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明るさを増す空の下、周囲の山間に烟る霧雨が雲のように見えます。

昨夜からかなりの雨が降ったとかで、内宮参道の玉砂利も、うっそうと茂る木々の葉も、埃を流して瑞々しい。二十分もそうして歩いて正宮を拝むと、一陣の風が眼前の布を吹き上げ、本殿がちらりと見えるのもあり難い。いかにも良い事がありそうな、伊勢参りでした。 ... "雨の晴れ行く伊勢神宮、、、" を続けて読む

オセロの打ち方なんて本を本棚においているもんで、私をオセロ好きと誤解する人がいます。実はこれ、オセロの相手をしてくれるプログラムを強くするために買ったのが、そのまま置いてあるのです。その昔、8ビットマイコンが流行り始めた頃、アスキーという雑誌で「マイクロオセロリーグ」という、コンピュータオセロのコンテストをやっていました。「森田オセロ」なんてのが結構強かったんですが、この森田さん、将棋のプログラムでも有名ですね。「思考ゲームプログラミング:オセロゲームのアルゴリズムと作成法」なんて本も、後には書かれています。 ... "オセロの打ち方" を続けて読む

何年か前に、横浜の「サカタのタネ」で、時期遅れになったバラ苗の半額セールをやってました。そのとき買ったのがスタンダード仕立ての「グルメ・ポップコーン」二本と「カップ・ケーキ」一本です。なにしろ、一つ千五百円ですから、スタンダード仕立てにしては、べらぼうに安い。 ... "ミニチュア・ローズ、グルメ・ポップコーン (Gourmet Popcorn) の数奇な物語" を続けて読む

今日の NHK テレビで、ネグレクトという幼児虐待の話題を扱っていました。赤ん坊が泣いたり笑ったりした時に、応えてやらない、ということを続けると、幼児の脳の発育に支障をきたす、という重大な結果を招くとのことです。 ... "ネグレクト:コミュニケーションが作る脳" を続けて読む

都市化によるコミュニティの崩壊が、人々のアイデンティティーの危機を招き、自殺や犯罪、精神の不安定といった問題を起こすと考えられています。これに対する一つの解として、ワイヤード・コミュニティが期待されています。ワイヤード・コミュニティとは、インターネット等の計算機コミュニケーションを介して形成されるコミュニティのことですね。 ... "ワイヤード・コミュニティ、あなたも参加しませんか?" を続けて読む

私が興味を持っている分野の1つに、計算機に絡む犯罪があります。私の書棚を覗いた人は、その手の本がずらりと並んでいることに、びっくりするでしょう。「こいつ、なに企んでんのや」なんてね。 ... "「犯罪?」法学者は目を吊り上げた" を続けて読む

科学の理論が作り出すものは仮説であると、昨日の日記に書きましたが、科学者には「真理の発見」が求められている、ということも確かです。

仮説は、どうすれば真実になるのでしょうか。 ... "「真理、真実」って、「信理、信実」じゃあ?" を続けて読む

ドルが高く(円が安く)なって、今日の株価は急騰しています。これ、誰も気が付かなかったんでしょうかねえ。日足見てれば見え見えだったんですけどね。コメント元の日記にも書きましたけど、この当時は、朝十時ぐらいになると、ドルが急に上がって、夕方まで、ドル高が続き、夕方5時を過ぎると、ドルが急に下がると、そんな動きを何日か続けていたんです。全く、役人というものは……、とその時思いましたね。 ... "円・ドル相場への政府の秘密介入が明るみに出たってことで、" を続けて読む

人間の思考が、個人の脳の内部に止まらない、ということを何回かにわたって書いてきましたが、個人の脳の内部に止まる思考だって、しばしば行なわれています。もちろん、その思考を可能とした知識、言語能力の獲得は、他者との関わり合いの元でなされたはずですけど、思考そのものは、個人の大脳の内部で行われ、その結果や途中経過が外部に現れない場合も多いでしょう。人知れず、一人で悩むとか、推理小説を読みながら、犯人は誰かなんて考える場合がそうですよね。その場合、思考する機能は、個人の脳の中に止まる、ということができます。 ... "考える意識と、研究する意識の違い" を続けて読む

「アヴェロンの野生児」とか、「狼に育てられた子ども」って、教育の重要性を訴える文書に良く出て来るんですが、実はこの話、それほど確かではないという説もあります。(教育学者のいい加減さの証明だとする説も……)これらの話は、幼児期において人間社会とのふれあいなく成長すると、その後の知性の獲得が困難になる、という実例(?)で、だから教育は大切である、幼児とのふれあいは大切であるという話に展開するんですけどね。 ... "自我(コギト)の社会性" を続けて読む

文化はどこにあるのでしょうか。

建築や芸術、本や風習など、我々の外部のモノにも文化は存在します。一方、文化とは常識のことであるといえば、その常識は、個人個人の頭の中にあるはずです。 ... "文化のありかは、頭の内? それとも外?" を続けて読む

文化は常識のことである、なんて定義を昨日の日記に書きました。

「文化」という言葉には、「良いもの」、「進んだもの」といったニュアンスがあり、その意味合いを文化の定義に含める場合もあります。「文化人」、「文化住宅」、「文化塵取り」など、なんとなくしみったれた雰囲気もないではないんですが、ここでいう「文化」は、これまでのものに比べて優れているという意味を含んでいるのでしょう。 ... "文化ってなに?" を続けて読む

神田で少し時間が空いたので、神保町の三省堂に寄ってきました。で、西研(にし・けん)著「哲学的思考 --- フッサール現象学の核心」という本を買ってきました。帰りの電車の中で読んだ部分、つまり前半は、この日記の趣旨とかなり似通っていますね。後半は、フッサールの考え方の解説です。西さんは、フッサールの崇拝者とお見受けしました。

ちょっと「客観」という言葉を不用意に使っているキライがあるけど、フッサールもそうなんですね。まあ、一読しただけで、あーだこーだ言うのは危険なのですが、今日の観点から、現象学を再構築するというアプローチも必要なのではないかなあ、等と不遜にも考えながらページを捲っていたのでした。


こちらで読み直しています。