コンテンツへスキップ

青山まさゆき氏の2/2付けBLOGOS記事「改めて確認。緊急事態宣言の目的はZEROコロナではない。」へのコメント

青山まさゆき氏の2/2付けBLOGOS記事「改めて確認。緊急事態宣言の目的はZEROコロナではない。」にコメントしました。


新型コロナウイルスに関しては、未知の部分が多いため確定的なことは言えないのですが、感染が、「人から人への感染」に限定され「自然界でのウイルスの増殖とその人への感染」が生じないのであれば、ゼロコロナは原理的にあり得ると考えられます。

感染メカニズムを非常に簡略化し離散化すると、世代Nの感染者X(N)は、これに感染させた前の世代の感染者X(N-1)に実効再生産数R(t)を掛けた「人から人への感染」によるものと、自然界からの感染Y(t)の和として与えられます。ここで、R(t)とY(t)は、時間とともに変動しますが、おおむね一定値と考えることにします。

X(N) = R(t) X(N-1) + Y(t)、ここで、Y(t)がゼロで、R(t)が1未満であれば、世代の繰り返しに伴いX(N+k)は徐々に減少し、いずれはゼロになるというわけです。

自然界でウイルスが増殖するようなことがありますと、Y(t)は有限の値を保ち、これからの感染が常に発生することになります。普通のインフルエンザなどはそういう状況になっているのですが、新型コロナに関してもデンマークで飼育されていたミンクが感染して逃げ出し、これが野生化する恐れが指摘されております。また、社会のいずれかの部分に感染者が温存されるようなことがありますと、同様の効果が生じてしまいます。

後者に関して、世界各国がゼロコロナを達成したとしても、どこかにこれに失敗した国がありますと、そこが新型コロナの感染源になり続けます。一国内でも特定の集団にウイルスが温存されますと同じ現象が起こるはずです。さしあたりは、すべての国のすべての場所で、ゼロコロナを目指すべきではないでしょうか。


返信がついております。

加藤洋行

>さしあたりは、すべての国のすべての場所で、ゼロコロナを目指すべきではないでしょうか。

その必要はない。SARSは収束宣言が出たが、MERSは出ていない。それでも人々は幸せに暮らしていた。新型コロナも人々が気にしなくなれば、それは収束したのと同じこと。コロナ脳だけ、一生コロナのことを考えていればいい。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

> 新型コロナも人々が気にしなくなれば、それは収束したのと同じこと。

素晴らしい、バークリーですね。Wikipediaによりますとバークリーは「存在することは知覚されることである」(羅: Esse percipi est、英: To be is to be perceived )と主張しております。

たしかに医学が発達する以前は、人々は今日ほど、病原菌を恐れたりしませんでした。やれコレステロールだ中性脂肪だなど、余計なことを気にするようになったのも最近の話で、そういうことを気にさえしなければ美食三昧酒池肉林で幸せな人生が送れたのでしょう。

でも、そうした健康にかかわるこまごましたことを気にするようになったから、人々は健康で長生きできるようになった。人々が気にしないことを考えてみることも、より良い人生を送る一助になると思いますよ。


加藤洋行

瀬尾 雄三

>でも、そうした健康にかかわるこまごましたことを気にするようになったから、人々は健康で長生きできるようになった。

立憲民主党の議員さんは生活習慣病を軽視したため、コロナで亡くなりましたけどね。


加藤洋行

瀬尾 雄三

ボクが一番思うのは交通事故です。年間3000から4000人が交通事故で24時間以内に亡くなっている。だけど外出自粛しろとか、自動車をゼロにしろ、という人はいない。リスクとしては認識しているが、許容しているのです。交通事故を含めて高齢者には様々なリスクがある。なのになぜコロナだけ怖がるのか、本当に理解不能です。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

交通事故にしたって、目指すは事故ゼロですよ。

すぐにできるかといえば、それは難しいですけど、少なくとも事故ゼロを目指して、そこら中にガードレールを設け、信号機を設け、高齢者には免許返納を呼びかけ、酒気帯び運転やスピード違反の取り締まりをし、ぶつけても安全な車体を開発し、シートベルトを付けさせ、エアバッグを装着し、事故を避ける機能を持つ自動車を開発し、いずれは自動運転までしてしまおう、としているわけですね。

まあ、これほどのことまでを新型コロナにせよとは言いませんけど、事故ゼロが目指すべき目標であることだけは確かでしょう。


加藤洋行

瀬尾 雄三

>交通事故にしたって、目指すは事故ゼロですよ。

違いますね。限られた予算の中で、交通事故の件数を減らすことが目的であって、ゼロにするのは目的じゃない。コンピュータプログラムのテストでも同様、バグを減らすことが目的であって、バグゼロにするのは目的ではない。それを理解できない人が実に多い。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

目標:目指す方向、その目印

目的:到達すべき状態

違い、判りますか? 死亡ゼロを目指さなくてはいけないのは当たり前だけど、そうそうすぐには、死亡ゼロになど到達しえないことはわかっている。ならば、本年度は死者3,000人以下にしましょう、そのためにはこうしましょうという話になれば、3,000人以下にすることが目的となります。


加藤洋行

瀬尾 雄三

企業の「売上目標」は達成しなくても大丈夫なんですか?言葉遊びは結構です。たとえコロナや交通事故がゼロになっても、高齢者は風呂場で転んだり、餅をノドにつまらせて死んじゃうことがあります。どうぞご自愛ください。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

さいしょから「目指すべき方向」の話をしているのですけどね。「目標」という言葉にしても「目指すべき目標」としているでしょ。このスレッドを読み直していただければわかると思いますが。

議論に際しては、言葉の意味に関して共通認識がないとコミュニケーションが成り立ちません。これは、言葉遊びなどというものではなく、学問の前提条件なのですね。

それから、捨てぜりふみたいな物言いは、みっともないから、おやめになった方が良いと思いますよ。小学生の喧嘩じゃないのだから。


加藤洋行

瀬尾 雄三

コロナ以外の要因で人が亡くなるのは事実です。結局、コロナにばかり目が行って、その他のリスクが見えていない。「ゼロコロナを目指せ」も同様。そのために、どれだけの経済的ダメージを負うか、見えていない。経済的なダメージが人命につながるのも見えていない。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

新型コロナの場合は、今のところ、人から人への感染だけで、自然界からの移入は(最初があるからゼロではないのですが)無視し得る程度と考えられています。

この場合は、再生産数が1より多ければ拡大再生産となって感染者が増える一方、1より小さければ縮小再生産となって感染者は減少し続けるのですね。オールオアナッシング、といいますか、、、

国民の多くが感染するような状況下では、経済どころではない。これを避けるためには、縮小再生産が条件となるのですが、無理のない範囲で縮小再生産を続ければいずれはゼロになる。目標をゼロに置くのは合理的なのですね。

目指すだけならタダ。要はやり方を考えればよい。目指さなければ何も始まりません。高知県大豊町の杉の大杉に「日本一の歌手になれるように」と願をかけた美空ひばりさんみたいな話で、やって損なことは何一つないのですね。

1 thought on “青山まさゆき氏の2/2付けBLOGOS記事「改めて確認。緊急事態宣言の目的はZEROコロナではない。」へのコメント

  1. mi.mino

    ZEROコロナとかいう言葉を使ってはいけません。
    リスクを管理するだけの話なのに極端な話になってしまいます。

コメントは停止中です。