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文春オンライン(広野真嗣氏)の12/5付けBLOGOS記事「『日本モデルに再現性はない』コロナ民間臨調“460ページ報告書”に記された真実」へのコメント

文春オンライン(広野真嗣氏)の12/5付けBLOGOS記事「『日本モデルに再現性はない』コロナ民間臨調“460ページ報告書”に記された真実」にコメントしました。


5月末には感染が一旦は収束に向かったのは事実だ。

ここまでは結果オーライだったのですね。問題は、その先です。6月に入って、特に下旬ぐらいから再び感染者が増加した。これにきちんと対応できなかったことが、第一波の優れた対応を台無しにしてしまいました。

つまり、5月末から6月初めにかけて減らした感染者数を、低いままに保てれば、経済も回復することができたのですが、6月末からの第二波で、再び日本は多くの感染者を抱えるようになった。

感染者は感染の原因になるわけですから、感染者が多いということは感染リスクが高いということ。人々の活動を制約せざるを得ないのですね。

そして、コロナウィルスの活動が鈍る、せっかくの暑い時期に、感染者数を十分に下げることができなかった。これが今問題になっている第三波の下地になってしまったのですね。

経済の重要性はわかるのですが、感染者数が多くては人々の活動を制約せざるを得ない。逆に感染者が少ないなら、人々が自由に出歩いても感染リスクは極めて低いのですね。何しろ、感染者に出会う可能性が低いわけですから。

これらの動きを総括すれば、結局のところ、5月まではうまいことやった、でも6月以降に大失敗した、ということでしょう。6月には問題の所在もわかっていたにもかかわらずにそうしてしまったのですね。

つまり、「夜の街」という言葉に代表される濃厚接触業界を抑制できておれば、第二波も、第三波も防げた可能性が高い。もしこれができていれば、経済活動もかなりのレベルまで再開できていたということを考えれば、小さなものを守るために失ったものが極めて大きいことに愕然と致します。

まったく、何を考えていたのやら、、、


12/6:追記しました。

誤解されているようなので追記しておきます。

感染者数を低いままに保つということは、コロナへの対応コストを低く保つてるということを意味します。だから、感染者が少なければ、経済を有効に回せる。逆に、感染者が増えてしまったら、経済活動は制約を受けてしまう、これが現実なのですね。

これは、普通の社会現象とは逆であるため、誤解を招きやすいという側面があります。

たとえば、犯罪の防止であれば、警備を強化することで犯罪件数を抑制することができるのですが、犯罪件数を少なくしようとするとコストが際限なく増加する。でも、感染症の場合は、感染者が感染の原因となるため、感染者数を少なく保てば保つだけ、コストも低く抑えることができるのですね。

新型コロナは、普通のインフルエンザと異なり、人から人への感染がほとんど全てだという点も注目しなくてはいけません。普通のインフルエンザは、鳥がウィルスを媒介するため、感染者をいくら減らしても、患者の発生をゼロにすることはできない。この点が全然違うのですね。だから、普通のインフルエンザで感染防止に多大なコストをかけることは、ペイしないのですね。

結局のところ、5月に達成されたコロナ抑制成功の後にすべきことは、新たな感染者の発生を、小規模な段階で抑制するということだったのですね。具体的には、夜の街での感染拡大を早期に抑えるべきでした。

感染者が少ない段階であれば、医療関係者にも余裕がある。クラスター対策も十分にできたはずだったのですね。

今、医療関係者が大変だというのは、感染者が多いからであって、そうなると感染防止にも手が回らなくなる。その逆をやればよかった、というわけです。

簡単な話だと思うのですが、、、

1 thought on “文春オンライン(広野真嗣氏)の12/5付けBLOGOS記事「『日本モデルに再現性はない』コロナ民間臨調“460ページ報告書”に記された真実」へのコメント

  1. mi.mino

    やっぱりポイントはGOTOトラベルだった。
    GOTOは感染が収まった後の景気浮揚策だったはず。
    なのに感染拡大中にやってしまったためこのような始末になった。

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