには、一定の経済的なバックアップも必要であり、それが生活保護などの福祉制度であるわけですが、それが十分でなく、これまでの日本では、企業がその役割を担ってきた。

でもその結果は、働かないおじさんのようなものを生み出し、共産主義国家と同様の非効率さを招き、このまま進めば破綻するしかない。少なくとも、情報化の流れから、日本は相当に、遅れをとってしまっている。

これを何とかする一つが、偽リベラルの撲滅だし、人材の流動化を含む市場経済の徹底だし、それを補償するBIなどのセーフティネットの整備であるわけですね。

実のところ、立憲民主党の新しい姿は、ますますリベラルから離れて社会主義に向かいつつある。彼らの言い分を聞いていたら、日本は駄目になる。でもそれがわかりやすいがゆえに、支持も集まらない。当人たちも、このことに気付きつつある。ちょっと面白い状況にあるのが、今日の我が国であるわけです。

まあ、ここは、このまま様子を見守るのが正解ではないでしょうか。

2 thoughts on “藤田孝典氏の10/13付けBLOG「ひろゆき氏 非正規雇用にメリットがあると思い込んでいる労働者は『肉屋を応援する豚』」へのコメント

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