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田近昌也氏の1/29付けBLOGOS記事「『高い民度』指摘も “独自路線”スウェーデンから見る日本の新型コロナ対策」へのコメント

田近昌也氏の1/29付けBLOGOS記事「『高い民度』指摘も “独自路線”スウェーデンから見る日本の新型コロナ対策」にコメントしました。


この一連の記事では言及されていないのですが、スウェーデンと日本は、今現在のコロナ対応はよく似ているのですが、それ以前のスウェーデンは感染拡大を容認する戦略をとっており、その結果として、この両国では累積の感染者も死者も全然異なります。

これは、感染により多くの人が抗体をもてば感染拡大は収束するという考え方に加え、日本を含む他国との最大の違いとして、(コロナに限らず)高齢者に死者が出ることを容認するという、医療に関する国民の意識の違いがあったと、私は理解しております。

その後、感染者の急増により医療崩壊の危機に至り、さすがのスウェーデン当局もこの戦略が失敗であったことを認め、コロナの感染拡大を阻止する方向に転じた、というのが実情です。現在までの100万人あたりの感染者数は日本の3,000人に対してスウェーデンの55,000人、同じく死者数は日本の43人に対して1,140人と、けた違いに多くなっております。

この違いが生じた大きな理由は、スウェーデンが理想を追う社会であったことではないか、と私は疑っております。いずれは全員が抗体を持つというのは理屈ではその通りだし、年寄りはいずれ死ぬのも自然な姿なのですね。でもそこに至る道が、とうてい人々に受け入れられないものである。これは、感覚的にはわかるのだけど、理屈ではなかなかそこまで達することが難しい。

理想を追い求めて抑圧される人間性については、「近代の陥穽」などという言葉でも語られますし、バーリンの「イデオロギーは人間の理想を鼓舞する一方、人間性をおとしめたり抑圧したりする、この問題については、19世紀の最も鋭い社会思想家でさえ誰一人として予言していない」との言葉に関しては、青木保氏が彼の著「多文化世界」の中で指摘されております。この問題が、スウェーデンと日本を含むアジア世界との大きな差を生み出したのではないでしょうか。

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