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感情を持つAIの、可能性と意義

黒坂岳央氏の3/18付けアゴラ記事「AIが永遠に奪えない仕事の共通点」へのコメントです。


感情も脳の働きであり、脳には超自然的作用などなくてすべてが物理現象であることから、これを電子的に再現することも不可能ではないと考えられます。

ヒトの脳で感情を扱っているのは、海馬を含む大脳辺縁系と呼ばれる部分と視床下部で、前者は人の脳の中でも古い部分、動物的部分で、本能的欲求や個体の認識をおこない、視床下部は感情や情動を受けてアドレナリンなどのホルモンの生成をコントロールします。

で、人の精神的作用には、大きく分けて「理性」「悟性」「感性」の三つがあり、「理性」は言語化・数値化された情報を論理的に処理する能力、「悟性」は言語化以前の知覚情報からそれが何であるかを理解する能力で、理性と悟性を合わせたものを「知性」と呼びます。感性は知性の対立概念で、対象物を理解するのではなく、行動の方向性を与えるものということになります。

AI研究と人の精神的働きの関係では、「理性」を扱っていたのが「第五世代コンピュータ」などと呼ばれていた知識ベースマシンで、近年のディープラーニングを行うニューラルネットワークは「悟性」の働きをする。だけど、これに方向性を与えるのは、「感性」ではなく、誤差関数とか評価関数とか呼ばれる、ティーチングに際して与えられる正解なのですね。

そういう意味では、今のAIには、感性的処理はできていない。今のところ、人間の専売特許です。でも、それはやろうとしないだけの話で、その気になればできるはずなのですね。問題は、AIが本能的欲望を持ち、その充足を目的として活動することが、果たして好ましいことであるのかどうか、この問いに答える必要が、まずはありそうなのですが。


この部分、じつは、このブログの固定ページに置きました実験的小説「レイヤ7」でも扱っております。第5章の関係部分を以下にご紹介します。


夕闇が迫る中、赤提灯の灯るラーメン屋で馬場教授、相生教授に、「そうですか。こちらでも実は、英二君のマイクロアクチュエータを使って、全くの無生物から設計通りの生命体を作り出すことができるようになったんですよ。今論文書いているんですけどね」

「生命も作れれば、精神も作れてしまう。人間も機械と何ら変らないってのが、いずれは、世間一般の常識になるんでしょうね。果して、それが、良いことなのか」

「それを言うなら、ロケットなんかも打ち上げないで、空の上には神様がいるということにしておかなくては、いけなかったんじゃあないですか」

「これからの時代には、自然科学と矛盾しない、世界観の基礎になるものを、きちんと持っておく必要があるんでしょうな。それがないと、倫理も社会ルールも無茶苦茶になる」相生教授、難しい顔をしてコップ酒を飲み干すと、赤提灯の親父に頼む。「あ、すいません。もう一つお願いします」

「倫理ねえ。このあいだ、石黒さんに会ったとき、初期状態がどうのこうのと言ってましたけど、ニューラルネットの初期設定に、以前お見せした人間の大脳の接続を使われたんじゃあないですか。もしそうだとすると、これはちょっとまずいように思いますが」

「いや、あれを使ったわけじゃあありません。使っていないとも言えないが」
「えーっと、どういうことですか?」

「あのデータを出したところに問い合わせたんですよ。他にもデータはないかってね。それで、最終的に十七のニューラルネットのデータを入手しましてね」

「ははあ、遺伝的に決まる部分と、後天的に学習で決まる部分を分けたわけですね」

「ええ、共通部分を取り出しましてね。これを学習させれば、自我が目覚めるということは当然予測してましたんで、そうならないように細工を施しといたんですよ。自我を発生させる部分を取り除きましてね。しかしあいつは、自分で足りない部分を補いおった」

「ところで、知能発生のクリティカルマスですけど、プロセッサボード六百四十万枚というのは、以前のお話よりも随分大きいんじゃないですか。以前のお話では、人間の大脳はプロセッサボード十万枚もあれば、十分に再現できるってことだったですよね」

「そう、大脳のニューラルネットを再現するだけなら、プロセッサボード三万枚で充分です。今回のクリティカルマス六百四十万は、これに比べると、非常に大きい値ですけど、自然発生ということで、無駄な部分が多いんでしょうね。もう一つ、ニューラルネットのダイナミズムの部分の処理にも、かなりの部分が使われているんじゃないかな。この部分がどうなっているのか、まだ良くわかっていないんですが」

「ダイナミズム、ですか。人間の大脳では、さまざまな化学物質が関与しているところですね」

「そういえば、馬場先生は大脳生理学もやられてましたね。新しい思考ソフトは、これまでのソフトが知性だけを処理していたのに対して、感性を追加したというものなんですが、これでどうして、これほど大きい効果が現れるものか、生理学的に説明がつきますか」

「感情とか本能的欲求といったものは、脳の中では、大脳辺縁系と呼ばれる部分と、視床下部という部位の活動によるんですが、ニューロンのやってますことは、どこでも一緒、知性も感性も、それほど変りませんや。まあ、視床下部は内臓などからの神経と結びついているし、ホルモンの分泌を促す作用もありますから、脳のこの部分は、肉体的、動物的な部分といえますね」

「知性と感性が直交することから、思考ソフトで扱うパラメータを複素数にして、実数と虚数の直交を利用してこの双方を表すってのが、坊谷君の最初の発想なんですけど、人間の脳でやっとることとは随分と違うなあ」

「複素数を使うとは、またしかし、乱暴な発想ですね。大胆というか。しかし、それをやるなら、感性を実数にすべきでしたね。知性のやってることはイマジナリですから。先生方は真面目だから、知性を実数にしたんでしょう」

相生教授、馬場教授の洒落には気が付かない。

「もちろんそうしましたけど」

どこか腑に落ちない相生教授だが、だんだんわかってくる。

「ははあ、現実世界との入出力は実数で、ニューロンの処理の過程で虚の成分が出てくるってわけか。そいつは頭の中でできた世界で、イマジナリってわけだ」(洒落言ってんのか、あんたは)

「大脳の機能は空間的に分けられてますけど、AIOS上で動いている思考ソフトは、フラットで、場所による区別なんかないですよね。その中で、現実世界の刺激と、想像上の概念とをきちんと分けて処理しようと思ったら、扱う変数に違いを持たせるしかないんじゃないでしょうか。想像上の概念を扱う能力こそ、人間の知性を知性たらしめている所以ですから、それがきちんと扱えるかどうかは、本質的な違いになるんじゃないですか。空想上の概念と現実世界の認識を混同するようでは、知性とは言えないでしょう」

「そりゃそうだが……」相生教授、まだ一つぴんとこない。

「逆の見方をすれば、知性軸と直交する感性軸という形で、ニューラルネットという実在の細胞組織に働きかける、ダイナミズムの処理がきちんとなされているともいえますね。肉体の諸器官とのインターフェースもダイナミズムの一つだし、脳内のダイナミズムは化学物質が関与しているんですが、人工知性体では思考プログラムが処理しているはずです。これにも、複素数の片割れが使われているんじゃないでしょうかね」

馬場教授の真面目なコメントで、相生教授、これまでの疑問が氷解しそうな予感がする。

相生教授は、二つの世界に思いをはせる。知性体が意識している世界と、その知性体自体を含んでいるこの現実世界との二つだ。

「主観の世界と客観の世界、この二つが実部と虚部に分かれて処理される、ということでしょうかなあ」

「あ、つまりそういうことでしょうな」馬場教授は相生教授の理解を肯定するが、少しばかり誤解されている可能性に気付き、付け加えて言う。「ただ知性体の主観の中にも客観世界があるから話はややこしい。つまり、知性体が意識するところの客観世界は、つまるところ主観世界の一部なんですなあ」

馬場教授、話をややこしくするのが好きである。しかし、このあたりまで来れば、相生教授、惑わされるものではない。

知性体を取り巻く客観世界と、知性体に意識された主観世界、この二つの世界は、互いに無関係に存在するのではない。現実世界は知性体に意識されて、はじめて知的活動の対象になる。しかし、知的活動は、現実世界、物質界の法則にしたがって行われているのだ。

相生教授はぽつりと言う。

「知的活動は、意識されたイマジナルな世界と、意識の対象となり、かつ知的活動を支えているリアルな世界の狭間で行われている、ということですね」

馬場教授、コップ酒を口に運びながら、この言葉に頷く。

「そうなんですよ。このあたりは、哲学の領域ですね。まあ、人口知性体ができてしまった、となると、哲学の世界にも、相当な影響を与えるでしょうね」
「そういえば、坊谷は面白いことを言っておったぞ。大脳には情報量を最大化しようっていう本能的欲求があるとな」

「ははあ、こりゃ面白いですね。確かに、大脳も肉体的な一器官なんだから、それを突き動かしている原動力は、本能的欲求といえるわけだ。大脳の発達した、ヒト独特の本能ですね。もちろん、思考ソフトなら個々の係数に虚部を持たせて実現するわけですけど、大脳の場合はこれも視床下部に? いや、それだけじゃ済まないはずだ。大脳全体をカバーする、何らかの生理的メカニズムがあるんでしょうね。シナプスの配置自体が関与してるはずだなあ……。神経の働きを左右する化学物質は多数知られていますけど、その分泌を制御する化学物質がどこかで造られたり、壊されたりしているんでしょうね。制御を可能とするためには、二つの作用が拮抗しているはずだから……複雑さはマイナスで,新しい情報はプラスに作用するような……うーん、こういう研究はされていたかなあ。これは、ひょっとすると面白いテーマになりますなあ……」

一人ぶつぶつと呟きながら考え始めた馬場教授、帰って考えをまとめたい様子で、そわそわし始める。

「先生、今日は、良いお話をうかがいました。高齢化という社会的背景がありまして、大脳の研究は、今、一番ホットなところなんですよ。いや、もう少し考えさせてください。なにか面白いもんが見付かりましたらご紹介しますから」
「一つ宜しく」

「さて、人工知性体は理事長が飛付きそうな話だ、なんて与太話を前にしてましたけど、実際にできてみて、五条さん、どう動きますかな」

「まさか、いくらあの理事長でも……」


この後、「あの理事長」は、総理大臣の依頼を受けて、人口知性体の実現にまい進する、とそういうお話になっております。続きは本文をご参照ください。

1 thought on “感情を持つAIの、可能性と意義

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