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10年後の日本の雇用

本エントリーは、アゴラからリンクをたどった城繁幸氏の2022年04月21日のエントリー「10年後、日本の雇用環境はどうなってるの?と思ったときに読む話」に対するコメントです。ブログ限定で、文字数を気にせずに書くことといたします。


日本の雇用慣行の問題

このブログでは、時折我が国の雇用慣行に対して苦言を呈してまいりました。最近では、川北英隆氏の3/31付けBLOGOS記事「日本はどこで間違ったのか」へのコメントもそうでした。

我が国の雇用慣行問題の基本は、終身雇用にあるということ。一度正社員として雇ってしまうと、簡単には辞めていただけない。割増退職金を積んで早期退職を募っても、それを利用して辞めてくれるのは腕に覚えのある優秀な社員だけで、役に立たない社員に限って職にしがみついてしまう。まあ、会社側に解雇の権限がない以上、これはあたり前の話なのですが。

その結果、我が国企業は無能な中高年社員を多く抱えることになる。いわゆる「働かないおじさん」問題が発生するというわけです。

また、安易に正社員を雇うと辞めさせることができないため、正社員の雇用に二の足を踏む。その結果、非正規雇用の人は何時までも非正規雇用のままで、正社員になかなかなれない、といった問題も生じます。

この問題は、一旦会社を辞めると再就職が困難であるという問題にもつながり、より自らの適性に合った職に移動することも難しくなるし、会社をいったん辞めて大学に通いなおすといった、キャリアアップの道も困難にしてしまいます。

あるべき姿は、企業は必要な技能を持つ人を雇う。高い能力のある人は高給で遇し、碌な仕事もできない人は(年齢にかかわらず)低い処遇とする。そして、不要な人材には辞めていただく、というのが筋でしょう。

もちろん、簡単に首を切られると、切られた方は、生活に困ってしまいますから、充分な一時金を払う。その補償金を年間給与のN倍にするといったルールを、あらかじめ定めておけばよいのですね。気になるNは、まあ、1以上3以下くらいでしょうか。

1年なり3年なりといった、ある程度の時間があれば、辞めさせられた従業員も新たな職を見つけることができるでしょうが、景気の波もありますから、絶対大丈夫とも言い切れない。生活困窮者が増加することは社会的混乱の元ですから、これらに対する措置も必要。ベーシックインカムや負の所得税などの、社会的バックアップ体制も必要かもしれません。

城繁幸氏のエントリー

でも、今回ご紹介する城繁幸氏のエントリーは、この問題が10年後には解決している可能性について指摘いたします。データを示してのこの指摘は、なかなかに説得力があります。以下、このエントリーの重要な点に関してご紹介します。

まず、この問題は、働く側も企業も、そろそろ感づき始めた、ということなのですね。城氏は次のように述べ、この事実を指摘します。

「世界でほとんど唯一、日本の賃金だけが30年間ほぼ横ばいである」という事実は大きな反響を呼びましたが、その原因が終身雇用・年功序列制度にあるというコンセンサスはちょっと前から既に社会に織り込まれつつあります。

たとえば、東大・京大生の就職人気ランキングでは、最も選択の幅の広い6月段階ではほぼ毎年外資が上位を独占する状態が続いています。

そして、就活サイトOne Careerのエントリー「【6月速報:東大京大23卒就活人気ランキング】今、問い直す『真の人気企業』。『コンサル人気』だけでは片付けられない東大・京大生の本音」を紹介するのですね。

これまでも、東大・京大といった就職強者には、かつて一般的だった大手製造業や邦銀の人気が低下し、外資系のコンサルが人気を博しておりました。しかしここにきて、単なるコンサル人気だけではない徴候が現れているというのですね。それが外資人気の高まりである、と城氏は指摘します。

まあしかし、このランキングを見る限り、たしかに外資もランキング上位に入ってはいるものの、やはりコンサル人気は継続中で、日本の商社が人気を博しているのも、商社のコンサル的働きが注目されているような気がいたします。

ともあれ、優秀な学生に外資系の人気が高いということは、終身雇用制の安定した身分で安月給に甘んじるよりも、能力に応じて処遇するジョブ型の雇用を目指す人が、特に、優秀な人には多いということであるとの、城氏の指摘はうなづけます。

そして、NTTの研究職の3割がGAFAに流出してしまうという事実に、NTTが危機感を募らせ、処遇改革に乗り出した、などというニュースも紹介されています。

感想

と、いうわけで、この問題は、放っておいても解決する様子ですね。

優秀な人もそうでない人も同じように(安月給で)処遇するという企業には、おそらくは優秀な人は魅力を感じない。逆に、そういう企業は、無能な人には魅力的にみえるはず。あたりまえのことですけど。これが、「就職人気」という調査結果に表れているのでしょう。

でも、これよりも大きな問題は、処遇が能力と無関係に決まっている企業の社員にとって、己の能力を向上させるインセンティブが働きにくいという点の方が大問題であるように思えます。

大卒の社員は、専門能力を期待されているからこそ、高卒以下の社員よりは高い給与で迎えられているはずですし、研究職は、日々他の企業との開発競争に勝たなくてはいけない。その手の人たちがおのれの能力向上を怠るようなことがありますと、企業の技術開発面での競争力も大いに削いでしまいます。

そして、情報化技術を使いこなすということまで考えますと、この手の能力は研究職に限らず、マネージャも同様で、文系の管理職といえども、常に最新の情報技術、数理科学に磨きをかけておかなくてはいけない。特に働き方が問題になっている現状を考えますと、人事部門のマネージャには、特に優れた能力が要求されるのですね。

でも、こういうことがきちんとできていない、という事実が、世界の賃金水準の上昇をしり目に、日本の賃金水準は30年間変わらない、という結果となって表れているのでしょう。

我が国の企業も、ビジネスの現場だけでなく、人材獲得の側面からも、この手のプレッシャーがかけられるようになった。これが現時点で生じているおもしろい変化であるわけです。我が国企業の経営陣も、そうそう愚かではないはずで、そろそろ気が付くのではなかろうかと、ここは期待しておきましょう。

とはいえ、NTTの問題は、根が深いかもしれない。確かに、優秀な社員が合理的雇用システムを持つ企業を選ぶことで、この問題は解決されるのでしょう。でもそれでは、従前のやり方をしている日本企業から優秀な社員が逃げ出してしまい、後に残るのは無能な社員ばかり、などということになりますと、日本企業はやっていけない。特に、厳しい技術競争にさらされた企業は、優秀な研究職を引き留める策を考えなくちゃいけません。

でもそれでは、問題は半分しか解決されない。働かないおじさん問題は、そのまま残るのですね。逆に、そういう人たちが、高給で遇される優秀な研究職の人たちを黙ってみているかとなりますと、これははなはだ疑問です。何らかの形で、足の引っ張り合いが始まるのではないかという予感がいたします。

本当のジョブ型とジョブ型もどき

そういえば、ジョブ型雇用といいますと、10年以上も昔、私が務めていた職場でも「ジョブ型雇用」に移行するんだという話になり、ジョブディスクリプションという文書を作り、それぞれの人に「稼業(英語で言えばジョブ)」というものを割り当てておりました。

これ、エライ抽象的な文章なのだけど、ここに使われている「副詞」が重要で、たしか「上司の指示により」のような言葉が、それぞれの職位によって微妙に異なる。だけど何が指示であるかの明確な定義はなく、実際問題としては職位に応じた文言の稼業が割り当てられているだけなのですね。

こんなの、ジョブ型でも何でもない。古風な年功序列にジョブ型もどきの衣をかぶせただけなのですね。こういうことをやっているからダメなんだ、とその当時は思ったものです。

ジョブ型雇用におけるジョブとは、そんな一律の文言で与えられるようなものではない。「一線級の研究者」とか「腕の良い設計技師」などの言葉で形容することはできるかもしれないけれど、何をもってそう言えるかは、人間が判断するしかない。そしてそれを判断できるのは、その人の上司であり、判断の結果にも責任を取るようにしなくちゃいけないのですね。

Report Toに基づく管理

私はかつて、米国のベンチャーに近い新鋭企業のRD戦略を担当したことがあったのですが、そこで誰かに何かを頼むときには、その人物の上司に頼まなければいけない。なぜなら、米国企業の従業員は「Report To」の関係で結ばれているからだというのですね。そしてこういうやりかたは、米国企業では広く行われていると。

Report Toとは、それぞれの社員は直属の上司の下で仕事をしており、その上司の指示にのみ従い、その上司にのみ報告の義務を負う。そして、上司は部下の成果を含めて、結果に責任を負う。だから、部下が勝手に、他から依頼を受けて仕事をしたりしたら困るわけですね。その仕事の結果も含めて上司の責任と成果になるわけですから、あらゆる業務は上司の判断の基に行われ.なくてはいけない。

そういうシステムであれば、それぞれの社員の能力は上司が判断すればよい。そして、本人合意のもとに、能力にふさわしい仕事(ジョブ)を与えるわけですね。この能力とジョブに応じて処遇も決まる。だから、社員は高い評価を得るように自己研鑽するわけだし、上司にしてみれば、無能な部下に高い評価を与えてロクな結果が出せなければ、己の評価が下がってしまう。

このシステムはまた、無能な上司に能力以下の評価を受けていると思う社員は、まずは社内でのメンバー募集情報を見ておのれにふさわしいと思うジョブが提示されたチームに移動する旨申し出るパスも準備します。新しいチームの上司がその社員により高い能力を認めるなら、その社員は移動することになる。元の上司はそれを拒否できない。価値ある社員に、低い評価を与えた責任があるのですね。

このようなシステムであれば、部下に高すぎる評価を与えると、優秀な社員を使いながらそれにふさわしい成果が得られない可能性が増し、自らの評価が下がってしまうリスクを生じる。逆に、部下に低すぎる評価を与えると、他のチームに引き抜かれてしまうリスクが生じる。

その結果、おのずと公正な評価がなされるようになるし、適切なジョブディスクリプションに収れんすることになるわけですね。もちろんそのジョブディスクリプションなるもの、無味乾燥な言葉ではなく、関係者の実感に即した、実質的な稼業(Job)であるわけです。

このような形態は、もっとも下層のチームだけではなく、その上部の組織にも同様なやり方がおこなわれます。つまり、研究所であれば、それぞれの研究室のリーダが研究所長にReport Toするわけですね。そして、研究所長は、おそらくは事業ディビジョンなり、本社研究開発室なりの長にReport Toする。そして、事業部長や研究開発室長は担当役員なり社長なりにReport Toすると、まあ、簡単に言ってしまえばそういう組織形態をとるわけです。

この手のやり方をいたしますと、成果と権限の形が明確になり、それぞれの社員の能力も、おのずと明らかになる。まあ、こういう事態をあまり喜ばない人たちが多いであろうことは予想もつくわけで、そうであるがゆえに、こうしたやり方を導入することはなかなか難しいとは思うのですが、ジョブ型雇用をきちんと軌道に乗せるためには、このくらいのことをしなくちゃいけない。

そうしない限り、ジョブ型雇用は、掛け声倒れで、それっぽい形はできるかもしれないけれど、実質的にやっていることは昔と同じ、というどこかで見たことがあるような結果がお約束されていると、まあ、そういうわけなのですね。

10年という期間が長いか短いかわかりませんが、ある程度の長期にわたりこういうことをやっておれば、伸びる企業は伸びるし、衰退する企業は衰退することになります。これを新卒の求職者が見極めれば、就職人気という形で表れてくる。今生じている事態は、後者の、いうなれば先行指標に予兆が現れているということなのでしょう。

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