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名画テロとイデオロギーの限界

アゴラ編集部の11/9付けアゴラ記事「ゴッホの絵を汚す『環境テロ』を理解しろという斎藤幸平氏に批判が殺到」へのコメントです。


「斉藤」つながりで、斉藤了英氏の逸話を思い出しました。この方、ゴッホの名画を買い込んで、「私が死んだら一緒に焼いてくれ」と語ったことで、世の大非難を浴びたのですね。

まあ、このお話の背景は、以下のURLあたりを見ていただくことにして、この言葉、美術を愛するが故の言葉の綾で、本当に焼けと言っているわけではないのですね。それが大いに非難され、一方、似たようなことを実際にやってのけた環境活動家は大いに持ち上げられる。https://www.dailyshincho.jp/article/2016/03130500/?all=1

この人たち、ポリティカル・コレクトネスで動いているのだと思うけど、この手の理性のなせるわざは、しばしば間違いもしでかす。所詮理性はヒトの脳の働きで、これが相当にできの悪いシステム。過去に人類のしでかした悪行の多くが、理想に駆られてのことであるのと同じなのですね。

まあしかし、それもそろそろ見切られている様子で、グレタさんが「反資本主義」の姿勢を打ち出したことから、エネルギー株が買われる。「な~んだ、サヨクか」、というわけですね。かつての新左翼が爆弾闘争で消えていった歴史が、今、環境活動家の世界でも起こっているのでしょう。

朝日をはじめとする我が国のジャーナリズムも、民主党崩れの野党の方々も、このあたりをきっちり理解しておかないと、「たいして怖くない存在」になってしまいます。大いに気を付けたほうが良いと思いますよ。

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