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「公共放送」の難しい立場

有馬純氏の10/1付けアゴラ記事「NHK日曜討論:脱炭素キャンペーンでバランスを欠く公共放送」へのコメントです。


「公共放送」という立場には、非常に難しいものがありますね。つまり、競争面では特別に有利な立場を与えられているわけですから、特定の政治的立場に立つことは許されず、あくまで客観的で公正な報道に徹しなければいけない。

この時ヒントとなるポイントは、それが理性に働きかけるものか、共感に働きかけるものか、の見極めで、公共放送はあくまで前者に徹底しなくてはいけない。

また、提供する情報の軽重の判断も重要で、何らかの判断基準が必要です。たとえば、事件事故なら死者の多さ、経済的被害総額、公共サービスに与えた障害などで判断されるべきだし、それが人為的であるなら、自然現象によるものよりも重要性が高いし、さらに政治的背景があるものは特に重要とみなされる。これは、BBCの報道の軽重から感じ取れる基準なのですが、当然NHKもこの手の判断基準をもち、定期的に見直していかなくちゃいけない。

最悪なのは、人々が求める情報を提供するという判断で、それも、下衆の勘繰り的な情報に重きをおいてはいけない。芸能人の下ネタなどは、まあ、あまりNHKは重きを置かないようにも見えますが、明るい話題には気を許す。特に、NHKの番組に絡む話がそうなる傾向があります。これもちょっとまずいと言えばまずい。

で、民放も、それが寡占状態にあるなら、同じ基準が適用されるべきで、報道の自由を守るためには、あまり大きな力をもたないよう、互いに独立な多数の報道機関が、制約の少ない形で報道することが好ましい。その中には、特定の政治思想が含まれても許される、ということですね。これこそまさに、『言論の自由』なのですから。

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