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人間の思考が、個人の脳の内部に止まらない、ということを何回かにわたって書いてきましたが、個人の脳の内部に止まる思考だって、しばしば行なわれています。もちろん、その思考を可能とした知識、言語能力の獲得は、他者との関わり合いの元でなされたはずですけど、思考そのものは、個人の大脳の内部で行われ、その結果や途中経過が外部に現れない場合も多いでしょう。人知れず、一人で悩むとか、推理小説を読みながら、犯人は誰かなんて考える場合がそうですよね。その場合、思考する機能は、個人の脳の中に止まる、ということができます。 ... "考える意識と、研究する意識の違い" を続けて読む

「アヴェロンの野生児」とか、「狼に育てられた子ども」って、教育の重要性を訴える文書に良く出て来るんですが、実はこの話、それほど確かではないという説もあります。(教育学者のいい加減さの証明だとする説も……)これらの話は、幼児期において人間社会とのふれあいなく成長すると、その後の知性の獲得が困難になる、という実例(?)で、だから教育は大切である、幼児とのふれあいは大切であるという話に展開するんですけどね。 ... "自我(コギト)の社会性" を続けて読む

ドラクエ流に言えば、こんな風になるんでしょうかね。 ... "ヴィトゲンシュタインは火かき棒を振り上げた。ポパーは素早く身をかわした" を続けて読む

文化は常識のことである、って定義を何度も何度もこの日記には書きましたけど、文化と常識って、微妙な点で違いもあるんですね。 ... "文化と常識の微妙な違い" を続けて読む

文化はどこにあるのでしょうか。

建築や芸術、本や風習など、我々の外部のモノにも文化は存在します。一方、文化とは常識のことであるといえば、その常識は、個人個人の頭の中にあるはずです。 ... "文化のありかは、頭の内? それとも外?" を続けて読む

文化は常識のことである、なんて定義を昨日の日記に書きました。

「文化」という言葉には、「良いもの」、「進んだもの」といったニュアンスがあり、その意味合いを文化の定義に含める場合もあります。「文化人」、「文化住宅」、「文化塵取り」など、なんとなくしみったれた雰囲気もないではないんですが、ここでいう「文化」は、これまでのものに比べて優れているという意味を含んでいるのでしょう。 ... "文化ってなに?" を続けて読む

文化とは常識のことである、なんて定義を以前紹介しましたけど、常識って何でしょうか。 ... "常識(コモンセンス)はコモンなセンス" を続けて読む

昨日紹介した西研氏の本、最終的に目指しているのは、フッサールの現象学を社会に応用する、ってことです。だけど、肝心のその部分が、"To be continued" になっちゃっているんですねえ。 ... "意識を持つ社会、再考" を続けて読む

神田で少し時間が空いたので、神保町の三省堂に寄ってきました。で、西研(にし・けん)著「哲学的思考 --- フッサール現象学の核心」という本を買ってきました。帰りの電車の中で読んだ部分、つまり前半は、この日記の趣旨とかなり似通っていますね。後半は、フッサールの考え方の解説です。西さんは、フッサールの崇拝者とお見受けしました。

ちょっと「客観」という言葉を不用意に使っているキライがあるけど、フッサールもそうなんですね。まあ、一読しただけで、あーだこーだ言うのは危険なのですが、今日の観点から、現象学を再構築するというアプローチも必要なのではないかなあ、等と不遜にも考えながらページを捲っていたのでした。


こちらで読み直しています。

哲学史入門の掲示板にちょっと書き込みしました。その趣旨は、この日記のテーマとも重なりますので、こちらにもコピーしておきましょう。 ... "フッサールの自然科学批判をめぐって" を続けて読む

「合理的思考を実証的証拠にあてはめるという過程を通じて、この世の<真理>の発見につとめる」って、まるで探偵の仕事ですよね。だけど、これは、科学者に対する世間の一般的な期待を述べた文章です。 ... "探偵、それとも科学者?" を続けて読む

北朝鮮をめぐる情勢が日に日に厳しさを増す中で、イラク攻撃に反対する国際世論が高まっていますね。イラクが、北朝鮮とイラクに対するアメリカの対応の違いについて、ダブルスタンダードだと批判していました。この主張、まことに正論ですよね。 ... "ブッシュにだって、倫理のカケラは、ある。" を続けて読む

フッサールの出発点は、物理学が万物の本質を明らかにする学問として成功を収めているのに対し、哲学は、主観と客観の一致が困難と考えられたことから、行き詰まりを迎えていた、という所でしょう.それで、もともと哲学が追求していた「本質」の代わりに、当時は一段低級と考えられていた「現象」を研究しましょうね、というわけです。 ... "客観的諸学としての物理学" を続けて読む

「悲しきネットワーク」と題して、電子的コミュニケーション上に形成される社会、人間関係について、考察を深めてみようか、と考えています.その一部をここにおきましたので、ご参照下さい. ... "悲しきネットワーク" を続けて読む

オリジナル文書ページに置いた「エミちゃんの事件帖(#1, #2, #3)」、実は、現実の出来事をいくつか参考にしています。特に、#2 の方は、90年代の後半の fj.news.usage というネットニュースでの混乱をいくつか利用しています。(ネットニュース:掲示板のようなもの、Google から参照できます) ... "匿名性とインターネット" を続けて読む

今日は渋谷で時間が空いたので、本屋を覗いていました。ホームページのカラーコーディネートって、結構大きなテーマのようで、何冊か、単行本が出ていますねえ。私的には、現状で満足ですけど ... "イロは色いろ大変そう!" を続けて読む

この日記で私が展開しようとしている議論の立脚点は、漫画は科学的にはインクのシミとしか言いようがないけど、そこに人々は物語を見出すし、その物語こそに漫画の価値があるってとこなんですね。 ... "哲学、自然哲学、自然科学、現象学、、、自然現象学?" を続けて読む

この日記を書き始めてから、いろいろな脇道に入ってしまいました。今日は、その反省と弁明。 ... "そろそろ本題に戻らなくては" を続けて読む

ご興味のある方は、こちらからお読みください。

ここに描かれた意識を持つ機械は、この日記で議論しているのよりもずいぶんと大規模です。この理由は、この小説が書かれた時期が、少し古いためです。

いろいろな最適化を行なって、ぎりぎりの小型化を図ると、意識を持つ機械は、FPLD チップ64個、これにメモリーやハードディスクが加わりますが、多分、現在のデスクトップPCと、それほど変らないサイズに収まるのではないでしょうか。

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」というフッサールの本を読んでいます。

この本のさわりを、多少はしょって紹介しますね。 ... "ヨーロッパ諸学の危機云々" を続けて読む

少し暇になりましたので、これまでに書いた「意識を持った機械」に関する記述のまとめを行なっています。きちんと計算すると、昨日の記事は、少し過小評価だったようで、意識を持った機械を作るためには、最新のチップを使っても五千万~1億ほど掛りそうです。

文書がまとまったら、ホームページから見えるようにしますが、上記訂正につき、急ぎここに記します。

以前の記事に図書館で読んだ本の話を書きましたが、そのとき読んだある本に、ニューラルネットで扱う情報の桁は、それほど必要でない、と書かれていました。
ニューロンで扱う信号を、4ビットの符号付整数と、4ビットの指数部で表したらどうでしょうか。ココで議論しているようなニューラルネットを実装する際、最も負荷の掛る部分は乗算器なんですけど、その複雑さは、大雑把に言って、桁数の二乗に比例します。
以前紹介したザイリンクスのチップ(百万円)は、18 ビットの整数乗算を 166 個内蔵できます。整数部が4ビットの乗算であれば、乗算器の規模はこの 1/20 程度に収まるでしょう。

... "意識を持った機械の続き" を続けて読む

技術論ばかり先行して、本題がなかなか先に進まないのが難点ですが、、、

バックプロパゲーションによるニューラルネットワークの学習は、教師、つまり、好ましい反応を与える必要があります。人間の脳で行われていることは、教師なしの学習ですから、これを使うことは困難です。それに対して、ヘッブ則、つまり、ニューロンの興奮に寄与した接続(シナプス)を強化する、というやり方は、教師が不要で、人間に近いニューラルネットへの応用も可能です。 ... "ニューラルネットと AI" を続けて読む