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鼻糞の「無意識の知性」の鋭さ

高橋克己氏の8/30付けアゴラ記事「買い溜め騒動で『目くそ鼻くそを笑う』と『耳くそ』が書く」へのコメントです。


政治的な意図をもって不安を煽るのは、あまり宜しくない行為でありますし、これに乗せられて買いだめに走ったりするのはばかげたことであることは言うまでもない。これは、中国韓国に限らず、我が国でも時として見られますので、鼻くそを笑っておればよい、ということにもならないのですね。

こういう意図的なあおりの結果は別として、人は時に「漠たる不安」を感じることがある。その理由はわからないけれど、なんとなくそう感じるときがあるのですね。これは、様々な知覚の総体から、言語化はされていないのだけど、アラームが鳴っているような状態で、こうしたものを感じた時に、人は注意してその原因を探り、問題を言語化する、というわけです。

今回の処理水放出にも、そうしたものを感じる人がいても不思議はない。いろいろと考えますと、ロジックを展開すると、かなり危ない状況なのかもしれない。

つまり、トリチウムを高い濃度で含む処理水も、これを海水で希釈すれば海洋に放出することができるという命題が真であるわけですね。ならば、他の汚染物質を高い濃度で含む未処理水も、十分な量の海水で希釈して規制濃度以下とすれば、これを海洋に放出できることになる。

福島には、大量の汚染水があり、お金をかけて処理しているのだけれど、ひとたび希釈して排出できるとなれば、なぜその処理を継続しなくてはいけないのか。薄めて流すというのが合理的なやり方ではないか、そう考えれば、食塩と言えども安全とは言えない。こういう論理が背景にあるなら、これを笑っていればよいということにもならないような気がいたします。

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