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内藤忍氏の3/27付けBLOGOS記事「幸福度ランキング世界56位の日本人が、幸せに生きる方法」へのコメント

内藤忍氏の3/27付けBLOGOS記事「幸福度ランキング世界56位の日本人が、幸せに生きる方法」にコメントしました。


三丁目の夕日ではないけど、幸福というものは相対的なもので、今日から見れば不幸な境遇でも、昨日よりも今日がより良く、明日はもっと良くなるという確信が持てれば、それは幸福というものなのですね。その「良い」は、必ずしも経済的なものではなく、心を寄せていた人と結ばれたり、子供が成長したりといった、個人の生活や人々の成長の過程にも様々なプラスがあって、それぞれに幸せを感じるわけです。でも、国全体の幸福感で評価する際には、これら個人的な要素は無視され、経済的要素を中心に議論すればよいはずです。

我が国のおかれた経済的状況は、経済成長の停滞やデフレというところまでは各国共通なのですが、実は、名目賃金の下方硬直性が失われているという点が他国に対する日本の特徴的な点で、変化よりも生活水準の低下を受け入れてしまっている。これでは、幸福感が失われるのはあたりまえのことなのですね。

発展途上国では、経済が成長し、日々生活が豊かになるわけですから、多くの人が幸福感をいだくのも当然ですし、北欧の小国が技術革命にうまく対応して日々の生活が(たぶん便利に)変化する様を見れば、それなりの幸福感を感じるのも不思議ではありません。

そうであるなら、我が国の人びとが幸せになる道は、硬直化した社会制度を捨てて変化する道を選ぶこと。まあ、こんなことはわかりきった話だと思うのですが、その一歩を踏み出すことがなかなか難しいのが問題なのですね。ここは、働かないおじさんを何とかせよといったところでどうなるわけでもなく、プラスサイドから攻めるしかなさそうです。たとえば、ベーシックインカムなどのセーフティネットを整備して、若い人がチャレンジしやすくするなどの方向が良いかもしれません。

壁に穴が空けば、その先は、何とかなるのではないかと思いますよ。なだれ現象が起こる、それが普通の社会的変化というものです。


返信がついております。

花の ヤン

<たとえば、ベーシックインカムなどのセーフティネットを整備して、若い人がチャレンジしやすくするなどの方向が良いかもしれません。>

幸福という観点からも、私はベーシックインカムには否定的見解ですね。

人が幸福である条件の一つは「自己を肯定できること」だと私は考えているのですが、はたしてベーシックインカムでは自己を肯定できる自信が育つのか疑問です。

いわば、「福祉制度によって生かされている」ような状態でははたしてそれができるのでしょうか?

やはり、名目上であっても自分の力で働いて収入を得ているという形である方が自己を肯定できると思います。 つまり、たとえ無能であっても安定した雇用制度のもとで技能を習得できて生活する上で十分な収入があるべきだと思いますし、そのためには終身雇用制度や年功序列賃金制度が有効だと思うのです。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

ベーシックインカムは、働いて収入があろうとも得られますので、「自分の力で働いて収入を得ているという形」は不可能ではない。さらに良い点は、ベーシックインカムが加わることで低い給与でも生活できますので、働く機会はより拡大するはずです。

無能なものも雇い続けなくてはいけない雇用制度は、新しい業態へのシフトを阻害し、企業の体質を弱体化させる。そうして我が国の多くの企業が弱体化する一方で、Googleやアマゾンが我が国でも多くの収益を上げる。これでは、日本という国までが弱体化してしまいます。

「福祉制度によって生かされている」ような状態では自己を肯定することは難しい。当然です。だから、普通の感覚をもった人なら、何かを始めようとする。安い給与で働く人も多いでしょうけど、たとえ一部であっても、ジャンクフードで腹を満たしながら新しい技術にチャレンジする人たちが出てきたら、それは素晴らしいことなのですね。

米国の情報革命は、そういう形で始まった。我が国でもそうしたことを可能にしなくてはいけない。安定した雇用制度の下でぬくぬくと生きている無能な人材が、このような人たちの可能性を奪うなどということは、すぐにでも止めさせなければいけないのですね。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<さらに良い点は、ベーシックインカムが加わることで低い給与でも生活できますので、働く機会はより拡大するはずです。>

これは二重に駄目な制度だと思いますよ。

まずは、何度も述べたとおり「引きこもり助成金」になる危険性があること。 次に、バイトでも生活が成り立つことから技能習得の動機を維持しにくくなり、結果として日本では技能未習得者が増えていく危険性があることです。

特に、低賃金労働しか就労先がない人物ほどそうした傾向が強くなり、日本の底辺労働者の能力がどんどん地盤沈下していくことになります。

そう考えると、瀬尾さんがおっしゃる「企業の体質が弱体化する」よりは、「無能なものも雇い続けなくてはいけない雇用制度」で底辺層労働者の質を維持した方がマシと思えるのですが、いかがでしょうか?

<無能なものも雇い続けなくてはいけない雇用制度は、新しい業態へのシフトを阻害し、企業の体質を弱体化させる。>

ここが瀬尾さんと私の意見の相違する点ですね。

私が理解するに、瀬尾さんは経済政策には効率を求めていて、無能な人物が生産活動に参加することは非効率であるとすら考えているのではないでしょうか?

それに対し私は、たとえ無能な人物の作業効率が常人の1/10であっても、彼が生産活動に参加すれば生産量が1/10増える、という考え方です。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<安い給与で働く人も多いでしょうけど、たとえ一部であっても、ジャンクフードで腹を満たしながら新しい技術にチャレンジする人たちが出てきたら、それは素晴らしいことなのですね。>

それは素晴らしいでしょうけど、それは能力がある人物に限定される話ですよ。

無能な人物にはチャレンジする能力どころか、チャレンジに必要な技能を習得する意志すら持ち合わせていない場合が多いわけですからね。

有能な人からすれば「何故こんな簡単なことすらできないのか?」という気持ちなんでしょうが、能力の差とはこういうものなのです。

<安定した雇用制度の下でぬくぬくと生きている無能な人材が、このような人たちの可能性を奪うなどということは、すぐにでも止めさせなければいけないのですね。>

それはどうかと思いますよ。

能力以上のことを強要されるのは本人にとって苦痛でしょうし、それこそ幸福度に直結するわけです。 瀬尾さんのこの発言を見ると、無能な人物の幸福というよりは、無能な人物には罰を与えたがっているように見えますね。

私は、能力に見合った労働内容と技能、生活する上で十分な賃金を全ての労働者に与えるべきだと思います。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 能力に見合った労働内容と技能、生活する上で十分な賃金を全ての労働者に与えるべき

これは、共産主義の基本的理念ですよ。「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という言葉は、カール・マルクスの1875年の著書『ゴータ綱領批判』で有名ですけど、同じ基本理念は共同生活を営む宗教的集団の中で多く唱えられております。

この考え方は、ある意味で、理想的であり、ユートピアなのですが、その前提にあるのは人間が勤勉で博愛精神に満ち溢れているということなのですね。しかし現実はそうではなく、このやり方で運営された国家は失敗する。20世紀の「大いなる失敗(by ブレジンスキー)」であったわけです。

この考え方は、実は集産主義(コレクショニズム)と呼ばれるものにもみられ、ネット上で成功している「集合知」を生かした組織形態にも通底しているところが面白い。つまり、LinuxにせよWikipediaにせよ、あるいはこのコメント欄にせよ、能力に応じて書き込み、必要に応じて読んでいるわけですから、マルクスの理想はネット上に花開いているともいえるのですね。でもこれは、汲めど尽きせぬ情報の泉だからできることであって、消費すればなくなる一般の財を対象とするリアルワールドの経済世界では成り立たない話なのですね。

結局のところ、一般経済では、「能力に応じて働き、社会に提供した価値に応じて取る」のがフェアなやり方といえるでしょう。これが市場経済の基本であり、今日の世界はこれで行くしかない。そうなると困窮する人たちへのサポートが人道的見地からも、将来の可能性の芽を生かすためにも必要であり、この要求にこたえるものがベーシックインカムである、と考えたらよいのではないでしょうか。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<しかし現実はそうではなく、このやり方で運営された国家は失敗する。20世紀の「大いなる失敗(by ブレジンスキー)」であったわけです。>

その「現実」というのは検証が不十分だと思いますよ。

また、私の考え方は資本主義経済を前提に考えていますが、なんだか瀬尾さんは共産主義と決めつけて「必ず失敗する」という結論にしようとしているように見えます。

そこの辺りは少々雑な論理のように私は感じますね。

<結局のところ、一般経済では、「能力に応じて働き、社会に提供した価値に応じて取る」のがフェアなやり方といえるでしょう。>

ここも意見の相違点ですね。

私が思うに、「能力に応じて働き、社会に提供した価値に応じて取る」が低賃金労働を肯定する論理になってしまっているのではないでしょうか。

しかし、「現実」の問題として低賃金労働などの労働環境の悪化が生活水準の低下、ストレス社会、低技能労働者の増加が起こってしまっているわけです。

おそらく、有能な人の言い分として「有能な人物は企業や社会に貢献しているから高給であるべきであり、無能な人物には賃金を与えるべきではない」という考え方があるでしょうが、こうした格差による不具合が生じている以上は何らかの対策を講じるべきだと思います。

<そうなると困窮する人たちへのサポートが人道的見地からも、将来の可能性の芽を生かすためにも必要であり、この要求にこたえるものがベーシックインカムである、と考えたらよいのではないでしょうか。>

この意見には同意しかねます。

先の投稿で述べたとおり、ベーシックインカムでは底辺労働者のスキルが育ちませんし、無能な人物でも生産活動に参加させた方が生産が増えるからです。

なお、この「無能な人物でも生産活動に参加させた方が生産が増える」については、瀬尾さんと私の意見の相違点では重要な部分だと思います。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 私の考え方は資本主義経済を前提に考えていますが

資本主義経済とは、市場経済が前提なのですよね。そうである以上、労働力もまたその経済的価値で評価されることはやむを得ない。これを無理にゆがめようとすると、弊害が生じてしまいます。

たとえば韓国で最低賃金を引き上げたのは、低い能力の人間にも一定レベル以上の対価を払わせようとしたのでしょうが、その結果生じたのは失業率の上昇でした。経済的に引き合わない社員など採用しない、これが資本主義であり、市場経済の原則です。この原則の下では、最低賃金の引き下げが、能力の低い人間にも働く機会を提供することとなります。

一方の従業員の側には、労働力を再生産するための費用(衣食住)があり、一定賃金以下では労働自体が不可能になるのですが、ベーシックインカムがあれば必要な最低賃金はその分引き下げることができる。その結果、価値をあまり生み出さない人も労働を提供することができるようになります。

労働の生みだす価値に応じて給与が支払われている場合、ベーシックインカムは、生み出した価値への対価に加えて支給されるため、労働者の側に経済的な余裕を与えます。これを、おのれの能力を高めるために使うこともできますから、底辺労働者にもスキルを高める機会の提供という効果も生むのですね。もちろん、この機会を活用するか否かは本人のやる気次第なのですが、これは、資本主義経済のもう一つの原則である「自由主義」とも整合しております。ベーシックインカム、悪くない制度だと思われませんか?


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<資本主義経済とは、市場経済が前提なのですよね。そうである以上、労働力もまたその経済的価値で評価されることはやむを得ない。これを無理にゆがめようとすると、弊害が生じてしまいます。>

これは同意しかねますね。

かつては市場は自然に最適値で安定すると考えられていましたが、市場が間違うことがわかってきましたし、貧困問題のかなりの割合が市場の失敗に帰結するということもわかってきました。

市場が失敗しないようにすることは、経済政策として重要だと思います。

<たとえば韓国で最低賃金を引き上げたのは、低い能力の人間にも一定レベル以上の対価を払わせようとしたのでしょうが、その結果生じたのは失業率の上昇でした。>

これは運用が拙かっただけの話ですよ。

概論として、賃金の引き上げ政策は企業業績を圧迫する要因ですから、それ打ち消す、或いはそれ以上の企業業績を引き上げる政策を同時に実施しなければ効果がないわけです。

すなわち、韓国政府はウォン安政策等の有効な需要増加政策を同時に行うべきでした。

<この原則の下では、最低賃金の引き下げが、能力の低い人間にも働く機会を提供することとなります。>

いえいえ、能力の低い人物にも働く機会を提供する要因は他にもありますよ。

つまり、単純に需要を増やせばいいわけです。

こんな単純なことなんですから、難しい原則論は必要ありませんよ。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<これを、おのれの能力を高めるために使うこともできますから、底辺労働者にもスキルを高める機会の提供という効果も生むのですね。これは、資本主義経済のもう一つの原則である「自由主義」とも整合しております。>

これは底辺層労働者を買いかぶりすぎですね。

能力が低くて底辺層労働者をやっているような人物の場合、自発的に技能を獲得する意欲があるのは例外的少数ですよ。

すなわち、瀬尾さんが主張するベーシックインカム制度では底辺層労働者の技能が全般的にどんどん低下していくわけです。

その結果、日本全体の生産能力や生産物の品質が次第に劣化していくことになります。

それに対して、終身雇用制と年功序列賃金の元では、たとえ能力ない人物でも企業に定着していきますから、企業内での自己の価値を高めるという自発的な要因と業務命令という非自発的な要因の両面から能力がない人物でも技能を獲得していくことになります。

この差は大きいと思いますから、「ベーシックインカム、悪くない制度だと思われませんか?」と問われれば「微妙ですね。」としか言いようがありませんね。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 終身雇用制と年功序列賃金の元では、たとえ能力ない人物でも企業に定着していきますから、企業内での自己の価値を高めるという自発的な要因と業務命令という非自発的な要因の両面から能力がない人物でも技能を獲得していくことになります。

自発的ならよいのですが、非自発的な要因により能力のない人物に技能を獲得させるというのは、私には、人間扱いされていないように見えますが。奴隷的、と言いますか、つまりは、企業の内部にとどまらざるを得ないため、無理やり技能を身につけさせるわけですから。

もう一つの大きな問題は、たしかに昔ならそれでやれたかもしれないけれど、今日ではこのやり方が通用しない。というか、このやり方では獲得できない技能が多々あるということなのですね。かつての日本は、海外から技術を導入し、導入技術固有のノウハウを社員が習得してこれをものにしていた。これに必要な技術知識は、導入したものにせよ、導入された段階で社内にあるし、社外にこれを求めても始まらないのですね。

ところが、今日では、かつてのやり方が通用しない。社内に必要な技術知識はなく、外部から取り込む必要がある。そうなりますと、企業内での半ば強制的な教育ではいかんともしがたく、個々人が、書物を読んだり、各種教育を自らが受けることでキャリアアップする形に頼らざるを得ない。

ベーシックインカムで生活費の一定割合が充足されれば、わずかな貯金で人生の一期間を改めて高等教育に振り向けることができる。それは、企業にとっても有意義なことだし、当人にとっては非常に意味のあることだと思うのですね。ベーシックインカムの助けがなくても、米国などではこうしたやり方は一般的だし、日本でも、少なくとも私の身の回りには、そういうやり方をしている人が多い。単に、のんきな世界では気が付かないだけの話ではないかと思うのですが、、、


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> かつては市場は自然に最適値で安定すると考えられていましたが、市場が間違うことがわかってきましたし、

たしかに、市場メカニズムによる最適化は、公正な市場であることが前提であり、優越的な地位の濫用や競争の制限などがおこなわれると、この前提は満足されなくなります。

企業対求職者となりますと、企業が圧倒的に力をもち、求職者は不利な立場に置かれがちです。でも最近は、企業情報も出回っており、企業のサイドにもそうそうひどいことができにくくなっているということもありそうです。もちろん、この手の不公正なやり方は、行政指導なり法による手当をおこない、公正さを保つようにしなくてはいけません。

しかしこの問題は、流動的な雇用環境よりも、むしろ、終身雇用の場合に多く発生するのではないかと思いますよ。つまり、終身雇用の場合は、社員は企業に忠誠を尽くさざるを得ない。不公正だと思っても、それを告発すれば仕返しされる。なかなか転職できないわけですから、これは致命的になってしまうのですね。

人材の流動化が進めば、逆にそのことによって、労働市場も正しく機能するようになるというのが実態ではないでしょうか。ヘンな会社は、とっとと辞めてしまえばよいわけですから、、、


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<自発的ならよいのですが、非自発的な要因により能力のない人物に技能を獲得させるというのは、私には、人間扱いされていないように見えますが。>

それは技能獲得について積極的かそうではないかの違いであって、技能獲得を本人が拒否しているというようなものではありませんよ。

きっかけがあれば素直に技術を習得しようとする類のものです。

<もう一つの大きな問題は、たしかに昔ならそれでやれたかもしれないけれど、今日ではこのやり方が通用しない。というか、このやり方では獲得できない技能が多々あるということなのですね。>

これはボタンのかけ違いのような気がしますね。

今回の話題は能力の劣る人物の技能獲得なのですから、企業内教育で対処できないような先端技能の習得を扱うことを想定するのは筋が違うような気がします。

そうした先端技能はもっと優秀な人物に任せるべきでしょう。

<ベーシックインカムで生活費の一定割合が充足されれば、わずかな貯金で人生の一期間を改めて高等教育に振り向けることができる。>

この部分には次の疑問点がありますね。

・高等教育を受けたい人物ばかりとは限らないこと。

 また、自発的に勉強しなければ低賃金労働者になるというのなら、それこそ意志に反することを強制する社会だと言えるわけです。

・企業にとって有意義だという理由は何か。

<つまり、終身雇用の場合は、社員は企業に忠誠を尽くさざるを得ない。不公正だと思っても、それを告発すれば仕返しされる。>

これは労働組合が正常に機能すればある程度は解決する問題ですよ。

<人材の流動化が進めば、逆にそのことによって、労働市場も正しく機能するようになるというのが実態ではないでしょうか。>

たしかに、技能と低賃金労働を考慮しなければ素晴らしい制度だと思いますよ。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 今回の話題は能力の劣る人物の技能獲得なのですから、企業内教育で対処できないような先端技能の習得を扱うことを想定するのは筋が違うような気がします。

そういうお話でしたか。確かに、スーパーのレジ打ちひとつとっても、一定の技能は必要ですし、吾妻ひでお氏の「失踪日記」ではガス工事人教育を受ける話が出てくる。(単行本P108、「社長は再婚、奥さんはどっかの国の美少女。みな、あれは犯罪だよな、と言っていた」というカットの次のコマ。ちなみに、絵は吾妻ひでお氏の毎度のもの。この通りなら犯罪です。)

でもこの問題解決には、必ずしも終身雇用が必要であるわけではありません。簡単な技能の習得にはさほどの時間がかかりませんから、入れ替わりがあってもさしたる負担になるわけではない。上で例にあげたレジ打ちは入れ替わりの激しいパートタイマーがやっているわけだし、吾妻文献の紹介する配管工も、きわめて労働者の流動が激しい現場なのですね。

もう一つの面白い点は、技能を習得した人間が貴重な人材であることは、終身雇用制を採用していない社会においても事情は変わらず、それ相応の対応がとられている。米国の場合、レイオフをする際には、勤続年数の短い者からレイオフの対象になるのですね。また、技術をきっちり処遇に反映させれば、技術を習得した人間はそうそう辞めないし、技術を習得しようというインセンティブも生まれてくる。

資本主義社会は本来、自由主義の上に構成されており、個々人の主体性を重視する社会であるはずなのですが、我が国は、農耕社会の長い歴史故か、全体主義(集産主義:コレクショニズム)的、軍隊的、体育会系的傾向が強く、号令一下人を動かそうという傾向が強い。これではなかなか新しい技術への対応が難しく、技術変化の激しい今日、国際競争に負ける結果ともなりかねない。日本も変わらなくてはいけません。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<吾妻文献の紹介する配管工も、きわめて労働者の流動が激しい現場なのですね。>

それはプロパンガスや水道工事が零細企業が多いからですよ。

技能があれば零細企業間を渡り歩いたり、自分で起業したりするのが簡単な業界なのです。

もっとも、都市ガス事業者だと規模が大きいわけですが、こちらの流動性の方は私はよくわかりませんけど。

まあ、いずれにせよ能力のない人物の技能習得について私の考えがだいたいわかっていただけたかと思います。

<でもこの問題解決には、必ずしも終身雇用が必要であるわけではありません。>

たしかに終身雇用制は必要ではありませんが、終身雇用制には様々なメリットがあり現在のところ最も有効な方式だと思います。

まず、失業率が低くなりますし、既に述べたとおり技能習得にも有効に作用しますし、将来にわたる雇用の目処が立ちますので将来不安の解消となりますし、失業保険などの福祉インフラの低減、それに伴う行政コストの低減、能力の低い者も生産活動に参加するため国全体の生産量が増える、といった感じです。

さて、これら終身雇用制のメリットと比較して瀬尾さんのベーシックインカムはどうでしょうか? たしかにどのシステムにも一長一短があるものですが、何を捨てて何を拾うのか、そしてその理由は何か、を考えてみると面白いかと思います。

<また、技術をきっちり処遇に反映させれば、技術を習得した人間はそうそう辞めないし、技術を習得しようというインセンティブも生まれてくる。>

その処遇という点では、終身雇用制はかなり優れたシステムだと思います。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<資本主義社会は本来、自由主義の上に構成されており、個々人の主体性を重視する社会であるはずなのですが、>

瀬尾さんのおっしゃる資本主義については、どこまで自由である必要があるのか、個人がどこまでの自由で満足するのか、が論点になるのかな、と思いました。

たとえば、大企業の場合では企業の意思決定に携わることのできる人物は平従業員との比率ではごく少数になり、大多数の従業員にとって自由にはならないわけですが、これはどうお考えなのでしょうか。

<我が国は、農耕社会の長い歴史故か、全体主義(集産主義:コレクショニズム)的、軍隊的、体育会系的傾向が強く、号令一下人を動かそうという傾向が強い。>

これは同感です。

といいますか、瀬尾さんも体育会系にネガティブな見解だったとは意外でした。

私が思うに、日本の組織に特有の欠点とは体育会系的な発想に帰結し、体育会系的思考とはスポーツというよりも旧帝大や東京六大学などの名門大学特有の文化が源流ではないでしょうか。 つまり、昌平坂学問所の流れをくむ東京大学や幕末の私塾の流れをくむ慶応大学などの儒教的伝統が体育会系的思考の正体ではなかろうかと思うのです。

私が考える体育会系の弊害として、過度な社内上下関係の適用、組織トップをカリスマ扱いする、組織の末端へのシワ寄せ、価値観が組織内で完結している、組織の利益を最優先、が挙げられると思います。

<これではなかなか新しい技術への対応が難しく、技術変化の激しい今日、国際競争に負ける結果ともなりかねない。>

この件について、私は人事制度だけの問題ではないことと、はたして終身雇用制度が不利に作用するのか疑問であることの2点で同意しかねます。

企業の開発投資に必要なものは資金とエンジニアですが、終身雇用により優秀なエンジニアを低コストで育成し確保する考え方は今でも有効だと思います。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 終身雇用により優秀なエンジニアを低コストで育成し確保する考え方は今でも有効

終身雇用制度、年功序列制、企業による福祉制度(家族的経営)などは、「日本的経営システム」として1980年代には絶賛されたこともあったのですね。

このやり方は、海外の優れた技術を導入し、小集団活動などによりこれを徹底的にシェープアップして、コストを下げ、品質を上げ、資源・環境問題に対応し、高い国際競争力を得ることに成功しました。

しかしこれが可能であったのは、過去の延長の上にすべてがあったから。レコードがCDに置き換わればレコード針を作っていた企業は生きていけなくなる。自動車エンジンがモータに置き換われば内燃機関の技術は意味を失う。でもこれらは、局部的なディスラプティブ・イノベーション、破壊的技術革新であるわけです。

現在進行している情報革命は、こうした局部的な変化ではなく、ビジネスのあり方自体に変革を迫られるような変化なのですね。蒸気機関の発明が引き起こした産業革命は、筋肉労働をエンジンに置き換えてしまいましたが、情報機器は頭脳労働も置き換えてしまう。

このような変化は、狩猟採取の時代から農耕への切り替えのようなもので、狩猟を極めた長老といえども農耕の指導はできない。その時代にあって、農耕技術を極めた人物に社会の舵取りをゆだねなければいけないのですね。

社会の一部に農耕が始まれば、狩猟をしていた人たちは、そちらに移るというのが、最も簡単な変化への対応だと思うのですが。

農耕を教えられるのは農民だけ。情報技術だってそうですよ。会社だって神様ではない。中でやっているのは、普通の人間なのですから。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 終身雇用制のメリットと比較して瀬尾さんのベーシックインカムはどうでしょうか?

終身雇用制度は、企業の存続が前提となる。企業の倒産があたりまえのようになる大変革の時代にあっては、終身雇用制度など何の役にも立たない、というケースが多々出てくるはずです。ベーシックインカムの目的は、一般に「セーフティネット」と考えられているのですね。これは、企業倒産の際の受け皿でもあるし、レイオフを食らった時に生きていく手段でもあるし、リスクを伴う起業のハードルを下げる役割も期待できる。

セーフティネットとしては、生活保護制度もあるのですが、実はこの制度、「死なない」というだけで再起可能なシステムではない。すべてを失ってはじめて生活保護が受給できるのですが、これでは、起業の再チャレンジはおろか、勉強しなおすことも難しい。まあ、親子兄弟の支援が前提などというバカな制度は止めたとしても、という話ですけど。

コロナ対策に関して、経済的理由で死を選ぶ人の存在をもって、コロナ対策を緩めるべきとの意見が一部にあるのですが、これはとんでもない話なのですね。経済的理由で人が死ぬことなどあってはいけない。それは憲法が定めているわけです。その前提が満足されていないなら、今日の生活保護制度にこそ問題があるのですね。

人は、再起不能な状態に陥ったら生きる希望を失っても不思議ではない。今日の生活保護がそんな制度であるなら、これは改良しなくてはいけない。その一つの道が、ベーシックインカムである、と思うわけです。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<終身雇用制度、年功序列制、企業による福祉制度(家族的経営)などは、「日本的経営システム」として1980年代には絶賛されたこともあったのですね。>

<しかしこれが可能であったのは、過去の延長の上にすべてがあったから。>

それはどうですかね。

日亜の中村修二氏など、終身雇用制で育ったエンジニアが最先端の技術開発を行った事例はありますよ。

また、技術は継続して育てていくものですから「過去の延長の上にすべてがある」のは当然のことですし、そもそも技術開発は何が当たるのかわからないものです。

つまり、劇的に技術が置き換わる可能性はたしかにありますが、それすら継続して開発投資を続けた結果であることに変わりはないと思います。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<終身雇用制度は、企業の存続が前提となる。企業の倒産があたりまえのようになる大変革の時代にあっては、終身雇用制度など何の役にも立たない、というケースが多々出てくるはずです。>

それを言うのなら、雇用の流動化論の方も「好景気が前提」と言えますよ。

つまり、雇用の流動化により企業が従業員を容易に解雇するようなっても経済が成り立つには、労働者が失業後にすぐ次の就職先を見つけることができることが必要となりますから、これは明らかに「好景気が前提」のシステムです。

さらに、ひとたび不況が起これば、雇用の流動化論に基づく雇用制度の元では解雇が増えてしまうため不況がさらに悪化する危険性が高いと言えます。

たしか、雇用の流動化論は「企業の倒産があたりまえのようになる大変革の時代」でも「必ず成長する企業が出現して、たちまち失業者たちを雇用する」というような主張だったと思いますが、大変革の時代より起こる確率の高い不況に対して脆弱である点で私は雇用の流動化論には懐疑的見解です。

また、雇用の流動化論は「50代まで土建現場で肉体労働していた者が、次の瞬間にプログラマーに転身する」というような事を平気で述べている点でリアリティを欠いていると思います。

技能の習得にはそれなりの期間や努力が必要であり、場合によっては適性も関わってくるわけですから、こうした転職にかかるコストや難易度を考慮していない点でいただけません。

ちなみに、私は「企業の倒産があたりまえのようになる大変革の時代」でも開発投資や組織改革を継続していれば終身雇用制度でも乗り切るのではないかと思っています。

まあ、やらなくてもいい改革をやって失敗した事例が沢山ありますから、改革が全ていいものだとは言えませんけど。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

> 雇用の流動化論は「50代まで土建現場で肉体労働していた者が、次の瞬間にプログラマーに転身する」というような事を平気で述べている点でリアリティを欠いていると思います。

極端な例で批判しても始まりません。吾妻ひでお氏の「ガス工事人教育」だって、これを受ければ現場監督的作業ができて給与が上がる。土建現場での作業だって、フォークリフトの運転を覚えたり玉掛作業の主任免許を取るなど、より良い収入を目指す道はいくらでもあるのですね。

大学院の社会人コースに通うと、その手のことをやっている人が実に多いことに気付きます。そういう世界をのぞいてみないと分からないだけの話かもしれません。リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの「ライフ・シフト」は、まさにこの手のことを推奨する書物で、こういったものを一読しますと、これからの時代には、このくらいのことはやってあたり前のように思えてくるのですね。

目の前にチャンスはいくらでも転がっている。それをやらないでぶーぶー言っているのは最低だと思いますけど、やりたくても経済的にできない人がいる。それを支援するのが、あるべき社会制度だと思うのですね。

企業がそれをできた幸せな時代が過去にあったことは否定いたしません。でも今日、こんなことができる会社など、一握りだと思いますよ。今では、かつて安定な職場の代表的存在であった銀行すらも、先行きが危ぶまれている時代なのですね。競馬の「銀行レース」などという言葉が古語になる時代も、間もなくやってきそうです。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの「ライフ・シフト」は、まさにこの手のことを推奨する書物で、こういったものを一読しますと、これからの時代には、このくらいのことはやってあたり前のように思えてくるのですね。>

いえいえ、低賃金労働者になるような人物にはそれはハードルが高いと思いますよ。

こういうタイプは「いかに動機を刺激して行動させるか」が問題となるのです。

<企業がそれをできた幸せな時代が過去にあったことは否定いたしません。でも今日、こんなことができる会社など、一握りだと思いますよ。>

それは企業に対しても動機を与えればいいのですよ。

たとえば、法人税を高めに設定して正社員とその雇用年数に応じて控除するというようなシステムならば、企業が終身雇用を採用する動機として機能するでしょうし、途中退職を防ぐために労働環境を良くすることすら起こるのではないでしょうか。

そして、その一方で円安誘導などの需要増加政策も併用すれば効果は大きい、と私は考えています。

<今では、かつて安定な職場の代表的存在であった銀行すらも、先行きが危ぶまれている時代なのですね。>

それはそうですよ。

小泉構造改革のときに不良債権処理をやらかしたために、銀行融資の存在意義が薄れたわけですからね。 これはやらない方がいい改革だったと思います。

まさに迷走ですね。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

いろいろな意味で勘違いをされているようです。

たしかに、自分から何をする気もない低賃金労働者に自ら能力アップなどを期待するのは間違いでしょう。このクラスの労働者には技能の蓄積はさほど要求されませんので、終身雇用はマッチせず、企業側の需要に応じて流動的に職を移る形で仕事をするしかないと思います。

終身雇用が意味を持つのは、長い期間かけて技術技能を高めるかなり高度な労働者で、かつては企業がそれぞれの職場にマッチする形で鍛えていたのですが、事業に必要とされる専門能力が大きく変化する今日ではこれが困難になっております。その一方で、技術自体は永続的だから、企業が必要とされる技術の変化に応じて、これを持つ技術者が移動することが効率的になるのですね。

実は、2000年を過ぎた頃にドットコムバブルがはじけ、我が国の家電企業が苦境に立たされた時代がありました。この時、多くの会社で希望退職を募ったのですが、これに応じてキャリアアップをした人も相当におられました。私のお付き合いしていたベンチャービジネスにも、ソニーから数名の技術者が入ってこられており、その直後に株式を公開しましたので、相当に良い思いをされたのではないかと思います。その時、電子技術者を求めていた業種がもう一つありまして、実は、カメラが銀塩からデジカメに移行する時で、カメラメーカは大量の中途入社の求人を出していた。こちらに移った人たちも、相当に良い思いをしたはずです。

新興国の追い上げを受けた家電メーカが凋落する一方で、電子技術が他の分野にも拡大する。そういう時代には、電子技術者は転職するのが幸せになる道なのですね。このためには、特定の職場向けの技術ではない、普遍的な形でおのれの技術を磨いておかなくてはいけませんし、できれば他流試合をしておのれの相対的技術レベルを掴んでおくことが好ましいのですね。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

勘違いの指摘を続けます。

まず、法人税を高めに設定して従業員の勤務年数にインセンティブを与えるというのは、おそらくあるべき方向の真逆で、法人税を安く設定して、従業員の新規採用にインセンティブを与える方向が、一国の産業を強化する方向であるはずです。国際競争を勝ち抜くためには、企業の足を引っ張る税金は安くなくてはいけませんし、雇用の拡大のためには、新規採用にインセンティブを与えるのが効果的なのですね。

第二に、円安は、たしかに輸出企業の利益になり景気を上向きにする効果があるのですが、円安が効果を発揮する理由は、それが実質賃金の切り下げだからなのですね。賃金を下げれば企業はもうかる。だけど、オール日本で考えたら、プラスとマイナスが相殺しますので、こんな政策は意味がない。

もう一つは、金融改革ですが、これはやらざるを得なかった。バブル崩壊で、多くの金融機関は実質破綻していたのですね。それが破綻せずに済んでいたのは、時価会計を採用せず、取得原価で帳簿を付けていたからです。しかし、こんなやり方は国際的には通用せず、世界の常識では、我が国の金融機関はとっくに破綻していた。いわば「死に体」だったのですね。

実質破綻している金融機関でも、継続していれば、トップは高給を得続け、あわよくばそのまま退職してしまえばよい。だけど、あとに残るのは最初と同じ破綻した金融機関なのですね。なにぶん、これが正常に復帰する可能性はゼロでしたから。だから、小泉竹中改革では、時価会計に切り替え、破綻すべきは破綻させ、救済すべきを救済した。これで、金融危機に終止符が打たれたわけで、竹中氏の功績は極めて大きいのが実情なのですね。それを知らない人が多い、ということも事実なのですが。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<たしかに、自分から何をする気もない低賃金労働者に自ら能力アップなどを期待するのは間違いでしょう。このクラスの労働者には技能の蓄積はさほど要求されませんので、終身雇用はマッチせず、企業側の需要に応じて流動的に職を移る形で仕事をするしかないと思います。>

それは企業の論理であって、国家政府としての論理は違いますよ。

国家政府としては失業率が低い方がいいわけですし、それなりに技能を持つ就労者が多い方がよく、その結果として国全体の生産量が増えた方がいいわけです。

そして、そのための手段として終身雇用制が有効であると私は主張しているわけです。

また、能力の低い人物の技能に関して言えば、企業にとって事業の規模が欲しい場合には能力の低い人物を教育し技能を習得させて戦力化することが有効であるため、企業の論理でも終身雇用制にはメリットがある場合があると思います。

<その一方で、技術自体は永続的だから、企業が必要とされる技術の変化に応じて、これを持つ技術者が移動することが効率的になるのですね。>

エンジニアを引き抜いたり招聘したりするには多額の賃金だけでなく、それなりの開発や作業環境を提供する必要がありますから、はたして本当に効率的なのか疑問がありますね。

やっぱり、終身雇用制で自前のエンジニアを育成し継続的な開発投資を行った方が効率が良いのではないでしょうか。

そして、もし仮に外部からエンジニアを招聘する場合があっても、それなりの技能を持つ自前のエンジニアがいた方が招聘にかかる費用が少なく済みますし、自社の状況や戦略をプロジェクトに反映しやすくなると思います。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

<第二に、円安は、たしかに輸出企業の利益になり景気を上向きにする効果があるのですが、円安が効果を発揮する理由は、それが実質賃金の切り下げだからなのですね。>

これは誤解ですよ。

円安では、日本の賃金が他国と比較して賃金が相対的に割安になるだけであり、日本国内での価格体系は輸入製品の分だけしか価格上昇しません。

つまり、円安により日本製品の需要が増えるメリットと比較して、輸入品の価格上昇による実質賃金の低下は小さいのです。

だからこそ、第1の矢しか機能しなかったアベノミクスによって日本経済が好転したわけです。

もし瀬尾さんがおっしゃるとおり、実質賃金の切り下げと需要増加が本当に相殺されるのでしたら、アベノミクスで景気が良くなるわけがありませんからね。

<もう一つは、金融改革ですが、これはやらざるを得なかった。バブル崩壊で、多くの金融機関は実質破綻していたのですね。>

かつて私が見た記事には、大手都市銀行の不良債権処理は1996年頃にはだいたい済んでいたということでした。 つまり、2001年発足の小泉政権はやらなくて良い不良債権処理をやらかして、無駄に銀行融資を締め付けて、銀行等金融機関による貸し渋りや貸し剥がしを敢行させて、日本全土で企業倒産を積み上げていったわけです。 その影響は今日にも残っていて、アベノミクスで景気が上向いたにも関わらず企業の設備投資がなかなか増えなかった一因になっていると思います。

といいますか、本来優先すべきは銀行等金融機関の経営健全化ではなく、金融機関の混乱による不況の阻止の方ですよ。 にも関わらず、やらなくても良い銀行等金融機関の経営健全化を名目に、最も避けるべき大量倒産という事態を引き起こしたわけですから、これこそ本末転倒ということではありませんか。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

技能の低い労働者は、スキル向上も短期間で可能であるため、雇用は流動的として、企業ごとに異なる労働力のニーズの波に合わせて移動することが、全体として最も効率的となります。旋盤工や吾妻ひでお氏の例のような配管工は、スキルが意味を持ち、長期間特定の企業に雇用される場合もありますが、これらのスキルは普遍的であり、腕の良い旋盤工や溶接工は、企業を渡り歩くということも普通に見られます。特に小企業は、仕事に波がありますので。これはこれでよいはずです。

ベーシックインカムが意味を持つのは、これよりももう少し上のクラスで、1年~2年休職して専門学校なり大学院に通うといった生き方を可能とする道で、ある程度の職業経験を積むことで、種々の知識や技術の必要性を実感したところで教育を受けるため、非常に効率の良い学習が可能になるのですね。これは、米国では一般的だし、我が国でもかなりの数の人がやっているわけで、その間の所得の落ち込みがベーシックインカムで埋めることができればこの手の教育も受けやすくなるてんがメリットとなります。

その他、大手都市銀行の不良債権処理に関しては、会社決算の際に時価会計が義務付けられたのが2001年ですから、それ以前は、価値が大幅に減少した資産も取得原価で帳簿に記載されていたはずです。すなわち、実質的に破綻している会社が、帳簿上では健全とされていたのですね。

小泉・竹中改革は、この、見かけは健全、実態は破綻という金融機関を実態に合わせることで会計の信頼性を取り戻したわけで、ここで大混乱が発生したのはあたり前の話です。これは、日本企業の健全化のためには、避けられない道だったわけです。


花の ヤン

瀬尾 雄三 さん

そろそろ、やりとりが平行線になりつつあるのでここらが潮時でしょうね。

<ベーシックインカムが意味を持つのは、これよりももう少し上のクラスで、1年~2年休職して専門学校なり大学院に通うといった生き方を可能とする道で、ある程度の職業経験を積むことで、種々の知識や技術の必要性を実感したところで教育を受けるため、非常に効率の良い学習が可能になるのですね。>

ここは2点申し上げます。

一つは、何度も述べたとおり能力の低い人物にはマイナスに作用すること。

もう一つは、企業での業務として企業内教育を受ける場合の方が効率的である可能性があることです。

つまり、自主的に休職し教育機関で学ぶ場合には企業が従業員に求める知識や技能と一致するとは限らないこと、企業内教育ならば上司や同僚の意見や見解を参考にしながら学習できる点で効率が良いこと、が考えられるからです。

そして何度も述べたとおり、企業での業務として企業内教育を受ける方法ならば、能力の低い人物であってもスキルを獲得する点で優れています。

<これは、日本企業の健全化のためには、避けられない道だったわけです。>

いえいえ、それは無謀な自殺行為というものですよ。

実際に不況が激化して「失われた時代」などと呼ばれたわけですからね。

お陰で不況が長引く一因になったり、アベノミクス後でも民間設備投資が増えない一因になったりと散々な結果となっています。

一言でいえば、「膿みを出し切る」などと言って自滅したということになりますね。

といいますか、経済政策として考えるならば、むしろ銀行融資などを継続させるべきだっと思います。

そのために金融機関に特権的優遇を与えてでも、企業の存続や雇用の維持を優先させるべきでした。


瀬尾 雄三

花の ヤン さん

たしかに、同じことを何度も書いているような気がします。

基本的に、ジャパンアズナンバーワンの頃までは、おっしゃるようなやり方でよかったのですが、情報革命が勃発した結果、必要な技能の内容が企業の枠を超えたものになってしまったこと、企業自体の存続が大企業も含めて怪しくなってきたことなどにより、終身雇用も形骸化してきたし、企業内での教育も困難を増してきたのですね。

もう一つは、能力の高いクラスと低いクラスと、きちんと分けられる話でもなく、たとえば。吾妻ひでお氏のガス工事人教育にしても、賃金は減額された形でもらいながら外部の教育を受ける形で資格(?)をとっているのですね。ベーシックインカムはこういう時にも役に立つはずで、特に全員に等しく支給されるものであれば、給与水準の低い人たちに高い効果を持つはずなのですね。

円安の効果に関しては、輸出企業の採算は向上しますが、ドルベースでの給与は低下する。そして、国内物価は輸入比率に応じて上昇し実質的な給与も低下します。それが変わらない程度に賃金も物価も上がるのだと、円安の効果はゼロということになってしまう。アベノミクスの効果は、それ以前が、異常な円高であったためで、この結果、電機などの輸出産業は壊滅的打撃を受け、国内の雇用も失われてしまっていたから。アベノミクスが優れていたのではなく、民主党の経済政策がでたらめだったというだけの話なのですね。

金融危機の後始末に関しては、実質破綻している金融機関をそのままにしておくことは、日本の経済システムの国際的な信用維持のためにも許されないことで、実質破綻している融資先を含めて始末をつける必要がありました。破綻企業が高い給与を払い続けることも、ある種のモラルハザードですしね。まあしかし、これに関してもいろいろな見方はあるだろうとも思いますので、これ以上は言及を避けておきましょう。

1 thought on “内藤忍氏の3/27付けBLOGOS記事「幸福度ランキング世界56位の日本人が、幸せに生きる方法」へのコメント

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