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「ネット敗戦」の犯人は複数

城所岩生氏の9/19付けアゴラ記事「日本のネット敗戦、真犯人は?」へのコメントです。


日本のネット敗戦には、多数の要因が関与しており、その一つだけ取り上げて「こいつが真犯人」みたいな見方をすると本質を見誤ります。

著作権法に関しては、我が国に「フェアユース」の概念がなかったことは新しいものを生み出す余地がないという意味で一つの閉塞的状況を作ってしまいました。しかし、それ以前に、社会のリーダー的立場にある人がネットをはじめとする情報技術の革新性に気付かなかったことが、新しい技術への社会的対応が打てなかった主因であると思います。法など、改正すればよかったのですから。

一方で、技術を扱う側に、法を軽視する精神があった。これは、左翼的なノリでもあるし、国境をまたぐインターネットには国内法は適用されない、などという誤った概念を持つ人たちもいた。これは、スタートアップに際して法律の専門家も巻き込む米国流のやり方とは大いに異なる点でした。まあ、マイクロソフトなどは、これがいきすぎだといった批判もあってMicro$oftなどというaltのニュースグループがあったりいたしました。

これらの他に、社会全体の談合体質があり、企業にも新しいものに踏み出せない体質がある。ソニーなど、音楽配信でアップルと張り合えるだけの駒は十分に持っていたのですが、一方にレコード店を経由しての音楽販売事業を持っており、ネット配信がためらわれた。また、書籍の流通は、関連業界が旧態依然としたやり方でがっちり固まっており、新しいやり方の入り込む余地がほとんどなかったのですね。

結局のところ、それぞれのたこつぼ的領域に視野が限られた人たちが、社会を運営し、新しい技術開発をやっていた、ということでしょう。これは今でもさほど変わらない。幅広い領域を意味する言葉に、「学際」という言葉(国際の横展開かな?)があってその必要性が認識される一方、昔流に言えば「哲学」が知的領域全般を対象としている。幅広い視野は手間がかかる割に報われないという問題があるのですが、大域的なところで間違いをしないために、少しは考えなくちゃいけないのだと思います。

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