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シロクマ氏の7/2付けBLOGOS記事「『日本スゴイ』や『ネトウヨ』にみる、アイデンティティの間隙」へのコメント

シロクマ氏の7/2付けBLOGOS記事「『日本スゴイ』や『ネトウヨ』にみる、アイデンティティの間隙」にコメントしました。


このアイデンティティの問題とは、己の持っている世界観と、現実の世界の齟齬という問題なのではないでしょうか。人は、一旦確立した世界観を変えることが難しいのに対して、世界はどんどん変わっていく。それが悲劇の元なのですね。

1980年代から90年代にかけての日本は、確かにすごかった。この時代、アイデンティティの問題は、欧米で生じておりました。環境・資源・エネルギー問題に当時の世界は十分に対応できなかった。資源問題をリードした(積極的に盛り上げた)のは産油国だったし、これらの問題を世界に先んじて解決したのは日本だったのですね。我が国のカウンターカルチャーが花開いたのもこの時代で、90年代の米国では日本のコミックやアニメがヒットしたわけです。90年代には、経営学の基本的概念にも影響が及び、数値の重視から、ブランドイメージや顧客満足度といった感性的な価値も認めるように変化いたしました。ポストモダンがやってきた。

資源環境問題に続いて起こった大変化が情報化革命で、こちらで出遅れたのが我が国だったのですね。資源・環境問題は、日本の普通の会社が対応できたし、まじめなサラリーマンが取り組むことも容易だったのに対して、情報技術は従来の仕事のやり方をがらりと変える必要があり、中高年社員には対応が困難、社内パワーバランスの結果、企業としての取り組みも遅れてしまったのではないでしょうか。

さらに事態を複雑にしているのが、共産主義の失敗が明らかになったという問題で、こちらの変化にもついていけない人が多い。かつて進歩的知識人と呼ばれた人たちは、遅れたバカと呼ばれるしかないのですが、そういうことを言うと「ネトウヨ」といわれてしまうのですね。

まあ、いろいろあるけれど、変化する世界と変化できない人間の対立が、この種の問題の根底にあると考えれば、世界はすっきり見通せる。結構、単純な話だと思うのですが。

1 thought on “シロクマ氏の7/2付けBLOGOS記事「『日本スゴイ』や『ネトウヨ』にみる、アイデンティティの間隙」へのコメント

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