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中村ゆきつぐ氏の11/11付けBLOGOS記事「コロナ対策と自殺 どっちも減らしたい」へのコメント

中村ゆきつぐ氏の11/11付けBLOGOS記事「コロナ対策と自殺 どっちも減らしたい」にコメントしました。


経済的理由により死を選ぶ人が多いことは事実なのでしょう。しかしこれは、国民に健康で文化的生活を保障している日本国憲法を考えると、少々おかしい。我が国の福祉制度のどこかに問題があるのですね。

結局のところ、我が国には生活保護制度がある。だけど、生活保護を受けるくらいなら死んだほうがまし、と考える人が多いということなのでしょう。そんな制度であるならば、この制度を変えていくことをまず考えなくてはいけません。経済の悪化する要因は、コロナ以外にも多々あるわけですから。

結局のところ、今日の生活保護は、それが国民の持つ当然の権利であるにもかかわらず、受給者のプライドを傷つける面があるということでしょう。その一つの理由は、資産のすべてを処理した後でなければ保護が受けられない。

これを解決する制度として考えられているのは、負の所得税なりベーシックインカムといった制度であり、いっさいの条件を伴うことなく、全国民に一定の所得を与えるという制度なのですね。もちろんその分、税金を上げる形で、平均的な国民は給付と増税分が打ち消す程度、富裕者の場合は増税が勝る程度として、国の収支をバランスさせなくてはいけないのですが。


返信を付けておきました。

瀬尾 雄三

もう一つの側面をご紹介しておきます。

感染症の数理モデルは、多くの人に理解されているとはいいがたいのですが、多くの自然現象・社会現象が凹部にあるボールのように、安定な点に戻ろうとする性質を持つ(オートポイエーシス的である)のに対して、感染症は凸部の頂点にあるボールのように、バランスが崩れるとどんどんとバランスの崩れが拡大する性質を持つ(カタストロフィックな)のですね。

前者は、量的拡大が拡大にブレーキをかける負帰還を持つのに対し、後者は量の大きさが拡大を促進する正帰還を持つ。感染症は、感染者が新たな感染者を発生させるため、正帰還的性質を持つのですね。

だから、この手のシステムに中庸ということはあり得ない。拡大がとことん進むか、完全消滅を狙うかのどちらしかない。これは、実効再生産数が1を上回るか下回るかの違いで、実効再生産数の1からの解離の大きさは速度に影響するものの、最終的な状態は、消滅(1未満)か、大多数の感染(1以上)の二通りしかないのですね。

だから、対策の大前提は、実効再生産数は1未満にしないといけない。これが1以上である場合は、遅かれ早かれ、社会全体に感染が拡大してしまう。状況は悪化するしかないのですね。

実効再生産数が1未満に保たれるなら、あとは減少速度をどうするかという問題であり、厳しい対処で早期の終焉を目指すか、経済に優しい緩い対処で気長に消滅を俟つかの選択ということになります。もちろん後者の場合も、実効再生産数を1以上にしてしまうと事態は悪化するだけですから、おのずと限界はあります。

まあ、多少感染が拡大しても、最大2年程度をこらえれば、ワクチンや特効薬ができることも期待できますので、そういう手もないわけではない。

少なくとも、中庸という状態はあり得ないことだけは心しなくてはいけません。


Toshimi Minoura

> 多くの自然現象・社会現象が凹部にあるボールのように、安定な点に戻ろうとする性質を持つ

大半の自然現象・社会現象もカタストロフィックです。

Wikipedia には次の様な解説があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/カオス理論

カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sensitivity to initial conditions)である[19][20][注 1]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指数関数的にその差が大きくなる性質である[5]。

初期値鋭敏性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しようとしても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる[28][25][26]。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)[25]や予測不可能性(unpredictablity)[28]などとも呼ばれる。一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる[29][14]。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。

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自然現象の例としては、火山の生成と噴火、谷川の生成、川の蛇行、地震の発生、松の木の枝ぶりなどがあります。社会的現象については、日本の歴史が繰り返されたとして、江戸幕府ができた確率はどれほどか考えてください。

カオス的現象も、ある程度進行すれば将来の予測が可能です。また、火山の噴火とか地震の発生は、「安定な点に戻ろうとするもの」です。しかしそれがいつ起きるかについては、カオス的です。


瀬尾 雄三

Toshimi Minoura さん

| 大半の自然現象・社会現象もカタストロフィックです。

そりゃ、最近になって注目されたのがそういう現象だということで、元々はルーマンの社会システム論やウィナーのサイバネティクスが描き出す安定したシステムが基本だったのですね。まあ、これとても不安定化することはあるのだが、、、

雪崩や積乱雲やバブルの崩壊は昔からあったけど、それが論理化されたのが(30年くらい前も含めた)最近だから、話題としては盛り上がっているわけですが、、、

いずれにせよ、ここで言いたいことは、どちらが主流かということではなく、現象には安定なものと不安定なものがあって、感染は不安定な現象だということなのですね。

パンデミックもオール・オア・ナッシングが基本。適当なところで落ち着かせるということは、ほとんど不可能に近いのですね。ウィズ・コロナなんて言っている人には、そこのところをちょっと考えてもらいたいのですね。

1 thoughts on “中村ゆきつぐ氏の11/11付けBLOGOS記事「コロナ対策と自殺 どっちも減らしたい」へのコメント

  1. mi.mino

    生活保護はとりあえず断るというのが問題だと思います。自助も共助も考えにくい状況にあるからこそ公助である生活保護に頼るのです。こういうことをするから民主党や共産党に突っ込まれるのです。

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