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第3章 人工知性体


第1章 千手
第2章 出会い
第3章 人工知性体
第4章 レイヤの誕生
第5章 レイヤの復活
第6章 レイヤの追跡
第7章 レイヤの篭城
第8章 レイヤの時代


四月十日午前九時三十分、アイリストA棟会議室。

「はいこれ英二さんのアカウント。パスワードは必ず変えてくださいね」小さな紙を英二に渡す秋野助手。

かごめ自動車からアイリストに派遣されている真田研究員、ホワイトボードの前に立って、説明の準備をする。ホワイトボードには、簡単なフローチャートが書かれている。

「それじゃ、はじめようかね」

「すいません。綾子さんも一緒に研究会に参加させて頂きたいとのことですので」

「そりゃ大歓迎ですとも」

「では、真田さん、よろしく。私も前半だけおつきあいしますね」

「よろしくお願いしまーす」と綾子。

にこっ、と笑みを返す真田、説明をはじめる。

「今私が研究しているのが、AIナビ。まあ、AIというのもちょっとおこがましいんですが、これに使われている迷路探索アルゴリズムは、思考アルゴリズムの中でも基本的なものの一つです」

「そうですね。将棋やチェスの手を考えたり、数式を変形したり、定理を証明したりするのにも、同じアルゴリズムが使われているんですよ」と、秋野助手、補足する。

「この手続きが非常に簡単なのは、手続き内部で同じ手続きを呼び出す『再帰』という方法を使っているからです。迷路探索では、可能な全ての方向に一歩進んでみて、一歩進んだところから次の一歩をチェックするために、同じプログラムを呼び出します。で、全ての可能性を試し終わったら、呼び出し元に帰るんですが、そのときちゃんと帰れるように、プログラムは呼ばれるたびに自分が使う作業領域を確保いたします。あ、もちろん、その場所がゴールだったら、それまでの道筋を正解として出力するんですよ。えーと、判ったかな」

真田、喋りながらホワイトボードに書いたフローチャートの頭の部分に、ゴールの判定という処理を付け加える。

「このやりかたは基本になりますから、良く覚えておいてくださいね。では、私、ちょっと失礼します。真田さん、あとよろしくね」と、言い残して退席する秋野助手。

「カーナビのルートアドバイザ機能は、迷路を解くプログラムと同じなんですが、実際の道路は、目的地まで到達可能なルートがたくさんあります。カーナビは、これらのルートを評価して、最もポイントの高いルートをドライバーに教えるんですが、この評価のやり方、評価関数というのが、ソフトの良し悪しを決める鍵になります」

「普通のカーナビですと、評価は距離や所要時間でやってるんですが、かごめの開発したAIナビは、評価関数に特徴がありまして、ハンドルやブレーキの操作をナビシステムがモニターしてドライバーの運転技術を評価し、ドライバーにぴったり合った道を教えてくれるようになっています。もちろん、目的地に着くまでに走らなければいけない距離や、交通監視衛星から得られるリアルタイムトラフィック情報も折り込んで、そのときそのときの、運転者にあった、最適のルートを教えます。この『AI快適ナビ』は、かごめ自動車久々のヒット商品になり、開発者の私は社長表彰を頂いた上、更なる新製品を開発してこいということで、AIの世界ではちょっと有名な、先生の所に派遣されてきたのです」

「すっごーい」と、感心する綾子。

「というわけで英二君、なんかいいアイデアはないかね?」

「いやあ、もう先輩にそこまでやられてしまうと、私などにはなかなか」笑って誤魔化す英二。「ところでその交通監視衛星の情報って、どのように扱われているんですか?」

「これはコンソーシアムが打ち上げた衛星で、全国の道路上の物体を赤外線と電波でモニターしているんだ。軍事衛星と違ってナンバープレートまでは読めないけど、位置、大きさ、速度を毎秒数回把握している。この膨大なデータを地上にあるコンソーシアムの大型計算機で処理してこさえたトラフィック情報を、加盟組織にリアルタイムで供給しているんだよ。我がかごめ自動車はコンソーシアムのメンバーで、この情報を自由に利用できるんだ」

「その元のデータをみることはできないんですか?」

「勿論、我々なら何だってみれるさ」

「そうすると、自分の車のまわりに、どんな車が走っているかもわかるわけですね」

「当然だ」

「そうすると、道路の込み具合もわかるし、見通しの悪いカーブの向こうの車や、大型車の前の状況なんかもわかるし、霧の深いときの運転にも利用できるんじゃ……」

「あっ、ナビの道路画面にそこを走っている自動車を表示しようっていう」

「ヘッドアップディスプレーに、障害物を透かして、他の車が表示されるといいですね」

「うーん。たしかに。データを各車に送る手間がかかるが、どうせ今だっていろいろ送っているわけだからね。ふーむ、これはいけるかも知れない。何でこういう使い方を今までだれも考えなかったんだろう。しかし、君もなかなかやるな。ひょっとすると、君は将来、僕の良きライバルになるかも知れないね」


秋野助手は英二の研究指導の前半を聞いた後、もう一人の新入生、坊谷三郎の研究指導の様子をみようと、階段を駆け上り、二階ミーティングルームのドアをそっと開ける。

「あれじゃ強すぎてゲームにならないんです」と、指導員の柳沢、鳳凰堂から出向している研究員だ。

「あれも自己増殖型並列思考アルゴリズムを使っとると聞いたが?」坊谷に尋ねる相生教授。

「はい、先生の発表されていたプログラムが元です。プロセッサボード百二十八枚を装着したスケルトンユニット一つをハードに使って,各CPUが並列かつ時分割でニューロンをシミュレートしてます。OSもAIOSにして、ニューロンの複製増殖と再配置をOSに任せています」

「うちの霧崎も、似たような構成のシステムを引っさげて出場して、負けて来おったが、なにか改良を加えたのかね?」

「ずいぶんと無駄な計算がありましたので、相当シェープアップしましたけど、基本は先生のルーチンです。ティーチングの差じゃないでしょうか」

「無駄な計算と言うが、あれは教育用だからして……」

柳沢、話をさえぎり、本題に取りかかる。

「まあまあ。チェスプログラムで勝ち続けて、実力を世界に知らしめる、というのは確かにすばらしいチャレンジです。しかし、この大会、一般にはほとんど注目されておりませんので、これに勝ったからといって宣伝になるわけでもなく、我が社としては押せません。ここはせっかくAIの権威である相生先生の研究室ですので、より人間に近いAI、感情的な部分も処理できるAIを開発して頂きたい。実は私、昨日企画部と会議をもちまして、本社の連中からこの案でいくように強いプレッシャーをかけられております。つまり、AI恋愛シュミレーション技術を坊谷君の研究テーマとして頂きたいということなんですが」

「なんとまた恋愛とな。それを大学で研究したいと。まあ、何でも研究するのはいいとして、感性は知性と直交するじゃないか。直交ってのは、つまり無縁ということだよ。私のAIは、あくまで知性軸の上で解析するものであって、これに直交する感性軸の、いうなれば、つまり、非論理的な世界には弱いはずだが……」

意外にも、秋野助手がこれに反論する。

「先生、恋愛を通して人間は成長するといいますね。そういう成長過程のシミュレーションだったら、先生の自己増殖型並列思考アルゴリズムに良く合うんじゃないでしょうか。それに、感情といったって、所詮は脳における情報処理の一形態にすぎませんからね」

「わしには、あまり、賛成できんが……」相生教授、思わぬ反論にたじたじだ。

「まあ、やってみましょう。ちょっとやってみて、手に負えないとわかったときは方向転換しますから。それに、知性と直交する感性っていう先生の一言で、ちょっと思い付いたことがあるんです。結果はすぐに出ると思いますよ。柳沢さんのヒューマンシミュレータがありますので、作らなくちゃいけないのは、思考ルーチンだけですから」

「君がそう言うなら、それでも構わんが、君が本当にやるべきことは、もう少し考えてみんとな。まあちょっと、考えておきましょう」


遊水池の護岸のコンクリートブロックに腰かけ、パンとジュースの昼食をとる坊谷、英二、綾子の三人。池の周囲には桜が植えられ、今がちょうど満開。遊水池の対岸は、交通量の少ない一般道で、その脇にもやはり桜が植わっており、木の下で花見をする市民が二組、三組望まれる。

「どうもしっくりこないんだよな、こんなことやってっていいんだか」と英二。

「ずいぶんといい出だしだったようにみえましたけど」

「もう少しメカっぽいことやりたかったんだよね。坊谷も恋愛シミュレーションなんて、できるのかよ。ちょっと得意分野と違うような気がするけど」

「恋愛するっていうのは、ちょっと難しいと思うけど、感情をシミュレートするっていうのは、要は数学的問題ですから」

「まあ、恋愛シミュレーションゲームですか。できたらちょっと遊ばせてくださいね」

「ティーチングの段階で、お二人に協力してもらえたら嬉しいんだけど」

「喜んでいたしますわ」

「なんか、かったるそうだけど、まあ、やってやるよ」

どうも不満が残る英二と、何をしているわけでもないが幸せそうな綾子、新しいアイディアを考えこんでいる坊谷の、三人の上に桜の花びらが落ちる。


桜の舞い散る光景を望む料理屋の一室――

「感情をAIに組み込むというプロジェクトは予定通り開始致しました」

空いた石黒の猪口に酒を注ぎながら、霧崎が報告する。

「あの男はいずれ我がチームに加えたいが。サイファープロジェクトに参加させたらどうだね。情報センターの建設も、かなり進んでいるからな」

「いくら頭が良いといっても、まだ子供ですから、機密保持に問題があります。相生教授と秋野助手は手伝わせたいと言っていましたが、私が止めておきました。現場責任者としては、あたり障りのないテーマを与えて、結果だけを利用するという方針でいきたいと考えます」

「ふむ。当面は君の判断に任せよう」


四日後――

英二はA棟の前に立ち「Life on Information System」の標語を見上げている。

「命も心も、何か実体がある様に見えるけど、実は情報処理過程に過ぎないのよね」傍らを通りすぎる秋野助手、英二にまなざしを向けて、聞かれもしない質問に応える。

階段を降りてきた坊屋、そんな秋野助手に一瞥をくれると、英二にパームトップパソコンを渡して言う、「これ、例の恋愛シミュレーションソフト、申し訳ないけどティーチングお願いします。ガイドが出てくるから、特に説明は要らないと思うけど」

「はいよ」と英二、気楽に答える。

「綾子さんにもお願いしました」と、坊屋、顔を赤らめ、告白するように言う。


「ちょっとドライブといかないか」真田は、英二の前に突然現れると、そう言う。

「良いですけど、どこへ?」

「開発室。こないだの君のアイディアを試作してもらうよう、頼んでおいたんだ。今日、ナビの試作チームが開発室に来るから、君にも紹介しておきたいんだ」

駐車場の真田の車にはSマークが付いている。これを見つけた英二、嬉しそうに言う。

「ああ、真田さんは、特級免許、お持ちだったんですね」

「当然さ。君に助けてもらった時は、ステッカー貼り忘れてね。ちょっと試運転しただけだったんで。そういや君も特免ね。飛っばすぞー」

駐車場の横を綾子と歩く秋野助手,英二達を見て綾子に小声で言う,「いい男って,あの二人みたいなのを言うのよねぇ」

「本当に。絵になりますね」

言葉通り猛スピードでバイパスを抜ける真田と、その後にぴったり付けて走る英二。あっけに取られる他車のドライバー達。


かごめ自動車開発部の会議室では、開発部長が、にこにこしながら、英二に片手をあげて合図する、「やあ」

開発部長に従って二人は会議室に進む。そこには数名の技術者がおり、英二たちが着席するのを待ち構えていたように、プレゼンテーションを始める。

壁のディスプレーに映し出されたナビ本体の三面図を指して技術者が言う。

「本体はこれまでの製品と全く同様です。改造個所はソフトのみです」

画面が変わり、ナビの表示画面、道路上を赤い天が移動している。

「新機能の第一は、道路地図上に走行車両を表示すること。渋滞の具合や車の切れ目などがわかるだろうとの軽い狙いで始めましたが,シミュレーションの結果では、動きが表示されるのは、予想外に画面に躍動感を与え、商品イメージを高めることとなりそうです」

技術者がリモコンを操作すると、画面はハンドルとフロントガラス表示に切り替わる。

「こちらはヘッドアップディスプレーです。ディスプレーにつきましては、以前から開発を進めておりましたが、今回の試作にドッキングしようと考えています。本体のボタン操作によりディスプレーがせり出します」技術者の言葉通りのアニメーション表示が画面に出る。

「ディスプレーは透明の液晶フィルムで、小型カメラにより運転手の目の位置を捉え、外の景色に合った位置に、衛星で捉えた他車を三次元表示します。これは、元々は道路案内に用いる予定で開発されたもので、三次元表示はバララックスバリア方式で検討しております。液晶との相性が良いですから。試作計画は以上ですが、ご意見、ご質問はありませんでしょうか」

「ヘッドアップディスプレーはコストもかかるし、オプションって形で製品化するのが良いんじゃないかね」開発部長は満足げに言う。

「はい、ナビ本体への表示は、AI快適ナビ全機種に標準搭載するのが良いんじゃないかと思います。見栄えがする上に、全然コスト、変わりませんから」

「いいねえ。まあ、試作は両方ともやるということで」

「ありがとうございます」開発部長に一礼して、説明を終えた技術者は席に戻る。

「英二君、真田君、何かご意見ないかね」

「先ほどの絵では、車はみんな同じドットで表示していましたけど、車種もある程度わかるんだから,大きさを変えて表示したらどうでしょう」これは真田だ。
「あ、そうですね、そういたします」

「私の車にも試作品を一つ、付けて頂けませんでしょうか」英二は遠慮がちに言う。

「これは君の研究なんだから、当然、評価も君にやって頂かなくては。その段取りは、ちゃんと考えておくよ。それから、学会発表はもちろん構わないんだが、その節は宣伝部隊と相談するように」開発部長はそう言って、会議を締めくくる。


裏のテストコースを疾走する車を見ながらコーラを飲む英二と真田。

「しかしすごいですね。あっという間に試作が始まって」

「民間企業はスピードが命だからね。それに、ナビの本体はもう出来ているから、ちょっとソフトいじるだけで出来ちゃうのさ。さっきのプレゼン資料だって、前に使った奴にちょいと点々を付け加えただけさ」

「ちゃんと動くものができると良いですね」

「できるさ。連中を甘くみちゃいけない」

「あ、いや、別に馬鹿にしているわけじゃあ……」

英二達の上に散る桜。


数日後――

「こないだのゲームだけど、ちょっと作ったんで、みてください」と、柳沢にディスクを渡しながら坊谷。

「えっもう?」

「絵と音声はアニメのをパクリましたので、このまま売り出しちゃだめですよ」

「もちろんそんなことはしない。だいたい、そんな簡単に売り物ができるわけがないじゃないか」

防音室に立入禁止の札を下げて入る柳沢。

「ふーむ、こりゃあ……」柳沢の目つきが厳しくなる。


数日後――

キッチンでコーヒーを飲みながらスナック菓子を食べている英二、坊谷、綾子のところに現れた相生教授、コーヒーを注ぎながら英二に話しかける。

「英二君の研究は順調に進んでいるようだね。真田君が喜んでいたけど」

「まあ、モノはできつつあるんですけど、あまり研究って感じがしないんで、ちょっと困っているんです」

「いや、そんなことはないよ。真田君の方で、論文一つ書いて、今度、学会でも発表するそうじゃないか」

「ああ、それ、僕の名前も入れてくれるって言うんですけど、なんか、AIナビの宣伝みたいな論文ですよ」

「ま、それも業績だ。ところで最近、柳沢君をみないがどうしたのかね」

「私の作品を評価して頂いているところです」と坊谷。

「ああ、例の恋愛シミュレータか。できたら、レポートにして、秋野君に渡しておいてくれないかね」

「もうお出ししました」

「君はひょっとして、当分、時間が空いてしまったんじゃないかね」

「バイトやるからかまいませんけど」

「バイト? やるって? ああ、アルバイトね、情報量の単位じゃなくて。まあ、暇ならちょっときたまえ。あ、英二君、綾子さん、君等もどうかね」

「部外者立ち入り禁止」と表示された一階の奥の扉を開ける相生教授、  「なに、別に、入っても構わんのだよ」

そこは照明を落としたコンソールルーム。前方の壁は床から天井までの高さの大きな窓。思わずガラスに頭を押し付けて向うを見ると、地下三階から地上二階までの巨大吹き抜け空間、向う側にはスチールの棚が並び、縦横に通路とケーブルが走っている。

「千手(せんじゅ)だ。これは日本バックボーンサービス、JBBSの持ち物でね。あのバイパスの脇と裏の山の高圧線のところにバックボーン、つまりわが国を縦横に走る極太の高速データ通信回線が通っていて、ちょうどここらでクロスしとるんだ。で、場所がいいということで、情報の交通整理を行う機械をここに設置したんだ。やあ」と、秋野助手に会釈する。「秋野君はここで研究をする傍ら、JBBSからの依頼を受けて、これだけの装置の面倒を一人でみているんだよ」

「まあ、管理は全部自動化されていますから、私は見ているだけ。メンテは技術者が来るし」

「この機械は、インテックスの標準プロセッサボードを組み合わせたもんで、わしらが開発したオペレーティングシステム、AIOS(アイオス)で動かしておるんだ。ハードウエアは会議室の機械と変らないが、プロセッサボードの数が多い」

「ここには、このスケルトンユニットが二万五千個使われているんですよ。プロセッサボード三百二十万枚です。すごい数でしょう」

秋野助手の指差す先にはスケルトンユニット、これはアルミの角棒に多数の葉書大のプロセッサボードが取り付けられた、裸のプロセッサボードの集積体であり、両端には横長のコネクタがそれぞれ三つ、金属板に取り付けられている。

「スケルトンユニットは百二十八枚のプロセッサボードを組み合わせたものです。プロセッサボードの四つの高速光チャネルの内、一つはユニット内のプロセッサボードを接続するのに使われ、その他はこのコネクタに出ています。これを、上下、前後、左右の三つの方向に接続して四次元ネットワークを構成しています」

「プロセッサボード一つに二百五十六のCPUが搭載されているから、約八億のCPUがここにあるわけだ。人間の脳の神経細胞(ニューロン)は百四十億個といわれておるが、その十分の一も使われておらんそうだから、この機械で、人間なみの知性を実現できるやもしれん」

「先生、まだそんなことおっしゃって。人間なみの知性を人工的に作り出すことは、学会の倫理規定で禁止されています。それに、千手はJBBSの所有物で、通信業務に二十四時間使っていますから、他の用途に全部使うことなんてできません。(この機械、いくらすると思ってんのかしら)」

「AIOSって何ですか? 初めてうかがいますけど」と、綾子が聞く。

「AIOSは思考プログラムを走らせるベースとして、わしと、昔ここにいた、石黒君とで開発したオペレーティングシステムだよ。今は、霧崎君と秋野君で、後を引き継いでおるがね。(あまり進んでおらんようだが。)データ処理は、エージェントという単位で行うんだが、エージェントは、ショッピングセンターで買い物をする客のように、システムの中を自由に動き回って、あちこちでサービスを受けながら、目的の仕事を遂行していくんだ。OSは、ショッピングセンターの管理会社みたいなもんで、交通整理や、込み具合のアナウンスといった、サービス業務を引き受けるんだ。エージェントは、ときには分裂して、並行処理も行うんで、ボトルネックもなく、極めて高速というのが特徴だよ」

「ま、ここみたいに、いっぱいCPUがなければ、あまり特徴は発揮できませんけどね」腰が引けている秋野助手。

「最近ではCPUやプロセッサボードもいきつくとこまでいっちまって、技術も停滞しとるもんだから、プロセッサボードを沢山並べた、そこの、スケルトンユニットみたいなのが使われるようになって、まあ、将来のOSとして有望かな、という話も、ちらほらと出ておる」

「AIOSは、JBBSさんとの共同研究として、ここで試験運用してたんですけど、今は、次世代OSということで、少しですけど予算も付いて、政府のプロジェクトに格上げになったのよ。これ、鳳凰堂も参加しているんですよ」

「エージェントが勝手に動き回るんで、セキュリティ面に不安があるんじゃないか、という話を聞きましたけど?」と坊谷。

「まあ、警察役をする、スーパーバイザというサービスが組み込まれておるから、多分大丈夫だと考えておるが、まあ、しばらく運用してみればわかるだろう。今の所は順調だよ」

「警察があっても、犯罪はあとを絶たないってのが、現実ですからねえ」坊谷の指摘に、相生教授、むっとした顔をする。

「この計算機でも思考プログラムを走らせているんですか?」気まずい雰囲気を打ち消すように、英二が尋ねる。

「当然だよ、当然。AIOSと自己増殖型並列思考アルゴリズムを組み合わせると、かなり効率的なデータ圧縮ができるんだ。これは、秋野君の研究成果でね。データ圧縮の速度と効率は、通信会社のサービスとコストにすぐ響くから、JBBSも大喜びだよ。もちろん、何かあったら大変なことになるから、この機械には、通信業務に必要なものしか入れないし、走らせるプログラムは万全のチェックを経てから投入するんだよ」

「それが私の一番の仕事(てーか、悩みの種なのよねー)。ところで先生、今、こられたのは坊谷君のレポートですね。これ、論文誌に即採録になりそうなレベルに来てますよ」

「ああ、そうだ、忘れておった。坊谷君の成果は秘密にせよと、あっちでもこっちでも言ってくるんだが、どうしたもんか」

「鳳凰堂との包括契約では、これを製品化しない場合には自由に発表できて、製品化する場合には、発表は鳳凰堂さんのコントロール下に入る代りに、大学と関係者に報償金が支払われることになっています。これの製品化はどうなりそうですか?」

「柳沢さんが今評価をしているんですが、最近お会いしていないので、どうなったかわからないんですよ」

「ありゃ君のゲームに、はまっちまったんじゃないかと思うが」

「まあっ」と、小馬鹿にしたような顔をした秋野助手、話題を変える。「このマシンと同じものが、B棟の地下にもあるんですよ、ちょっと小さいですけど。そっちにも、ウチで作ったAIソフトが入っていて、遺伝子情報の解析とかやっています。あっちは、大学のものだし、間違いがあっても大学だけの問題で済みますから、勉強されるんでしたら、B棟の機械でやるのがいいですね。ハードの管理は馬場先生がされていますから、一度御挨拶にいきましょうか」


柳沢は、このところ坊谷の恋愛シミュレーションゲームに夢中、ゲームキャラに本気で恋をしているようだ。しかし、二人の関係は思うように展開しない。あまつさえ、最後には、柳沢がぞっこんほれ込んだゲームキャラは、柳沢を振って、去ってしまう。柳沢、しばし落ち込んだ挙句、坊谷に苦言を呈する。

「おい、君の作ったゲーム、ありゃあ、ひどいじゃないか。さくらを返してもらえないか」

「さくら、って?」坊谷、一瞬たじろぐ。

「ゲームキャラのことじゃないかね」と相生教授。

「ああ、バッドエンディングになっちゃいましたか」

あっさりといい切る坊谷に、相生教授、小声で問いかける。

「あのソフト、途中段階からやり直せるはずだろ」

「それがだめなんです。感情を入れるために、パラメータをコンプレックスにしてコンパイルし直したんですが、リアルとイマジナリの相互作用も出てきて数倍のエリアを食っちまいまして、後戻りなしということになっちゃいました。でも、人生ってそういうものでしょ。あ、そうだ。柳沢さん、ブランクディスクを入れてくださいってメッセージが出たはずですが、入れました?」

「ああ、三十枚ほど入れたり出したりしたよ」

「えー、そんなにやったんですか。お渡ししてから、まだ、一週間も経ってませんけど」

「ああ、このところずっと、ぶっ通しでやってたからな。ほとんど寝ていないし、会社にも行っていない」

「大丈夫ですか? で、起動画面で、思い出のアルバムを開く、っていうのを選択すると、そのディスクにセーブしたアルバムが見られるんです。まあ、ゲームはやり直せませんけど、それで我慢して頂けませんか」

「うん、見てみる」


昼すぎ、思い出のアルバムで立ち直った柳沢は、坊谷の試作品を鳳凰堂に持ち帰る。

柳沢の上司、杉本第二制作部長、柳沢の顔をみて心配そうに尋ねる。

「どうしたのかね、君は。大分やつれているようだが」

「恋愛シュミレーションゲームのプロトタイプ、できました。私自身の評価ですが、二重丸です」

「そりゃまたずいぶん早いね。おーい、チーフ、ちょっと来てくれ、あ、これがサンプルね」

「はい、操作法は前作と同じで、電源オンでメニューが出ますから説明の必要もないと思います。素材データはアニメのパクリですけど、いつもと同じ、別ファイルにしてありますから、簡単に入れ換えられます。きれいな絵を描くクリエータと声のよい子を起用してください」

「そりゃ当然だ。君は余計な心配をしないで、少し休んでてくれないかね。仕事熱心なのは結構なんだが、過労死されたらかなわん。何事も程々でお願いしますよ」

「はあ」と、死にそうな声を出す柳沢。


数日後、鳳凰堂の会議室には、何やら疲れ果てた感じの人たちが何人か集まっている。

そこに入室した常務、これを不思議そうに眺めながら席に着く。これをみて、杉本第二製作部長が立ち上がって言う。

「今回の恋愛シミュレーションゲームは、久々の大ヒットとなる可能性大との評価チームからの内々のご連絡があり、特別に常務のご出席を賜りました。諸君には気合を入れた報告をお願いしたい。では、まず最初に評価チームからご報告をお願いします」

杉本部長に促され、何やら貧相なひげを生やした男が立ち上がり、報告を始める。

「今回評価いたしましたゲームは、AI技術を応用した恋愛シミュレーションゲームで、恋愛を通してキャラとプレーヤが共に精神的成長を遂げるというものです。技術的には相生教授の増殖型並列思考アルゴリズムを当社奨学生が改良したもので、柳沢君の話ではコンプレックスが組み込まれているとか。論理的思考だけでなく、人間心理の深淵、無意識の部分までをも計算機上に再現したこと、これがこのゲームをかくも魅力的にした鍵である、というのが我々の推測です」

「あ、ちょっと」常務が話に割って入る。「技術的な話は極秘ということで、ここでも一切しないでくれたまえ。柳沢君、君も注意してくれたまえ。本日は、具体的なとり進めを議論しようじゃないか」

柳沢、恐縮したように頭を下げるが、評価担当の男は常務に一礼しただけで話を続ける。

「データは三タイプを用意いたしました。男性、女性、ジェンダーフリーです」

「ジェンダーフリー?」

「つまり、恋に落ちる相手の性別はお構いなし、というモードです」

「そりゃまた」

驚く常務を諭すように杉本部長が言う。

「ジェンダーフリーモードは最近の人権思想にもマッチするものであります」

「で、結果は?」

「それぞれのモードに五人のベテランのエヴァリュエータをあて、五日間のテストランを行いました。結果は全ての評価項目で最高となっています。特記事項は、一五人中八人が、本気になってしまったことです。恋愛シミュレータゲーム百戦錬磨のつわもの共をここまで本気にさせるゲームであれば、一般のユーザには相当のインパクトを与えるものと推察されます。このゲームが大ヒットする可能性は極めて高いものと思われます」

「プレーヤの精神に何らかの悪影響を与えるリスクはないのかね?」常務がきく。

「心理テストの結果、男性モードと女性モードは若年層への影響が強く、一八禁扱いとするのが良いと考えられます。刺激的な映像も含まれていますし。不思議なことに、ちょっと非道徳的と思われるジェンダーフリーモードは、比較的クールな関係が形成され、年少者のプレーにも全く問題はないという結果です。内容的にも、最終到達状態はプラトニックラブで、キスシーンさえも出てきません」
「ああ、つまり、ジェンダーフリーなんていうから難しいのであって、要は、お子様用、というだけの話ではないのかね」

「さすが常務。おっしゃる通りです」杉本部長、ここぞとばかりに、常務を持ち上げる。「もちろん、今の大人にも幼い連中は多いですから、キャラの描き方一つで、幼児でも大人でも、どちらでも、対応可能です」

「さて、どうしたものか」

「ここはやっぱり流行りのジェンダーフリーで押すのがインパクトあります」宣伝部長が常務に応えて言う。「変に幼児の絵にしますと変態っぽくなりますので、オリジナル通りの設定でよろしいのではないでしょうか」

「よし、それで行こう。ソフトはニ本。ジェンダーフリー版をメインにして、ちょっとエッチなアダルト版を男女切り替え可能にして出す。こっちは、少々高めの値付けでも良いだろう。いずれも、最高のアニメータと声優を起用すること。宣伝も最大級に打つ。スケジュールは?」

「プログラム本体は出来ていますから、試作版は一月で仕上げます。発売はニ月後でよろしいでしょうか」

杉本部長の発言を受けて、宣伝部長が言う。

「五月二十日からゲームショーが始まります。ここで緊急発表するのが最も効果的です。さわりの画像が出来次第頂けませんでしょうか。マスコミ向けの配布資料も準備せんといけませんし」

「テスト版が出来ているなら、ショーまでにベータバージョンを準備したまえ」これは常務だ。

「了解しました。大至急手配いたします」

「それからもう一つ、このプロジェクトは極秘開発ということにして、ショー直前までは、一切の情報を表には出さないようにしよう」

「常務、それはすばらしいアイディアです。そのように取り進めさせて頂きます」宣伝部長も、ここぞとばかりに、常務を持ち上げる。


会議室から出る社員たちの間で、部長の肩をたたいて常務が言う。

「良くやった。企画会議から十日で、これほど凄いものが出来るなんて、一体どういうマジックを使ったんだね」

「うちの奨学生に天才が一人おりまして、それとうちの柳沢が組んで開発したんです。柳沢はこの一週間でやつれ果ててしまい、しばらく使えそうにありません」

「しばらく外国にでもやって、遊ばせてやるか。わしのとこの旅費がずいぶん余っているからな」

「いや、これからの大事なときに、あの男には近くにいてもらう必要があります。バグでも見つかったら、こちらでは手におえませんから」

「とことんこき使うってわけか。お主も悪じゃのぉ」


相生教授、坊谷のレポートをデスクに放り投げ、秋野助手にぼやく。

「結局こいつは発表できんか。実のところ、感情という言葉で片付けていた第二の次元は、論理に方向性を与えるもので、知性と切り離してたことは間違いかもしれんのだが」

「坊谷君も一生懸命アルバイトしているみたいだし、名誉よりお金の方が嬉しいんじゃないかしら。あの子だったら、いくらでも論文書けそうだし」

「金よりも、名誉よりも、自分が人類の進歩に多少なりとも貢献したという実感が、本当は一番に求められてしかるべきで、わしゃそういう研究者を育てたいと思っておるんだが」

(ふん、なーんてったってお金よねー)と、内心思う秋野助手。

「まあ、この問題については、わしがもう少し考えておくことにしよう」と相生教授。


五月十日午後六時のA棟玄関ロビー。坊谷と柳沢が話しているところに、帰り支度をした英二と綾子が近づいてくる。

「おっす」と、英二。「あっ、柳沢さんもお久しぶり」

「ああ、この間のゲーム、できたってさ」と坊谷。

「ベータバージョンです。お二人にもどうぞ」と柳沢、愛想がいい。

「わー、私この作家(ひと)大好き」

「ああ、君たちがティーチングしたんだってな。すると、さくらは君の分身? 信じられん」好奇のまなざしで綾子を見遣る柳沢。

「まあ、AIの方でいろいろと考えていますから、ゲームキャラの反応はティーチャーとは別個のものと考えた方がよろしいかと」と坊谷。

「当然そうだな。いずれにしても、ティーチャーの君たちにも印税はきちんと出ますから、振込先を教えて頂けませんか」

「あんなんで金になるの?」

「当然の権利ですから御遠慮なく。あ、それから後で契約書にサインをお願いします。ほんの形式ですけど」


高台の豪邸、黄昏の空が大きな窓の向うに見える、居間の大画面テレビでゲームに熱中している綾子、目が潤んでいるようだ。

「ふーむ、英二君もなかなかですわね。恋に落ちてしまいそう」


深夜、同じ部屋。

「ははあ、これが相生教授の言っていたゲームか」五条勇作、娘の持ち帰った試作品を見付ける。「ふーん、こっちが男性用か」

ゲームマシンに吸い込まれていく媒体。ブラウン管の光に照らされる勇作。時を刻む時計の針。ゲームに熱中するあまり、夜が更けたのも忘れているようだ。

ステージ終了の音楽が流れ、幕間のアニメーション画面が始まる。この隙に、と勇作はグラスに氷入れ、水を注ぐ。

と、突然、物語が始まり、勇作はあわててコントローラを手にする。そのはずみで、グラスが倒れ、床に落ちる。勇作はそれを横目で見るが、「ちっ」っと呟くのみで、再びゲームに没頭する。


居間のドアが音もなく開く。現れたのは、ゴルフクラブを片手もった住み込みの下男だ。その後ろには、同じく住み込みの女中も、下男に隠れるように立っている。

「だんな様、何をなされておいでですか」下男は驚いたように言う。
「気にせんでよろしい。あ、それから明日の午前は誰にも会わんから、来客があっても断っといてくれ」


勇作,ソファーにドンと寄り掛かり、伸びをする。居間の大きな窓からは、朝の光が差し込んでいる。

やっと恋愛シミュレーションゲームを最後まで終わらせたらしい勇作、満足げにエンディング画面を眺めていたが、クレジット画面の娘の名前を見付けて驚く。

「なんということを」険しい顔をした勇作,直ぐに大学に電話を掛ける。

「ギャルゲーに娘の名前を出すとは、あんたらいったいどういう神経をしてるんだ」

「いやこれは人間の成長過程をシミュレートした至極まじめなソフトで……」電話の相手は相生教授だ。

「言い訳は聞きたくない。だいたい、ポルノを大学で作るなんて、許されると思っているのか」

「いや、作ったのは鳳凰堂でして、それに、これはポルノじゃないでしょう。そりゃ、私もスカートの丈が少々短いとは思いましたが」

「何を言っているか。そんな生易しいものではなかったぞ」


ぺこぺこと受話器に頭を下げた相生教授、やっと話が終わった様子で、そっと受話器を戻す。

「先生のされたのは、ジェンダーフリー版、一般用でして、多分理事長がされたのは十八禁のバージョンですね」柳沢、額の汗を拭く相生教授に言う。「誰が渡したんだろう、あんなものを」

「十八禁? そんなものも作っておったのか。そんなものを大学でこさえられたら、理事長が怒り出すのも無理はない。君はそれを綾子さんに渡したんじゃないのかね」

「綾子さんにはお渡ししましたが。しかし、アイリストで製作したのは思考ルーチンの部分でして、その他の色づけの部分は、社の方で製作しています。問題になるようなことでも、ないと思いますがねえ」

「いずれにしても、作者は匿名、アイリストの名前も出さない、それが理事長の命令だよ」

「そんなことでしたら、お安い御用です。そのように手配いたします」


六月二十三日、ゲームショーが開幕する。鳳凰堂は、これまで秘密に開発を進めていた、AI恋愛シミュレーションゲームを、このゲームショーで、大々的に発表する。

柳沢は、評価担当者と共に、技術スタッフとして、鳳凰堂ブースに詰めている。開幕前の一時、コンパニオンの一人に目をつけた柳沢は、仕事を忘れてアタックを開始する。先日のゲームとは打って変って、反応は上々。柳沢、次の展開に取りかかろうとするが、突然、常務に肩を叩かれ、赤面して、直立不動の姿勢をとる。

「やあ、ご苦労さん。何かトラブルがあったと聞いたが、きちんと処理したかね」と常務。

「開幕五分前です」と会場放送。柳沢には「ゲーム・オーバー」と聞こえる。また、バッドエンディングだ。しかし柳沢、気持ちを仕事モードに切り替える。

「はい。著作者表示の件で、作者のお父様からクレームが出まして、匿名にすることで対処致しました。先方にも御理解を頂いております」

「このスペイシアというのがそれかね」

「はっ。三人の方がコーディングとティーチングに関わり、三次元空間ということでスペイシアと」

「覆面作家というわけか。なかなかよろしい」

「それから、相生教授からの依頼もございまして、アイリストの名前も出さないように致しました。恋愛ゲームの制作に公立の研究機関が関わっていることが知れると物議を呼ぶのではと、アイリストの理事長からクレームが出されたようです」

「用心に越したことはないな。機密保持には十分注意を頼むよ。君のことは役員会議でも話題になっているから、期待を裏切らないよう、頑張って下さい」

にまっと笑みを浮かべ、柳沢の尻をむにゅっと揉んで去っていく常務と、気が抜けてコンパニオンにも手を出せない柳沢、コンパニオンは柳沢との会話を続けたそうに微笑み、柳沢を見つめて「うふっ」と呟いているのだが。

「開幕一分前です」と会場放送。乾拭き雑巾を片手に走り回る宣伝部長。ブース前、勢ぞろいするコンパニオンに焚かれるフラッシュ。杉本第二制作部長と話す常務から一人離れて、ぼーっとする柳沢。

時報に続いて、「ただいま初日開幕です」との会場放送、走りこんでくるマニアたち、これを後ずさりして避ける柳沢。


赤提灯のテレビに流れるニュースは、ゲームショーの中継に切り替る。

「はい、こちらゲームショーの行われております国際展示場です。御覧のように、夜になっても人の波が絶えません。この展示会、ゲームマシンはもちろん、パソコンから携帯電話、インターネットなど、さまざまなハードで動くゲームソフトを百社以上が出展し、ゲーマー達の熱い視線を集めています。その中でも今回最も注目されておりますのが、鳳凰堂が極秘開発したAI恋愛シミュレーションゲームです。このゲーム、本格的な人工知能技術を応用したもので、リアルな恋愛が楽しめちゃうという……」

カウンター席で馬場教授、ニュースを横目に、相生教授に話しかける。

「これ、先生の思考プログラムでしょ。えらい評判じゃないですか」

「まあ、よくできたゲームではあった。坊谷のプログラムは、新しい着想を含んでおりましてな、一度詳しく検討する必要があります。しかし、柳沢は、もっと真面目なことをするはずだったが、大学来て、何をやっとるんだろう。恋愛ゲームで遊んでいただけのように、わしには、みえるんだが」

「仕事をしていたということでしょう。ゲームは鳳凰堂の業務ですからね」

「彼は、ヒューマンシミュレータを開発するということでアイリストに来たんだ。最初は真面目にやって、シミュレータも論文もきちんとできたんだが、その後の研究はさっぱり。遊んでるとしか思えん。まあ、商売の方は、上手いことやっとるようだが」

「そんなに柳沢さんを責めちゃ気の毒ですよ」と、馬場教授。「例の大災害サバイバルゲームは、かなりヒットして、鳳凰堂さんでシリーズ化されたじゃないですか。リアリティが高いってことで、自治体の防災計画にも利用されていますよね」

「防災や都市計画はいいんだが、国防省からも請負って、それをまた、鳳凰堂が戦争ゲームとして製品化したいと言い出して、大騒ぎになっとった。どいつもこいつも、何を考えておるのか」

「柳沢さんは、これらのソフトに、ずっと関わっておられたわけで、研究はちゃんと受け継がれて、発展しているわけですね。おまけに、鳳凰堂のヒューマンシミュレータは、ゲームの世界では定評があるようで、いろいろな人の手で分析されていて、ひところは柳沢さんの論文、引用数のベストテンに入っていましたよ。先生の思考プログラムが世の役に立っている好例じゃありませんか」

「わしは、ゲームだって、研究成果の応用として、悪くはないと思っとんだが、理事長が堅物でしてな、ゲームを目の敵にしている。だから、今回の恋愛シミュレータにも、アイリストのアの字も入っていない。おまけに、研究成果の発表もままならないで、なんのために研究しているやら……」

「お金は入ってくるでしょう。大学にも、先生にも」

「ま、それは良い事なんだが……」

「鳳凰堂も儲かって、柳沢さんも出世して、手伝った学生たちの懐も豊かになる、これも、研究の成果といえるんじゃないですか。論文だけが全てじゃないと思いますが」

「学術研究の目指すところは、人類の持つ知識の総量を増加させることさ。身内で喜んでいるだけじゃ、本物とは言えんだろう」

「あまり贅沢を言っちゃいけません。目標を高く持つのはいいんですけど、鳳凰堂に関しては、満足すべき展開だと思いますけどね。私の所でも、新しく開発した薬が大いに売れれば、それは、医薬開発の立派な学問的成果として認められますよ。その薬自体、それほど新味がなかったとしてもね」

「まあ、薬は、どんな薬でも、その存在自体に社会的意義があるんでしょうね。ゲームは、そうは、思っちゃもらえない」

「しかし、五条理事長は、ゲームセンターの経営もされていて、ゲームに関してはプロ級の腕前だったはずですけど、不思議ですねえ。これじゃまるで、紺屋の白袴ですね」

「ゲームの下らなさを知り尽くしているってことなんでしょうが、その中身には、非常に高度な技術が使われていることを、ご存知ないんじゃなかろうか」


一方、石黒と霧崎も別の場所で同じ話題を扱う。

「随分評判になっているようだが、機密漏洩の恐れはないんだな」

石黒の質問に答えて霧崎、「はっ。手は十分に打っております。鳳凰堂にも念を押しましたし、アイリストからは、バイナリで出してソースは出さないようにしています。坊谷が就職すると、事情は変ってきますが」

「鳳凰堂の中枢部は押さえた。かごめもな。君はアイリストを見張っていてくれ。先のことは心配はいらん」


五月十五日午後五時半のアイリストB棟玄関ロビー、Life, an Information System の看板を見上げる英二。

「生命は、何か実体があるようにみえるけど、本当は、一連の化学反応過程にすぎないのよね」

秋野助手、英二に話しかけながら、左手のドアを開け、馬場教授に声をかける。

「先生、連れてきました」

「おお君か、英二君は。こっちだ」

実験室に案内される英二。秋野助手は顕微鏡の下に置かれた小さい透明カプセルをみて呟く。

「これね」

カプセルの両横にはレバーのついた複雑な機構。向うの壁には大きなスクリーンに遺伝子が表示されている。

「これはいわゆるマイクロアクチュエータで、分子レベルの操作を狙って設計したものだ。つまり、二重螺旋を、あたかも粘土細工のごとく、切ったりつないだりしようというわけだね」

秋野助手がレバーを操作すると、ディスプレーの左右から箸のような棒が二本づつ現れ、遺伝子をつかもうとする。が、棒の先がふらふらと動いて、なかなかつかめない。

「ごらんのように、アクチュエータ自体はちゃんと動くんだが、つかむことができない。君がメカのエキスパートだということを相生君から聞いておるんだが、これをうまくつかめるメカを設計して貰えんだろうか」

「はあ」

「こっちの顕微鏡をのぞけば、メカがどうなっているか見えるよ」

接眼レンズを覗く英二。丸い関節で接続された細い骨格が無秩序に伸びている。関節の周囲に筋肉が配置されているが、みるからに弱々しく、ちょっとレバーを操作すると、腕が振動してしまう。

「この紐みたいなのは人工筋肉ですか?」

「いや、天然筋肉だね」

「この骨格は、こりゃ、ひどい設計ですね」

「それほどひどくもなかろう」

むかっとする馬場教授。

「図面と制御ブロック図を二~三日貸して頂ければ、改良案をお持ちします」

「ちょっとコピーさせるから、その間、そこらをみててくれたまえ」

「せっかくですから、先生御自慢の装置をみせて頂きましょう」

「そう、わしの作った機械も、結構役に立っていることが、わかるはずだね」


右手のドアを通ると、そこは一~二階が吹き抜けの巨大な実験室で、丸みを帯びた、ぴかぴかのステンレスチャンバーと制御盤が整然と並んでいる。あちこちで、ボードを持った白衣の男女が操作したり、議論したり、サンプルを運んだりしている。

「ここの装置はみんな馬場先生の開発された自動遺伝子組換え装置です。それぞれのチャンバーの中には、何百かのセルが入っていて、いくつもの組換えと培養を同時にやっているんですよ。この設備は、製薬会社からアイリストに来られている先生方も使っておられます。生命科学部門には、馬場教授の他に、五人の教授がおられて、タワーのワンフロアづつを使っておられるんですけど、みなさん製薬会社が本務の先生方で、ここの研究室は、それぞれの製薬会社の分室みたいなものなんですね」

秋野助手、英二を連れて実験室の中をどんどんと先に進む。

「ここの装置はみんな地下の計算機でコントロールされていて、装置をセットすれば、後は自動的に実験をして、結果のレポートまで仕上げてくれるんですよ」

中央の大きなドアを出ると、そこはエレベータホール。エレベータで地下二階に下る秋野助手と英二。エレベータのドアが開くと、薄暗い部屋で、二方向がガラス窓、その向うには、A棟同様、地下三階から地下一階に至る大きな吹き抜けがL字型に広がっている。

「こっちの機械室は、地上部分がないのと、発電機とか水槽とかが入っていますので、A棟の機械室よりはちょっと狭いんです」

「それにしても大きな地下ですね」

「この地下室は、最初、地面の上に作って、それから回りを埋めて地下室にしたんだそうです。アイリストの敷地は、谷を半分埋めて造ったんだけど、地盤の関係で、古い地盤に基礎を作る必要があったのね」

「それでA棟にも地下があるんですね」

ガラス窓の向うをみると、A棟と同じような計算機を収めた棚が、びっしりと設けられている。

「こっちの計算機は『文殊』って名前で、A棟の『千手』の四分の一の規模ですけど、アイリスト専用ですから、私たちの研究に使える部分はずっと大きいんですよ。A棟の会議室の横の端末からも使うことができて、私がソフトのメンテしています。ここで動いているAIプログラムは、遺伝子を解析して、怪しい部分を見付け、上の実験装置を自動的に動かして、サンプルを合成するところまで、全部勝手にやります。レポートまで書いてしまうんですよ」

「その成果はだれのものになるんですか?」

「文殊が書いたレポートは、だれにも見せずに封筒に入れ、教授会でくじを引いて、製薬会社から派遣されている五人の先生方に割り当てるんですよ。面白いでしょう」

「なんかいんちきだなあ」

「有望そうな薬が見付かっても、効き目や副作用を調べないといけませんから、モノにするには大変な手間がかかるんです。だから、馬場先生以外の人たちも、仕事をしていないってわけではありません。あまり面白い仕事だとは思いませんけどね」


二日後の五月十七日、午後五時半。アイリストA棟の会議室奥の計算機室。大きな画面に向かって図面を引く英二と、これを横で見ている秋野助手。そこには人間の両手に近いロボットハンドの図面が描かれている。そこに、真田が入ってくる。

「英二君、こないだの試作品、できたよ」

「ええーっ、もうですか」

「車に付けて、持って来た。これキー、君の車の隣に止めといたから、しばらく使ってていいよ。社品で事故ると面倒だから気をつけてね」

「ええーっ、いいんですか」

「ウチには車は売るほどある」と、つまらない冗談を言う真田。「で、それは?」と、CAD画面を見て、英二に聞く。

「馬場先生に頼まれちゃったんですよ」

「これはマイクロアクチュエータハンド。英二さんをお借りして、悪かったかしら?」 

「いいえいいえ、実はナビの試作で開発センターに行ってたんですけど、ここでロボットを開発できないかと西川部長に迫られて、何としたものかと思ってたんですよ。英二君にこんな才能があるとは思ってもみなかった。これのでかいのもできるかな?」

「あ、大きさはどうでもできますよ。筋肉の代りにモータか何かを使わなくちゃいけませんけど」

「水圧式で考えています。ファイバーで強化したチューブを使って、高圧水を送り込んで膨らますと縮むってやつ」

「ああ、人工筋肉ですね。これは都合がいいですね。このメカニズム、筋肉の脹らみを利用して、骨格の変形を抑えているんですよ」

「ふーん、凝ったことをやってるんだな。で、足の方もできるかな」

「二足歩行ですか。メカはできるけど、制御が難しそうですね」

「それ、前にやったのがどこかにあるわよ。二足歩行と知能発達に関係があるんじゃないかって、ずいぶん研究した人がいたから。みんな、止めとけっていったんですけどね」

「操作はマニュアルですか?」

「いやいや、AI制御だよ。頭の部分に、センサー類と思考ソフトを搭載する」

「頭はちょっと難しそうですね」

「ここのAIマシンを入れるには相当大きな身体が必要ね。身長三メートルっていうのが、前回の計算だったけど」

真田、胸を張って、英二と秋野助手の心配を打ち消す。

「実は、かごめ自動車は、このたび、鳳凰堂さんと契約を締結致しまして、AI恋愛シュミレーションゲームのコアを搭載したロボットを、共同で開発する運びとなりました。まだ、ここだけの話ですけど」

「ええーっ、ロボット相手に恋愛しよう、ってお話ですか?」

「いえいえ、あのAIコアは、ティーチングをやり直せば、恋愛以外の対人関係にも十分対応できるってことです。最大のマーケットは老人福祉、介護役兼話し相手ってわけです。その他に、警備、消防、レスキューなどの危険な業務への応用も視野に入れています。サッカーやらせようって話も出てますよ。でー、実は、頭はもう、鳳凰堂さんの方でこさえてまして、これに胴体をくっつけて頂ければいいんです」

がさがさと、真田が紙袋から取り出した頭は、カマキリの頭を楔形にしたような形。頂上の左右にレンズがついており、その脇に触角のようにマイクが突き出ている。頭の中央には大きな丸いメッシュが膨らんだ形に設けられており、動物の鼻のようにみえる。

「これは鼻ではなく、スピーカ。さすがエンターテイメントの鳳凰堂だけあって、オーディオには凝って、でかいスピーカがついてます」

口はディスク挿入部分で、下あごが少し下がって挿入口が開くようになっている。

「屋外での使用に耐えるよう、ディスク挿入口も防水仕様になっています。口が尖っていると、倒れたとき危険だということで、あごは丸くしたらしいです。力仕事もするから、百キロぐらいのものは難なく持ち上げられるようにしてくださいね」

「この頭だと、身長は一メートル前後ってとこかな」

「あ、そうそう、肝心のコントローラは、鳳凰堂さんのゲームコア十六枚で構成されています。これに入れる思考ルーチンや制御プログラムの部分では、柳沢さんや坊谷さんにも御協力頂けるとのことです」

「そりゃいいや」と、英二、嬉しさがこみ上げてくる。「面白そうな話ですね」


A棟の屋上に出る相生教授と秋野助手と真田と英二。辺りには青いビニールシートに包まれた塊がいくつも散在している。

「確かこの辺りだったはず」

と、二つ三つのビニールシートを捲って探し歩き、「これこれ」と、一つのビニールシートを開けると、かなり大きな下半身のみのロボットが、しゃがみ込んだ形で出てくる。なんとも不気味な形だ。

制御ボックスの蓋を開け、新しいバッテリーを入れて、ノートパソコンからのケーブルを接続する秋野助手。

「ちょっと危ないですから、離れててくださいね。電源入れまーす」

秋野助手がノートパソコンのキーを操作すると、「ひゅん」という音と共に素早く立ちあがるロボット。なんか、近くに行くのが怖い。足と腰と、腹の部分の制御ボックスだけの構成だが、それでも高さは二メートル程になる。バランスをとるため、上半身の代りを務める二つの錘が、制御ボックスの上でふらふらと動いている。

「結構大きいですね」と英二。

パソコン画面を見付める秋野助手、「ソフトも完全に残っています。チェック完了、異常なし。歩かせましょうか?」

「やってみたまえ」

がちゃんがちゃんと音を立てながらギクシャク歩くロボット。いつの間に来たのか、坊谷と綾子と霧崎。

「ついにこれが役立つときが来ましたか」

どうやら霧崎がこの足を開発したらしい。

「二足で歩けばAIのレベルが上がるわけではない」と、冷たく言い放つ相生教授。

「一応実験室まで運んでおきましょうか」

「そうしてくれ」

「しかしでかいな」と英二。

「さて、君はこれをどう改良するかな」

「頭が小さいですから、全体のサイズは三分の一にできます。そうすると、重量は三十分の一に軽量化されますので、関節の機構や骨格部が相当に簡略化されます。制御では、ダンピングをもうちょっと効かせて、コンプライアンスをもう少し下げる。最終停止位置を触覚センサーで制御すると、もっと自然な動きになるんじゃないでしょうか」

「二足歩行ソフトはどうしましょうか」と、心配そうな秋野助手。

「これも先生の自己増殖型思考アルゴリズムで実現してるんですか?」と坊谷。

「もちろん、このボックスに入っている」と霧崎。

「なら、恋愛シミュレータに簡単に移植できますよ。二足歩行ぐらいなら、ゲームコア一枚で、充分制御できると思いますよ」あっさり言う坊谷。

「まあ、ロボットの方も頑張って欲しいけど、AIナビのテストもよろしく頼むよ。じゃ、また明日」言い残して家路につく真田。


「さて僕等も帰りましょうか」と言う坊谷に、「送ってくよ」と、貰ったばかりのキーをみせる英二。「ちょっと試作品をみてくれるかい」

綾子を含めた三人は車に向かう。キーをまわしてカーナビの電源を入れると、画面上では、自動車を示すいくつもの赤い点が道路部分を動き回っている。

「これはいい、込み具合も一目瞭然だね」と英二。

「自画自賛」とは、坊谷の茶々。

「もう研究が形になるなんて、すごいですねー」感心する綾子。

英二、車をスタートさせ、正門から出て、堤防をわたり、遊水池のアイリストとは反対側の道を通ってバイパスに向かう。バイパスに入ったところで、ナビの下のボタンを押すと、フロントガラスに、周囲を走行している車が三次元表示で映し出される。が、実際の車の位置とは少しずれている。

「これはちょっとまずいな」

英二の言葉に、坊谷も後部座席より英二の頭の脇に顔を突き出してスクリーンを見る。

「二メートルばかりずれているようですね」

「ああ、ずれはどうやら一定ではないな」

「衛星の位置によるのかな……でも、誤差さえ直れば、結構いいじゃないですか、これ。その誤差だって、衛星からはこの車もみえているはずだから、修正できますね」

「あ、それ頂き。今晩かごめにメイルしとくよ。じゃ、ちょっと飛ばすね」と、加速する英二。「しっかり改造してる。さすが製造元、こりゃちょっとしたもんだ」

英二、感心しながら、右に左に車線を変えて、どんどん車を追い越していく。が、急に、「しまった」と、減速する。

「どうされました?」 と、心配そうに振り向く綾子に、「特免のステッカー貼り忘れた。制限守らなきゃ」

ややあって、「あはははぁー」と、力なく笑い出す英二。

「んんーっ?」と、不思議そうに英二の顔を覗きこむ綾子に、英二が解説する。

「いやぁ、真田さんに最初に出会ったとき、あの人も特免のステッカー貼り忘れて、パトカーに追っかけられていたんだ。どじな奴だと思ったけど、俺も同じじゃん」

「似たものどうしの出会いってわけですね」

「車好きってとこは似ているけど、それ以外のところはずいぶんと違うようにみえますよ。真田さんって、あんまり技術がないんじゃあ……」と坊谷。

「ま、会社ん中じゃ上手くやっているみたいだから、それでいいんじゃないの。あの人が設計してるのって見たことないけど、運転技術はかなりのもんだし、技術の良し悪しはちゃんとわかっているみたいよ」恩人真田をかばう英二。

ゆっくり走る英二の車の向うに夕日が沈んでいく。


翌五月十八日十一時三十分、坊谷は、アイリスト二階の学生室でパソコンに向かっている。パソコンの横には、ロボットの頭が小振りの座布団の上に置かれ、パソコンの裏とケーブルで接続されている。英二、心配そうに後に立つ。

「この頭でちゃんと制御できるかよ」

「大丈夫。二足歩行ソフトはこっちに移植しましたけど、予想通り、一枚のゲームコアで間に合いました。一応シミュレーションではうまく動いていますんで、明日にでも霧崎さんの下半身に接続してテストしてみたいと思います。その他、音声認識と意味理解も一枚のボードで十分できます。ゲームにも使っていますからね。同じボードに学習機能も入りますんで、これ使って、老人介護に必要なさまざまな知識を覚えさせればいいでしょう。手足が付いたら、教材を置いておけば、勝手に勉強してくれますよ」

「そっちは僕が用意したよ」と、柳沢。「ロボットには、通信教育のディスクで、充分勉強してもらうよ。老人介護と看護の教育コース、秘書養成コースも買ってきた。こいつにはワープロなんかの操作方法も含まれている。その他にも、調理、法律、園芸、書道、語学、運転などなど、とにかくたくさん買ってきた」

「結構ハードですね」と英二。「でも、運転なんか覚えさせて、免許はどうするんですか?」

「自動操縦システムとしての認可が必要だから、これがちょっと難物かもしれないね」と柳沢。「しかし、老人介護にも運転は必要だろう。このロボット開発には、かごめ自動車が一枚噛んでいるし、車を無視するわけにはいかないね」

「医療用エキスパートシステムとしての認可も必要ですね」と、これは秋野助手。

「そうですね。老人用となると、怪我や病気もあるだろうし、緊急時には応急手当てもできなくちゃいけませんからね」

「しかし、料理ができるロボットなんて、凄いですねー。一流シェフにティーチングさせて、レシピもいっぱい覚えさせれば……」と綾子。

「そういうソフト、たくさん出てましたんで、いくつか買い込んできました。どこまで、信用していいかわかりませんけど、宣伝文句が本当なら、有名レストランのシェフの味が出せるはずです。まあ、ご期待下さい。実技のティーチングには、秋野先生のご協力を頂けませんでしょうか。あまりにも当たり前な事柄は、教育ソフトでは扱ってませんので」

「喜んで。どんな料理ができるか楽しみね。私もそのソフトで勉強しなくちゃいけませんね。それから、実技を教えるときには、材料は奮発してくださいね」

「はいはい。あと足りないのが、社会常識と対人関係。こういうのって、教育ソフトがないんですね。お客様の接待なんかを教えるソフトはあるんですけど、それじゃあ肩凝っちゃいますからね。この部分のティーチングは、綾子さんにやって頂きたいと考えているんですけど」

「それがいいわね」と、秋野助手。「他の人がティーチングしたんじゃ、ちょっと一般受けしないもんね。だけど、掃除洗濯は私が教えた方がいいかも。週末に貸して頂ければ、一通り教えておきますよ」

「よろしくお願いします」と柳沢。「基本知識は、一台に教えれば、あとはコピーできますから」

「ジャズダンス、こんなの教えてどうするんですか?」柳沢の買ってきたソフトをかきまわしていた英二が訊ねる。

「年寄りの健康管理に、ジャズダンスのインストラクターもできたらいいだろ」と、柳沢、にやりと笑う。「なーんて。実は、ロボットに踊らせたら面白そうだと思って……」

「教育ソフトでティーチングしたロボットを販売するのって、著作権侵害にならないかしら」と、秋野助手、変なことを心配する。

「うーん、多分大丈夫だとは思うけど、一応法務に確認しておきます」と柳沢。「一般的な知識は大丈夫だと思うけど、料理のレシピやジャズダンスの振り付けなんか、問題になるかもしれないなあ。ま、必要なら許可得るだけです」

「年寄りだけに使わせるなんて、もったいないですね」

「さしあたり、政府が買い上げて、高齢者に配るというお話ですからねえ」と、真田。「だけど、このロボット、コストは小型乗用車の半分以下ですから、政府なんかあてにしなくても、各家庭で一台ずつ買うってのも、いずれは、夢じゃありませんね」


七日後の五月二十五日、午後六時半すぎ、アイリストB棟の馬場教授の実験室、馬場教授を前に、マイクロロボットをセットする英二と秋野助手。

「先生、ちょっとやってみましょうか」

ごそごそとアクリルケースを開けて遺伝子をセットする馬場教授。スクリーンに二重螺旋が映り、左右から三本の棒が、ひょろ長い指のように出てくる。

「小さいものがつかめるように、先を細くしました」

スクリーンを指差して、教授、英二に依頼する。

「ここの部分をちょん切って下さい」

注意深く遺伝子を切断する英二。スクリーンには、英二の操作するマイクロアクチュエータの指先がみえている。

「あ、それ捨てないで、ここに引っかけといて、次、ここ切って、こうつないで下さい」

スクリーンを指しながらの教授の指示に従い、遺伝子の一部を切り取り、残りの部分を元通りにをつなぐ英二。双方の遺伝子を注意深く近づけ、端どうしをこすり合わせると、ぴたっとくっ付く。作業を終えて振り返る英二に、馬場教授の誉め言葉。

「これはすばらしい。君はこれがどれほどの価値があるかわかるかね」

英二は実験台を離れ、秋野助手が持ってきたコーヒーをすする。

「今までの遺伝子操作は、確率的。わっと切って、いっぱいできた中から,いいのを選んでいたんだ。これでやれば、一発でねらい通りのものができます。実験は早くなるし、装置が小さくなるんで、たくさん並べて、いろんなテストが同時にできます。秋野さん、悪いけど、こいつを計算機につなぐ作業をまたお願いできますか」

「はい、喜んで」

「今日はもう遅いから、もし良かったらお食事でもどうですか」

「先生おなじみの景色のいいところ?」

「お口に合いませんかね」

「いえいえ、とっても素敵ですわ」

「英二君もどうかね」

「いいんですか。でもこの格好ですよ」

「なに、わしも似たようなもんさ」

馬場教授の格好はもっとひどい。


崖の上に建てられた瀟洒なレストラン、確かにラフなスタイルの人たちが多い、技術屋好みの店のようだ。キャンドルのゆれる暗い部屋の周囲は大きなガラス窓で、外にはすばらしい夜景が広がっている。料理はフランス料理のコース。とはいってもそれほど上等なものではなく、使っている材料も普通のものだし、盛り付けに凝っているわけでもない。南仏風家庭料理といったところか。

ワインが入ると、馬場教授、俄然饒舌になり、秋野助手と英二は、B棟の各研究室の最近の椿事や事務員たちのゴシップを一通り聞かされる。馬場教授の話題は次に相生研に移る。

「犬は飼い主一家に序列をつけて接するといいますけど、あの事務長が我々に付けてる序列、最近変化したことに気付きましたか?」

「いいえ。事務長からみたら、理事長以外は、全員雑魚なんじゃありませんか?」

「いやいや、雑魚にも序列がありまして、理事長が別格の最上位なのは言うまでもありませんが、その次は、理事長直々に引っ張ってきた、不肖この私だったんですよ。相生先生は、その次か、下手をすると製薬会社の客員教授以下だったんです。情報工学部門は、長い間、赤字すれすれでしたからね。でも、ここに来て、相生先生は私を追い抜いて,一躍ナンバーツーに踊り出たんですよ。それも理事長に極めて近いナンバーツー。なにしろ、綾子さんが入られたもんだから、この大学でただ一人、理事長の弱みを握っているのが相生先生ってわけ」

「そういえば、五条理事長、最近ちょくちょく相生研に顔を出しますね」

「お嬢さんのテーマが決まらないと、気を揉んでおられるようだけど、彼女、大丈夫なんですか?」

「そういえば綾子さん、何をしたくてアイリストに来たんだろう」

「まあ、入ってから考える、って人も多いからね。英二君だって、就職決まらないから、とりあえずアイリストに入った、って言ってたじゃないか」

「難しいところは、綾子さんは、技術をきりきり追っかけるよりも、人間関係、社会関係の方に目が向いているってことなのよ。でも、頭は相当に切れる人ですから、いいテーマを掴んだら、大きな成果を上げるんじゃないかしらね。それに、対人関係に興味が向いているっていっても、研究に不向きってわけじゃないと思うんですよ。これまで、研究っていうと技術中心になりがちだったですけど、本当は、技術の研究も、人や社会との関連をおろそかにしちゃいけないはずで、特に、人工知能の技術はそうなんですね。だから、そっちの側面が強く要求されるテーマはないかしらと、相生先生も私も考えているんですけど……」

英二、はたと思い当たる。「ああ、そうか。彼女がティーチングした恋愛シミュレーション、あれは傑作だったですよ。思考ソフトだけじゃ、あれは絶対無理。なんか、そういう世界を見付ければいいんですね」

「そう。ソフトウエアはアルゴリズムだけじゃありません。会計の規則を知らないと会計ソフトが作れないようにね。特に、思考アルゴリズムは、それを使う人たちとの対話が含まれていますから、利用者との対人関係をきちんと考えて作らないと、変なことになってしまいますね」

「技術屋の書いたマニュアルって、読めたもんじゃないですからね。ソフトそのものがあんな調子だったら、とても使えたもんじゃありませんね」英二、秋野助手の考えを理解する。

「綾子さんの正反対にあるのが坊谷君だな。彼は、技術面では極めて優秀な男だが、人付き合いは、からきしだめ」

「僕や綾子さんとはまともに付き合ってますけど」

「私ともまともに付き合っているわよ」

「彼は、英二君や秋野さんという人間と付き合っているんじゃなくて、英二君や秋野さんの技術的才能と付き合っているように思えるがね。綾子さんと付き合っているのは、ひょっとすると、女性として……」

「いくら坊谷でも、そこまで割り切っちゃいないと思いますよ。まあ、彼がときどき、技術的能力に劣る人たちを馬鹿扱いするのは、僕も少々問題だと思っているんですが」

「柳沢君や真田君だね。あれは私も馬鹿だと思うよ。スタイルはいいし、洒落者で、お金があって気前もいいと来てるから、事務員たちの受けはえらくいいが」

「真田さんたちは、企業の中で生きている人たちですから、僕等のような格好をしているわけにはいかないと思いますよ。それと、企業の中でうまくやっていくのも、ある種の才能なんじゃないですか? 僕も、いずれは、そっちの才能を身に付けたいと思っているんですが」

「あ、それはいえるな。私の言っているのは、あくまで技術で評価した場合の話。幸せな人生を歩むためには、技術面での才能よりも、組織の中でうまくやっていく才能の方が必要なんだろうな。それに、せっかく開発した技術も、組織の中に持ち込めないと、現実の役に立たないから、こういう才能も、けして要らないってわけじゃない。だけど、技術の道に進んで、必死に勉強をして、せっかくアイリストという場で研究の機会を与えられていながら、そっちの才能が生かせないというのは、ちょっと寂しい話じゃないかね。特に、真田君は、AIナビって触れ込みで相生研に来たわけだけど、ナビのAIってのは、単なるセールスの謳い文句で、今の人工知能研究のレベルとは、はるかに隔たっているじゃないか。まあ、AIに違いはないんだが。英二君も、気をつけないと、論文が全然まとまらないってことにならないとも限らない……」

「たしかに、AIナビは,研究って感じが全然しないんですね。マイクロアクチュエータの方が,ずっと、論文書き易いと思うんですけど」

「それはいいね。このテーマで書いてくれるんだったら,応用例のところ,協力するよ」

「その点、柳沢・坊谷のペアは最強ね」

「柳沢君はちょっと気の毒なところがあるんだよ。彼はゲームの世界では相当に業績を上げてるんだが、鳳凰堂があまり成果を発表させない。おまけに五条理事長がゲームの価値を全然理解しないって、相生先生、こないだぼやいてたよ。先生も宮仕えの身だからね。最近は柳沢君,やる気を失っているんじゃないかね。商売の方はお盛んなようだけど、研究面では、彼、近頃はろくな成果を出していないから。ゲームがだめなら,他のもので成果を上げるぐらいの知恵は働かないもんかと思うんだが。柳沢君にとってもう一つ不幸なことは、彼が勤めている鳳凰堂がエンターテイメント業界ってことで、彼のスタイルは、全体に軽くて派手なんだね。これも、アカデミズムの世界では浮いてしまう原因だろうね。ま、根は真面目な、青白き文学青年といったところで、真田君に負けず劣らず、女性にはモテモテなんだが」

「スタイリストといえば、石黒さんが一番なんじゃないですか」と、秋野助手。「あの人のは、決まりすぎていて、なんか近寄るのが怖いみたい」

「石黒さん?」

「ああ、最近お顔をみせない方よ。籍は相生研にあるんですけど、ちょっと秘密のご研究をなさっていてね」

「ありゃ、スタイルというより、美学、人生哲学に近いもんがあるね。だけど、自分で勝手に決めた形にこだわって、目の前の真実が見えなくなってしまうようなところがあって、これもある意味では馬鹿といえる。あの人の技術面の才能は、坊谷君といい勝負じゃないかと思うがね」

「霧崎さんは石黒さんの後を追っているように感じられるんですけど、大丈夫かしら」

「あれはあれで、なかなか見所があるよ。研究室のみんなは馬鹿にするし、馬鹿にされてもしょうがないようなこともしでかしてるが、大型ロボットを作ったり、チェスのコンテストに出たりしてるじゃないか。ちょっと外れたところがあって、それが大方の失笑を買っているんだが、そういうチャレンジ精神だけでも見習う価値は十分にあるさ。それに、チャレンジの結果だって、それほど悪くはない。ロボットはちゃんと二足で歩いたけど、これをあれだけの時間でやり遂げるのは、生半可な技術力じゃないと思うよ。チェスにしたって、確かに坊谷君には負けたけど、世界大会で第二位だからね、普通なら、賞賛される成績だ。まあ、変なところにこだわるのは、石黒似ではあるがね。この二人が目を覚ましてくれると、相生研も大いに発展するんだが」

「その相生先生はどうですか。なんか、いい雰囲気してると思うけど」

「彼は、スタイルとか、美学とかは超越しちまってるからな。頭が良い悪いというモノサシでも、あの男は評価不能だ。なにしろ、ちゃんと筋道を経て考えるということをしない。それでいて、いつも正解を出すんだよ。これは、相生先生のこれまでの研究人生で、数知れず考え、悩み、失敗してきた経験が、全部先生の頭に入っていて、そこから、当座の問題にぴったりの答えがさっと出てくる、というような仕掛になってるんじゃないかな。いつも問題を根底から考えている人だから、対象が替っても応用が利くんだな。今じゃあ、学者、教育者というよりは、導師のレベルに達したといえるだろうね」

「さて、馬場先生の相生研人物評で残っているのは、私たち二人だけ。わくわく」

「いやあ、本人たちを前にして言うようなことじゃないんだけど。秋野さんも酔いが回ったかな」

「先生も大分飲まれていたみたいだから、ひょっとして出てくるんじゃないですか?」

「そうだね……。英二君はまあ、相生研の変人たちの中では平均点、技術もあるし、組織との付き合いもそこそこできるし、スタイルも悪くはない。英二君は幸せな人生を歩むだろう、って予言しとくよ。交通事故さえ起こさなければね。そういえば、英二君も、ある種の美学も持っているように見受けられるね。昔のハッカーみたいな。組織に頼るんじゃなくて、自分の腕で、みんなをあっと言わせるようなものをこしらえて、一目置かれよう、ってとこかな。これは、悪口ではないからね」

「遠慮されなくてもいいですよ。ずばずば言っちゃってください」

「おいおい、英二君もワインをたくさん飲んじまったんじゃないかね。帰り、運転しなくちゃいけないんだろう」

「雰囲気に酔っているだけだから大丈夫です。で、最後の一人は?」

「秋野さんね。この人は難しいんだよ。本人がいるから怖いってわけじゃなくて、秋野さんは自分を出さない人だからね。なんか、周囲の動きに流されているって感じがするね。B棟の機械を世話してもらっているからわかるんだけど、技術的には相当なハイレベル、細かいところにも気を使って、トラブルを未然に防いでいるんだ。だけどそれを全然表に出さない人でね。問題を起こして大騒ぎしている人って、すごく仕事をしているようにみえるけど、そんな奴は、わしに言わせればただの無能だな。秋野さんはトラブルなんか、まーず、起こさないから、いつもマイペースで飄々とやってるんだ。で、損をしているかっていうとそうではなくて、わかる人にはわかるから、周囲には認められているし、研究も自由自在にできちゃうんだね」

「システムのお守りって、トラブルを出したらおしまいじゃないですか。それは普通のことだと思いますわ。研究は、たしかに、好きなようにやらせて頂いてるわね。別に、能力を認められてるって実感はないけど……。自分を出さないってのは、別に謙虚ってわけじゃなくて、俺はこれをやる、なんて大きなことをいって張り切るのは、なんか、あんまり格好のいいもんじゃないと思っているし、そんなことやると疲れちゃうのよね。だけど、黙っていると、いろいろな雑用が回ってきて、結構苦労してるんですよー」

「苦労もまた楽し、ってとこじゃないかね」

「人に頼られるのって、ちょっと嬉しいじゃないですか。それに、計算機扱うの、好きですからね」

「こうしてみると、相生研は人材が揃ってるんだね。羨ましいよ」


テラスでワインの酔いをさます馬場教授と秋野助手。ここからの景色が、このレストランのウリである。眼下に無数の住宅の明かりがきらめき、車のテールランプがあちこちの道路を動き回っているのが小さく見える。景色をひとしきり見遣った秋野助手、ポツリと洩らす。

「もうすぐ夏ですわね」

「恋の季節というわけか。わしはお邪魔だったかな?」

「何をおっしゃる、財務大臣」話をはぐらかす秋野助手。


三日後の五月二十八日午前十時、駐車場でロボットを組み立てる英二、素早い。徐々に増えていく見物人、相生教授、秋野助手、坊谷、綾子、三人の研究員、山田事務長と三人の事務員も野次馬に加わっている。できあがったロボットを椅子に座らせ、見物人に向かって英二、「最初はマニュアルで動かしますから」

ティーチングマシンを身にまとって、別の椅子に腰かける英二。これはティーチャの関節の動きを読み取る装置である。

「すいませんけど、モーションフィードバック、調整しますんで、ちょっとロボットの腕を手で動かしてもらえませんか」

ロボットの腕を動かす真田。ティーチングマシンに腕をひねられて悲鳴を上げる英二、「いててっ、ちょっと離して」 どうやらフィードバックが強すぎたらしい。

「モーションフィードバックゲイン、下げまーす」と、調整する秋野助手に英二、「オーケー、いきますよ」

英二の動きに合わせて立ちあがるロボット。身長一メートルほどの子供型。いろいろにポーズを取る英二と、その動きを真似るロボット、バーベルを持ち上げるロボット。五十キロ、百キロ、百五十キロ、「二百キロ、どうしますか?」と聞く英二に秋野助手、「今ので、出力最大です。そろそろ限界です」

「安全見込んでるから、二百ぐらいいけると思いますよ」との英二の言葉だが、バーベルを準備していた真田は、「この辺でやめとこう。まあ、百キロ持ちあがればいうことはありません。それ以上の重たい年寄りには、特別仕様で対応しましょう」

せっかく上手くいっているのに、危険な橋を渡りたくはないというところか。


「さて」と、相生教授。「いよいよAIモードで動かすわけだが……」

「そりゃ、AIには手足がなければ本物ではない」と、手放しで喜ぶ霧崎。

「感情でロボットを動かすのは危険じゃありませんか?」と、心配そうな秋野助手に相生教授が解説する。

「スーパーバイザがきっちり組み込んであれば大丈夫さ」

「すうぱあばいざ?」英二が聞き返す。

「全てに優先するプログラムで、人を傷付けちゃいけないとか、法律を守れとかいった、ルールに従った動作をさせるのよ」と秋野助手。

「坊谷君、スーパーバイザは間違いないね」

「はい、三ヵ所でチェック入れてます。リモコンで緊急停止もできますし」

「よし、それじゃ切り換えますよ。皆さん、ちょっと気をつけてください」

後ずさりする見物人。パソコンに向かう秋野助手、「三、二、一、ゴー」

がちゃっと緩んだティーチングマシンを脱ぎ捨てる英二。秋野助手、相生教授に報告する。

「AIモードに入りました」

ロボットは立ったまま停止している。その前に近づく相生教授、「さて、ロボや、手始めにそこをぐるぐると歩き回っておくれ」

歩き回るロボット。ちょっと回転半径が大きすぎ、見物人の方にやってくる。思わず逃げ出す見物人。

「はい、停止」

相生教授の指示に、ロボットは自動的に停止する。

「AIも止めますよ~」と、多少おびえた声を出す秋野助手、相生教授が「うむ」とうなずくのをみて、ぽん、とキーをたたく。

「AIモード切断しました」

「こいつはしばらく調教が必要だな、綾子さん、悪いけど、こいつに常識を教えといてくれないかね。人を脅かしたりせんようにな」

「はいっ」と、微笑む綾子。


「はーい、私の後についてきてください。一、二、一、二」緊急停止発信機を片手に、ロボットを調教する綾子。

「かわいいね」カルガモ風に、綾子の後を追う二台のロボットと、それを優しく振り返る綾子。


綾子の操作する携帯プレーヤの音楽に合わせてジャズダンスを踊るロボット。これをみつめる真田と柳沢。

「こりゃたいしたものだな」

「ペットにするには少々ごつすぎるような気もするが」

「ごついところが受けるのさ、とウチの市場開発室の連中がいってたよ」

「売れるかねぇ?」

「政府が数買ってくれるらしい。高齢者に、介護と話し相手のため配布、全国の消防と警察に配置、その他諸々という話が進んでいるらしくて、相当な量の発注内示があったようだよ。トータルで百万台を超えるような話だから、単価百万円として、一兆円規模のビッグビジネスになりそうだよ。これ、申し訳ないけど、ほとんどかごめが取っちゃって、鳳凰堂さんに回るのは一千億程度になりそうだけど」

「それでも凄い。政府相手なら、適正利潤をみてもらえるからなあ。ゲームマシンじゃ、そうはいかない」

「見積と、最短納期を出せといわれて、ウチの連中、大騒ぎしていたよ」

「ははあ、かごめさんはライン作らなくちゃいけないから大変だね。ウチは、ボードの百万枚くらい、どおってことないし」

「コスト下げれば工業用途も期待できるし、基本は家事をするロボットだから、一般家庭にも売れるんじゃないかね。民生市場は、政府需要の十倍以上の規模があるそうだ」

「まったく。こいつらも大事にしなきゃな」

英二と坊谷をみやる研究員たち。英二と坊谷は、ノートパソコンを片手に、何やら検討に夢中だ。

「今年は奨学生の当り年だ」


石黒と霧崎が密談している。

「兵士に必要なのは、知性ではなく、感性だからな。愛国心、忠誠心、敵に対する怒りや嫌悪感もそうだ。こういったものは理屈では出てこない。統制された感情を持つロボットこそ、最強の兵士になれる筈だ」

「おっしゃるとおりです」と霧崎。

「計画の第一歩は完璧だな」

「はい、スーパーバイザのバイパス手段も確保……」

「それから、サイファープロジェクトには、やはりあいつを加えろ。技術者不足は深刻だ」


第1章 千手
第2章 出会い
第3章 人工知性体
第4章 レイヤの誕生
第5章 レイヤの復活
第6章 レイヤの追跡
第7章 レイヤの篭城
第8章 レイヤの時代