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迷走する日本のアカデミズム

篠田英朗氏の8/27付けアゴラ記事「問われる日本学術会議の世界観」へのコメントです。


オリエンタリズムvsオキシデンタリズムですかぁ、、、これ、リベラルがオキシデンタリズム側に立つのは、少々おかしいですよ。なにぶん、太平洋戦争の我が国の思想が「近代の超克」であり、近代を代表する西洋に対して「東洋の精神文化を興隆しなければならない」ということですから。

1960年ごろの東西対立の時代は、アカデミズムの思想は東側に偏っておりました。東大経済学部はマルクス主義経済学の牙城だったり致しまして、今でも東大図書館の書庫に行きますと、前進や思想の科学などのバックナンバーが大量に保管されております。資本主義から共産主義へという歴史の流れが科学的に正しいとされていたのですね。

東西対立は、1975年のベトナム戦争での米国敗北と1990年前後のソ連邦崩壊で、双方の敗北に終わっております。でも、1970年ごろの学生運動は、ベトナム反戦だけでなく管理への反発という形で、情報技術の発展に繋がっていくのですね。ジョブズが全地球カタログの最終ページを引用したことなど、その象徴といえるでしょう。

で、日本は、となりますと、とっくに死んだはずの怪物がいまだにこの国を徘徊してゐる。すなわち共産主義という名の怪物である(秋水風)。一度染まった思想からはなかなか抜けられないのは仕方ないのですが、それが真正の共産主義では困ってしまいます。もうそんなものは、失敗してしまったのですから。

これがせめて反管理を標榜する新左翼であれば、ジョブズみたいな人たちも出てきたところなのでしょうが、我が国の新左翼は過激の極に走ってしまった。後に残ったのは、別の意味でのアナーキズム、なんでもありの世界でして、最近お騒がせの西村博之氏あたりを代表的と言わざるを得ないところが、少々さみしいところではあります。

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