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早川忠孝氏の10/24付けBLOGOS記事「日本学術会議の事務局にメスを入れるだけ?自民党の皆さんは、変な方向に全力で走っているようだが・・」へのコメント

早川忠孝氏の10/24付けBLOGOS記事「日本学術会議の事務局にメスを入れるだけ?自民党の皆さんは、変な方向に全力で走っているようだが・・」にコメントしました。


学術会議の問題は、二つに分けて考える必要があります。

第一には、任命拒否が妥当か否か、ということ。これに関してはいろいろ言い分があるでしょう。無礼だ、とかね。もちろん、言論は自由ですから、発言を止めることもできない。しばらく、議論が続くことは致し方ありません。

第二の問題は、日本という国の行政組織に関わる問題で、その科学技術の在り方を審議する組織が国の方針と異なる方向性を打ち出している、ないし、行政組織の一部が特定の思想集団にコントロールされているとの疑惑が生じた。これをどうするか、という問題であるわけですね。

これに関しては関係諸法の改正により対処するしかありません。まあ、問題のある組織は廃止、が妥当な措置だと思いますが。

あとはその際、関連性の深い諸組織をどうするか、という議論は当然あるでしょう。この際まとめて処理してしまう、というのは賢いやり方であるように思いますけどね。

問題があると分かったら、これを放置してはいけません。河野氏は、純粋にこの国を良くしたいと考えて行動しておられると、私は信じておりますよ。


返信がついております。

花の ヤン

<これに関しては関係諸法の改正により対処するしかありません。まあ、問題のある組織は廃止、が妥当な措置だと思いますが。>

しかし、今回の件について菅政権の意図が「報復人事による官僚支配」と見做されているのが、この問題の核心ではないでしょうか。

そう考えると、たとえ本当に行政改革が菅内閣の本心だったとしても、この件でゴリ押しするのは支持率に影響する点で得策ではないと思われます。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

有権者の多くが学者に共感をもっているかどうか、きわめて疑問だと思いますよ。花のヤンさんも、そういう心情はあるのではないでしょうか?

それが良いことか悪いことかは別として、人はルサンチマンで動く。学術会議に推薦されるような人が、平均的日本人から見て、仲間であると思ってもらえるのか、妬み嫉みの対象となるのかと考えると、後者となるケースが多いのではないでしょうか。

学術会議が税金を使っていることは事実なのですから、これがどれほど庶民の生活に役立っているかを、きちんとアピールできなければ、「無礼だ」などと言ってみても始まらない。

それに、報復人事といったって、雇い主の意向に沿って仕事をしなくちゃいけないのは、民間企業も役場も同じはず。庶民感覚では、国民が選んだ政府に反旗を翻す官僚など、とんでもない、ということになるのではないでしょうか。

なんだかんだ言ったところで、共産党の支持率は、自民党の支持率と比較してはるかに少数なのですね。弱い者いじめが良いこととは言えませんけど、この手の対立になったら、強者の戦略はイケイケどんどんが正解。そして、それが通ってしまうのが、この世の中だと思いますよ。

我が国は民主主義なのだから、国民が選んだ政府に従うのが官僚の義務。この分をきっちりとわきまえなくてはいけません。その道理が通らないと、有権者は怒り出しますよ。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<学術会議に推薦されるような人が、平均的日本人から見て、仲間であると思ってもらえるのか、妬み嫉みの対象となるのかと考えると、後者となるケースが多いのではないでしょうか。>

おや、私の認識では前者なんですが。

優れた学者や文化人には素直に敬意を感じるのが自然な成り行きだと思いますよ。

私が瀬尾さんやMinouraさんに敬意を感じるのと同じことです。

<それに、報復人事といったって、雇い主の意向に沿って仕事をしなくちゃいけないのは、民間企業も役場も同じはず。>

公務員は法に従って国民に奉仕するものであり、いくら国民から選挙で選ばれた政治家でも法を曲げた要求には従うべきではありませんよ。

今回の件は任命権の濫用というもので、これは不当な行為だと思います。

これは民間企業でも同じで、法で定められた権限を超えた経営者や上司の要求は不当なものです。

しかも、そうした不当な要求がまかり通る企業はいずれ衰退するか、摘発されるものだと思いますよ。


山下克也

花の ヤン さん

「今回の件は任命権の濫用というもので、これは不当な行為だと思います。

 ・・・6人の学者の皆さんは、法律関係が多いので、時機を見て裁判に訴えられることでしょう。私は楽しみにしてますけどね。


花の ヤン

山下克也 さん

たしかに菅政権がこのまま押し通せば裁判ということになりそうですね。 ただ、私は日本の裁判官を信用していないので、最高裁まで行くとどうなるのかわからないと思っています。

といいますか、菅政権は余計なことをして窮地に陥ったという印象です。 有頂天になる気持ちもわからないではないですが。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

今回の学術会議の問題は、本来、政府に対して助言する機関であるはずの学術会議が、大学に直接号令を発するような行為をしでかしていることでしょう。

それが政府の意向を「忖度」して行っているなら大目に見られるところ、政府の政策に反する方向に行われたら、これは権限の逸脱を問われても致し方ない。

今回の菅総理による任命拒否に関しては、司法の場で決着をつけるのが正しい道だと、私も思いますよ。そして、学術会議の在り方を以下にすべきかは、行政が方向性を打ち出して、立法の場で最終的に決着を付ければよい。単純な話です。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<今回の学術会議の問題は、本来、政府に対して助言する機関であるはずの学術会議が、大学に直接号令を発するような行為をしでかしていることでしょう。>

その「学術会議が大学に直接号令を発する」が具体的にどういうことなのか、それが本当に問題なのか、はわかりませんが、もし本当に問題であっても国会で改正案等を審議する等の手順を踏むべきであり、少なくとも制度改正時の国会答弁で否定されていた「任命拒否」を行う理由にはならないと思います。

<今回の菅総理による任命拒否に関しては、司法の場で決着をつけるのが正しい道だと、私も思いますよ。>

どうですかね。

これだけ明確に1983年の国会答弁に残っている以上、菅政権は明らかに不利ですよ。 違憲立法が論点ではなく、条文解釈において国会の政府答弁よりも司法判断の方が優先されるという事態もおかしな話ですからね。...もっと見る


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

基本的に、法解釈はそれぞれの行動をする人なり組織なりが独自に行うものなのですね。

そして、異なる法解釈が対立した場合にこれを裁定するのが司法の役割です。

現在起こっていることは、まさに法解釈をめぐる対立ですから、これは司法の場に委ねることが正解です。

学術会議の組織の問題に関しては、まずは行政府が判断することであり、問題のある組織をどうするかは、しかるべき法の改正によればよい。後者は立法の府の役割、ということになります。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

一つ追加しておきます。

法解釈の元になるものを「法源」と言いまして、基本的に憲法・法律の条文、政令・条例、判例・慣習などがこれにあたります。

国会答弁に関しては、「立法者の意図」という形で法の条文を解釈する際に参照されることはありますが、これは、法に記述された多義的な文言の意味を特定するなどの目的での参照であって、国会答弁がすなわち法の一部であるかの如くに扱われることはありません。

そんなことが許されるなら、政府は自由に法を決めることができるではないですか! なんだって、好きなように答弁すればよいわけですから。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<現在起こっていることは、まさに法解釈をめぐる対立ですから、これは司法の場に委ねることが正解です。>

それはどうですかね。

私は前述のとおり、その意見に同意しかねます。

<国会答弁に関しては、「立法者の意図」という形で法の条文を解釈する際に参照されることはありますが、これは、法に記述された多義的な文言の意味を特定するなどの目的での参照であって、国会答弁がすなわち法の一部であるかの如くに扱われることはありません。>

これは強弁というものですよ。

議会での答弁は明文化された法規に準じるくらい重大なものですからね。

議会を甘く見てはいけません。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 議会での答弁は明文化された法規に準じるくらい重大なもの

> 議会を甘く見てはいけません。

この二つの文章は、全く逆の意味ですよ。答弁するのは政府だけど、二番目の文章は国会を甘く見てはいけないという意味ですよね。いったいどっちを言いたいのでしょうか。

私の理解では前者が間違っている。政府にそれほど強大な権限を与えてはいけません。一党独裁の共産主義国家じゃないんだから。菅総理が「私の言葉(答弁)が法である」などと言い出したらどうするの? いうわけないけど、、、

我が国の基本は三権分立であって、法律を作るのはあくまで国会の役割。政府はこれに従って(おのれの法解釈により)この国を統治する。そして、法解釈に疑問が生じたとき(異なる法解釈が対立した時)これに解を与えるのが司法、という役割分担なのですね。

それが分かっていれば、違法だ、などといって相手が納得しないなら、司法に解決を委ねるのが普通のやり方であって、議会であれこれ議論しても始まりません。議会でなすべきことは、学術会議をどうするか、という議論なのですね。

それぞれがそれぞれの役割をきちんと果たすこと、これが肝要です。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<この二つの文章は、全く逆の意味ですよ。答弁するのは政府だけど、二番目の文章は国会を甘く見てはいけないという意味ですよね。いったいどっちを言いたいのでしょうか。>

そんなにわかりにくい文章ですか?

「答弁するのは政府だけど」ということですが、答弁する場所は「議会」なんですよ。

つまり、議会での学術会議制度改正案の政府答弁なんですから、この政府答弁をもって制度改正案の概要が議員に理解され議決に至ったというわけです。 したがって、このときの政府答弁は制度改正案の概要を示す重大な意味を持ち、後で簡単にくつがえすことができるような代物ではないのです。

ここまでの説明でご理解いただけたでしょうか?

もし、まだご理解し難いようでしたら、どこがわかりにくいかご指摘願います。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

法は、基本的に、そこに書かれた文言が意味を持ちます。

言葉だけでは不明確である場合に限って国会答弁などで語られた立法者の意図が参照されております。

国会答弁で法の文言をオーバーライトするようなことはあり得ない。それをしたければ法を改正して、法の文言を変更しなくてはいけません。

いずれにしても、法解釈に疑問がある場合には、最終的には司法判断にゆだねるしかない。国会で議論してどうなる問題でもありません。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<国会答弁で法の文言をオーバーライトするようなことはあり得ない。>

おやおや、私はそんなことは言ってませんよ。

簡単にオーバーライトができないのは議会答弁の内容だと述べたまでのことです。 司法判断に委ねるまでもなく、議会答弁ではっきり定義されているわけですから瀬尾さんの主張のとおりにはならないと思います。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

国会答弁で述べられた言葉は、法律とは別の意味で重みがある、これはその通りです。ただし、これは責任あるものの言葉の重みであり、法解釈とは無縁の話です。

つまり、政府が国会答弁において「このようにいたします」と述べた言葉は、約束なり、ある種の契約として、法律とは別の形で政府の行動を制約するということですね。これなら納得です。

そうなりますと、次は、約束なり契約なりはどこまで守られなくてはいけないか、という問題になります。

この点に関しましては、ローマ法あたりをベースに考えたらよいのではないかと思います。つまり「合意は守られなくてはならない」という一般原則の上に、政府は国会答弁に束縛されると考えるべきなのですね。

一方で、ローマ法には「事情変更の原則」、つまり状況の死活的な変化が起きれば、契約を強制することはできない、という原則もあります。こちらをあてはめれば、大きく事情が異なっておれば、政府は必ずしも過去の国会答弁に束縛されない、ということになるのですね。

結局のところ、この40年近くの間に、我が国を取り巻く状況がどの程度変化しているのか。そしてこれらに関わる我が国政府と学術会議の対応にどのような変化が生じたか、という点を議論しなくてはいけないということになるのでしょう。

文字数の制約もありますので結論だけを言えば、劇的変化があったゆえ、政府は過去の国会答弁には制約されないであろう、とここでは述べておきます。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<国会答弁で述べられた言葉は、法律とは別の意味で重みがある、これはその通りです。ただし、これは責任あるものの言葉の重みであり、法解釈とは無縁の話です。>

何度も申し上げたとおり、それは違うと思いますよ。

そして、私がそう考える理由も既に述べています。

といいますか、瀬尾さんが私の説明に納得できないのであれば内閣法制局あたりにお問い合わせすることをお勧めします。

「1983年の国会で学術会議の任免を内閣が拒否できないような政府答弁があったが、これは今でも有効なのか?」と質問すれば返答がもらえると思います。

わざわざ裁判をするのは野暮というものです。

<そうなりますと、次は、約束なり契約なりはどこまで守られなくてはいけないか、という問題になります。>

そうはなりませんから、「約束なり契約なりはどこまで守られなくてはいけないか」は論点にはなりえませんね。

<一方で、ローマ法には「事情変更の原則」、つまり状況の死活的な変化が起きれば、契約を強制することはできない、という原則もあります。>

それを日本の法規にそのまま当てはまると考えるのは無謀というものですよ。

法体系や法適用の考え方は国や時代によってそれぞれ大きく違っているわけですからね。

しかも、それは「契約」であって「法規」ではない点で筋違いです。

といいますか、なんだか私が瀬尾さんに遊ばれているような気分になってきたんですが。

これは真面目な議論ですよね?


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

内閣法制局のスタンスは、任命拒否しないという国会答弁が83年になされており、これを否定する文書は存在しないが、憲法15条との関係で、任命拒否はあり得るということでしょう。

花のヤンさんにお聞きしたい点は、学術会議への推薦に対して任命拒否することは、合法と考えているのか、違法と考えているのかという点で、最初の議論では違法と主張されていたように理解していたのですが、議論が進むにしたがって、国会答弁を変更することがけしからんとの主張に変化しているように見えるのですね。こういう議論のし方は、あまりフェアではありません。

私の主張は以下の通りです。

合法か違法かという点に関しては、国会答弁が法の文言をオーバーライトすることはあり得ないため、違法とはならない。これをずっと書いてきたのですね。

国会答弁の変更に関しては、事情変更の原則により、40年近い過去の国会答弁には束縛されない、と前回書いております。もちろん、この背景にはこの40年近い間の国際情勢の変動があるのですね。

なお、ここでローマ法に触れているのは、他国の法律という意味ではなく、今日の世界の法律の考え方に強い影響を与えている法の原則、という意味で取り上げております。

こうした基本を押さえておかないと、小学生の喧嘩みたいになってしまうのですが、今日の野党の言い分も、似たようなものですから、あまり文句を言えないところです。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<花のヤンさんにお聞きしたい点は、学術会議への推薦に対して任命拒否することは、合法と考えているのか、違法と考えているのかという点で、最初の議論では違法と主張されていたように理解していたのですが、議論が進むにしたがって、国会答弁を変更することがけしからんとの主張に変化しているように見えるのですね。こういう議論のし方は、あまりフェアではありません。>

おや、私は始めから国会答弁を理由にしていたと思っていたのですが。 逆に質問してすみませんが、私が違法であると主張したという部分はどこですか? 具体的に引用して示してください。

それに、私が当初に主張していたことは、菅政権の学術会議任免拒否が「報復人事による官僚支配」を目論んでいると見做されているため、たとえ本当に学術会議の改革を目的としたとしても任免拒否をゴリ押しすることは菅政権のイメージダウンになる、というものです。

たしかに論点がずれてしまったわけですが、瀬尾さんの認識はちょっと違うと思います。

なお、この主張は菅政権の学術会議任免拒否がたとえ合法であっても有効であることを申し添えます。

<合法か違法かという点に関しては、国会答弁が法の文言をオーバーライトすることはあり得ないため、違法とはならない。>

おっしゃることは理解していますよ。

しかし、それは間違った理解だと私は主張しているわけですよ。 つまり、特に政府の国家答弁を修正する手続きをしない限り、その国会答弁は有効であるわけです。

これは議会答弁の基本的な考え方です。

<なお、ここでローマ法に触れているのは、(以下略)>

いや、これは蛇足としか思えませんね。

瀬尾さんの教養にはいつも感服させられていますが、ちょっとこれは筋が違うと思います。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> おや、私は始めから国会答弁を理由にしていたと思っていたのですが。逆に質問してすみませんが、私が違法であると主張したという部分はどこですか? 具体的に引用して示してください。<

いくつか花のヤンさんのコメントを引用しておきます。そもそもは、山下氏の返信に対する返信から議論が始まったものと私は理解しております。「裁判」という言葉が出ているように、この議論、明らかに法律の議論ですよね。

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山下克也 さん

たしかに菅政権がこのまま押し通せば裁判ということになりそうですね。

ただ、私は日本の裁判官を信用していないので、最高裁まで行くとどうなるのかわからないと思っています。

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<今回の菅総理による任命拒否に関しては、司法の場で決着をつけるのが正しい道だと、私も思いますよ。>

どうですかね。

これだけ明確に1983年の国会答弁に残っている以上、菅政権は明らかに不利ですよ。

違憲立法が論点ではなく、条文解釈において国会の政府答弁よりも司法判断の方が優先されるという事態もおかしな話ですからね。

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司法の場での判断とは、合法・違法の判断以外にないでしょう。

なお、ローマ法の「事情変更の原則」は、今日でも様々な局面で参照される原則で、学術会議の問題に関していえば、40年近くも昔の国会答弁が今日引き続き有効であるか否かに関して、当時と今日の国際情勢が大きく異なるがゆえに意味を失ったといった議論に際して参照するにふさわしい原則だと思いますよ。

法律というものは、適当に国会で議決したからできたというようなものではなく、長い人類の歴史の中で形成されてきたものであって、その根底にはローマ法がある。その精神は、今日も脈々と引き継がれております。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<「裁判」という言葉が出ているように、この議論、明らかに法律の議論ですよね。>

おや、瀬尾さんが引用したいずれも私は政府答弁を理由に述べていますよ。

そうなると、瀬尾さんが述べた「花のヤンさんにお聞きしたい点は、学術会議への推薦に対して任命拒否することは、合法と考えているのか、違法と考えているのかという点で、最初の議論では違法と主張されていたように理解していたのですが、議論が進むにしたがって、国会答弁を変更することがけしからんとの主張に変化しているように見えるのですね。こういう議論のし方は、あまりフェアではありません。」がうまく繋がらないように思えます。

いずれも政府答弁を理由にしていたのですから、「最初の議論では違法と主張されていたように理解していたのですが、議論が進むにしたがって、国会答弁を変更することがけしからんとの主張に変化しているように見えるのですね。」というような主張の変化はなかったわけですし、まして「こういう議論のし方は、あまりフェアではありません。」と言われるようなことでもないと思いますが、いかがでしょうか?


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<なお、ローマ法の「事情変更の原則」は、今日でも様々な局面で参照される原則で、学術会議の問題に関していえば、40年近くも昔の国会答弁が今日引き続き有効であるか否かに関して、当時と今日の国際情勢が大きく異なるがゆえに意味を失ったといった議論に際して参照するにふさわしい原則だと思いますよ。>

この主張には私は否定的見解です。

先の投稿でも述べましたように、法運用について「特に政府の国家答弁を修正する手続きをしない限り、その国会答弁は有効である」というわけですからね。

といいますか、「ローマ法の『事情変更の原則』」の辺りの主張はどうしても真面目な話とは私には思えませんね。

やはり、「事情変更の原則」は「契約」のことであって、「法規」に適用されるものではないように思えます。

せっかくですから、日本の法律に「事情変更の原則」が適用されるという証拠を示していただけないでしょうか。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

法の話と国会答弁の話とは、きっちり分けて議論しなければいけません。

法律の制定時に、意味の不明確な文言や文章があれば、その意味を国会答弁で解説する。これが立法者の意思で、法解釈を規定するものです。

一方、法に従ってなされる行政をどのように行うかという、施政方針に関する国会答弁であれば、これは政府と国民の代表足る国会議員の間の約束であり、契約と同種の行為なのですね。

前者は法の文言と同様の効果を有し、これを変更するためには法改正が必要ですが、後者は特定の状況下での政府の施政方針を説明したものであり、国会答弁である以上、政府の行動を束縛するものではあるのですが、大きな事情変更があれば、これを変更することは問題ない、ということなのですね。

このスレッドの最初で、司法判断云々の話がなされましたが、ここに影響するのは前者であり、花のヤンさんが話されている形での国会答弁であれば、法解釈には影響を与えず、事情変更の原則に従って40年近い時代の流れで国際情勢が大きく変化する中で効力を失っていると見なされる、ということなのですね。

議論するときには、何を語っているのか、きちんと意識して行わなくてはいけません。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<前者は法の文言と同様の効果を有し、これを変更するためには法改正が必要ですが、後者は特定の状況下での政府の施政方針を説明したものであり、国会答弁である以上、政府の行動を束縛するものではあるのですが、大きな事情変更があれば、これを変更することは問題ない、ということなのですね。>

おや、その変更にはしかるべき手続きが必要ですよ。

<このスレッドの最初で、司法判断云々の話がなされましたが、ここに影響するのは前者であり、花のヤンさんが話されている形での国会答弁であれば、法解釈には影響を与えず、事情変更の原則に従って40年近い時代の流れで国際情勢が大きく変化する中で効力を失っていると見なされる、ということなのですね。>

この主張には同意しかねますね。

たとえ情勢に合わなくなっても変更するには手続きが必要ですからね。

手続きがなければ、たとえ情勢に合わなくても政府答弁は有効です。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

| その変更にはしかるべき手続きが必要

これがどちらの変更かが問題なのですが、事情変更の原則によるなら手続きは不要で、これは政府が施政方針を説明する国会答弁に対して適用されます。

施政方針の変更など、事情が変わればいつでも行われております。たとえば、今日ではデフレが問題なのですが、これが狂乱物価の時代であれば、物価の上昇するような施策をやるようなことはあり得ないわけで、国会で何を述べていようとも、状況に応じて臨機応変に施策を変えていくことがむしろ推奨されるのですね。

一方で、法の意味を規定する国会答弁であるなら、その変更には法改正が必要です。ですから、そのいずれであるのかが問題となります。

そこで、今回の任命権に関してはどうか、という議論になるのですが、法の文言に「任命する」と明記されており、さらに憲法15条の公務員の任命に関わる規定もあることから、この任命権は国会答弁に関わらず制約を受けるものではなく、任命が形式的であるかのごとき説明がなされた国会答弁は当時の政府方針を示したものと解釈するしかありません。

以上の議論は、一般原則と憲法などの定めといった根拠を提示して行っており、花のヤンさんの同意に関わらず有効であることは、論旨を追っていただけば、ご理解されるでしょう。これを否定されるなら、しかるべき根拠を提示していただきたいと思います。

ローマ法みたいな、一般原則でも良いですから、、、


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<これがどちらの変更かが問題なのですが、事情変更の原則によるなら手続きは不要で、これは政府が施政方針を説明する国会答弁に対して適用されます。>

さすがにこれは同意しかねますね。

1983年の学術会議の法改正の政府答弁は制度設計の説明にあたりますから、施策方針の政府答弁とは性質が異なります。

<任命が形式的であるかのごとき説明がなされた国会答弁は当時の政府方針を示したものと解釈するしかありません。>

これは政府方針ではなく制度設計の説明と理解するべきですよ。

<これを否定されるなら、しかるべき根拠を提示していただきたいと思います。>

それこそ、私が先に質問した「せっかくですから、日本の法律に「事情変更の原則」が適用されるという証拠を示していただけないでしょうか。」にお答えするべきではありませんか?


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

制度設計といったって、その結果つくられるものは法律であり、これが国会の機能であるわけですね。法律は、基本的に、書かれた文言がまず効果を持つわけで、不明瞭な部分が国会答弁で捕捉されることはあっても、書かれてもいないことまで国会答弁で補正することはあってはならないことです。

で、任命権に関しては、条文に明確に書かれているうえ、憲法15条との関係からこれを失うことはあり得ず、国会答弁で法律が書き換えられることはない。つまり、国会答弁に関わらず、任命権は依然として存在すると考えるしかない。

ではあの答弁は何かということになると、これは、政府の施政方針を述べていると解釈するしかなく、施政方針は、時々の状況により変化しうるものなのですね。

これにつきましては、デフレ・インフレ政策を例に簡単に述べていますが、政府の施政方針が国会で語られたからといって、事情が変化した際にもこれを変えちゃいけないなどということは、常識的に考えてあり得ないのではないですか?

同じことを何度も語っているような気がするのですが、、、お判りいただけませんかね?


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

追加です。

> 日本の法律に「事情変更の原則」が適用されるという証拠を示していただけないでしょうか。」<

またご無体なことを。法律の話をしているのか、国会答弁の話をしているのか、ハッキリさせていただけませんかね。

法律として定められたものは、法律を改正しなくてはいけませんよ。でも、あの国会答弁で法律が書き換えられたということはあり得ない。国会答弁で法律を補足できるのは、意味不明瞭な部分を明確化する程度のことなのですね。

今回は、任命権と明記されているうえ、憲法15条との関係から任命権の放棄もできない。だから、今回の問題は法律の問題ではない。ここまではよろしいですよね。

そうなると、国会答弁で述べたことは、事情が変わっても、一切勝手に変更することはままならぬ、というご主張なのでしょうか。

そんな原則は、どこに定められているのでしょうか。

まあ、普通に、言っていることがころころ変わったら信用できないし、議論も成り立たない。だから、国会で答弁した内容は、そうそう簡単に変えてはいけない。だけど、事情が変わったらこの限りではない。

子供に遊園地に連れていくという約束をしたといっても、急な仕事が入ってしまったら、また今度ね、ということになるでしょ。それが事情変更の原則の卑近な例なのですね。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

制度設計といったって、その結果つくられるものは法律であり、これが国会の機能であるわけですね。法律は、基本的に、書かれた文言がまず効果を持つわけで、不明瞭な部分が国会答弁で捕捉されることはあっても、書かれてもいないことまで国会答弁で補正することはあってはならないことです。>

<これにつきましては、デフレ・インフレ政策を例に簡単に述べていますが、(以下略)>

それは違うと思いますよ。

1983年の政府答弁により学術会議法の「法解釈」が議事録に残ったわけです。

法解釈は原則として変更しませんし、その後に法改正等の手続きもなかったことから、瀬尾さんの主張のとおりにはならないと思います。

<で、任命権に関しては、条文に明確に書かれているうえ、憲法15条との関係からこれを失うことはあり得ず、国会答弁で法律が書き換えられることはない。>

それはどうですかね。

逆に、学術会議法には「任命を拒否することができる」ことが定義されていませんからね。

しかも、1983年の政府答弁とは確実に任免拒否は反しますから、やはり任免拒否を正当化するのは難しいでしょう。

ここで質問ですが、この件について「憲法15条」がどう関わってくるのかご説明願えないでしょうか?


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<またご無体なことを。法律の話をしているのか、国会答弁の話をしているのか、ハッキリさせていただけませんかね。>

日本の法律一般のことですよ。

瀬尾さんが「事情変更の原則」を日本の法律にできようなことをおっしゃったわけですから、本当にそうなのか好奇心を刺激されたのです。

<そうなると、国会答弁で述べたことは、事情が変わっても、一切勝手に変更することはままならぬ、というご主張なのでしょうか。>

それこそ「勝手に」は原則的に駄目と言われますよ。

しかも、学術会議委員の任免というものは、国会を通さずに変更しなければならないほど急ぐ案件とは思えませんから、瀬尾さんの主張には無理があると思います。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

憲法15条に関しては、以下の部分が関係します。

「条文 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」

ここで、国民の権利を代表するのが内閣総理大臣であるわけですから、彼がもつ任命権を放棄することは できない相談です。

今回の問題は、40年近く前に、それを放棄したがごとき国会答弁がおこなわれたにもかかわらず、菅総理が任命権を行使したことが問題視されているのですね。

そして、その40年近く前の国会答弁によって法の意味する「任命する」という部分が純粋に形式的な行為になっていたとするなら、菅総理の行為は法の規定に反する、ということになります。

任命拒否を非難されている方は、このようなご主張をされているのですよね。

でも、この国会答弁が法律の文言を規定するものではなく、単に政府の行動方針を示したものである可能性もあり、そのいずれであるかの判断が必要になるわけです。

その判断の決め手となるのが、15条の規定で、総理は公務員の任命権を放棄することができないがゆえに、40年近く前の国会答弁が法の規定を変化させたものではないと見なすことができるわけです。

で、この答弁が政府の方針を述べたものであるなら、この方針を打ち立てた背景にある諸事情が変化すれば、この方針もまた変化することはやむを得ない。

法の規定を変えるには一定の手続きが必要ですが、状況変化を受けて政府が方針を変えることは、特段の手続きを要求されない。こんな変更は、しばしば行われているのですね。

以前、デフレインフレの例をあげましたが、民主党政権時代の、ダムをつくるの造らないのといった方針変更だってそうでしょ。こんなことは、別に珍しいことではありません。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<ここで、国民の権利を代表するのが内閣総理大臣であるわけですから、彼がもつ任命権を放棄することは できない相談です。 >

おや、国民の権利を代表する者が内閣総理大臣とする部分が根拠として曖昧ですね。 内閣総理大臣も代表が誰であるかも明記されていませんし、この部分は確立された共通認識とは言えないのではありませんか?

といいますか、通常ならば国家公務員法等の個別の法律で任命権が明記されているため憲法を持ち出す必要がないのに対し、この場合について憲法を持ち出すのはどうかと思います。

しかも、学術会議について学術会議法で任命権が明記され、法解釈も1983年の政府答弁が議事録に残っていますから、コンセンサスを得ていない憲法解釈を今から適用するよりは、従来の運用どおり「学術会議から推薦された委員の任命拒否はできない」とした方が良いと思います。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

長々と議論してまいりましたが、同じ話を繰り返していても仕方がありませんのでこの辺で止めておきます。

基本的に、我が国の政治体制がどうなっているかという点について、憲法その他が規定するこの国の構成をきちんと(批判材料としてではなく)把握されることが肝要かと思います。

結論から言えば、三権分立がその基本で、それぞれの役割がきちんと決まっている。花のヤンさんがいろいろと思うことは勝手なのですが、それが通る可能性は低いであろうと指摘しておきます。

法解釈に関しては、司法の役割であり、学術会議サイドで総理の行為が違法であると判断されるなら、これを総理サイドに伝えて対処を求めることは妥当な行為ですけど、それが受け入れられない場合は司法判断にゆだねるしかない。そうせずに済ませることはすなわち、総理の判断を受け入れることに他ならないわけです。

学術会議に関しては、内閣への助言が本来の業務であり、その意思に反して大学などに直接号令を下すことは越権行為であるわけです。したがって、これが許容されるのは内閣がこれを大目に見ている限りであり、いつこれにNOという判断が下ってもおかしくはないところでした。それが今起こった、というわけですね。

いずれにせよ現在ボールは学術会議サイドにあるわけで、これからどうするか、われわれは事態の推移を見守るしかありません。

1 thought on “早川忠孝氏の10/24付けBLOGOS記事「日本学術会議の事務局にメスを入れるだけ?自民党の皆さんは、変な方向に全力で走っているようだが・・」へのコメント

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