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良ク隠レシ者ハ、良ク生キタリ

黒坂岳央氏の1/28付けアゴラ記事「目立ちすぎてはいけない」へのコメントです。


昔の人(オウィディウス:古代ローマの詩人)は言いました、「bene vixit, bene qui latuit(良ク隠レシ者ハ、良ク生キタリ)」と。

これ、デカルトの座右の銘であったそうなのですが、スウェーデン女王クリスティーナに見つかってしまったのが運のつき、寒い国で早朝の講義をする羽目となり、風邪をこじらせて死んでしまう。座右の銘、役に立ちませんでした。

佐藤真人氏の論文「デカルトの自然の教えとは何か」では、デカルトが強くひかれた哲人が「セネカ」であること、その悲劇の一節「皆に知られすぎ、己自身に知られることなく死ぬ者に、死は重くのしかかる」を引用していることなどの、この背景が語られております。https://www.jstage.jst.go.jp/article/ethics/70/0/70_105/_pdf/-char/ja

まあ、セネカのこの言葉は、己自身を知る必要性にも、かなりの比重があるものと思われ、そういう意味では上のラテン語格言は半分だけしか語っていないのですが、デカルトに残りの部分は不要であったのかもしれませんね。

なにぶん、「われ思う、ゆえにわれあり(ego cogito, ergo sum)」なのですから。

1 thoughts on “良ク隠レシ者ハ、良ク生キタリ

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