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金澤正由樹氏の11/5付けアゴラ記事「古代史サイエンス④:デジタル地図で邪馬台国の位置が分かるのか?」へのコメントです。

... "邪馬台国畿内説と北九州の繁栄" を続けて読む

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金澤正由樹氏の10/22付けアゴラ記事「古代史サイエンス③:神武東征と日本建国神話は事実なのか?」へのコメントです。(10/31:追記あり)

... "神武東征と記紀と倭人伝の整合" を続けて読む

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八幡和郎氏の8/29付けアゴラ記事「古代における皇位継承に謎などない」へのコメントです。

... "整合させたい記紀と魏志倭人伝" を続けて読む

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宮本暢彦氏の7/8付けアゴラ記事「纏向は崇神に連なる欠史八代の故地である」へのコメントです。

... "卑弥呼の時代は面白い" を続けて読む

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本日は、久方ぶりに書物を読むことといたします。題して「卑弥呼とヤマト王権 (中公選書 134)」、考古学者寺沢薫氏の手になります全430ページの大著です。今回は、「その1」として、前半部分をご紹介することとします。

... "卑弥呼とヤマト王権を読む (1)" を続けて読む

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金澤正由樹氏の11/5付けアゴラ記事「古代史サイエンス:邪馬台国は『日食』で東遷し大和朝廷になったのか? 」へのコメントです。

... "一般名詞としての「やまと」" を続けて読む

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金澤正由樹氏の10/29付けアゴラ記事「古代史サイエンス:魏志倭人伝で邪馬台国の場所は分かるのか?(前編)」へのコメントです。

... "邪馬台国に関するアゴラ記事" を続けて読む

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邪馬台国として人口に膾炙しております3世紀中葉の「倭女王国」最大の危機は、卑弥呼の死後に勃発したと魏志倭人伝が伝えております内乱でしょう。本論は、これまでの「俯瞰:邪馬台国」シリーズと同様、今日に伝わる様々な情報を筆者の想像力で補強して、筋の通る物語の形に組み立ててみることといたします。その蓋然性が高そうであると私が考えていることは確かですけど、事実である保証はない、という点にご注意ください。

... "俯瞰:邪馬台国(その7)王権の継承" を続けて読む

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本稿では、魏志倭人伝に現れた倭国の地名を、現代の地図上へのあてはめることを試みます。

... "俯瞰:邪馬台国(その6)倭人伝の倭国地理" を続けて読む

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このブログでは「俯瞰:邪馬台国」として「その1:邪馬台国の人びと」、「その2:狗奴国」、「その3:大和王権と二人の倭国女王」、「その4:尾張氏と倭国王」を公開してきましたが、今回は出雲に焦点を当ててお話を続けたいと思います。

... "俯瞰:邪馬台国(その5)古代出雲王国" を続けて読む

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前回前々回前々々回に続き、邪馬台国と卑弥呼に関するお話を続けます。本論では、卑弥呼らの巫女の擁立に尾張氏が深くかかわっていたものとする、私の考えを述べさせていただきますが、これはあくまで私論であって、広く認められたものではないことをあらかじめお断りしておきます。

... "俯瞰:邪馬台国(その4)尾張氏と倭国王" を続けて読む

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前回は「邪馬台国の人びと」をご紹介いたしましたが、今回は狗奴国について議論いたします。なおこの議論は、本ブログの昔のエントリーで行ったものをさらに進化させたものです。

... "俯瞰:邪馬台国(その2)狗奴国" を続けて読む

このブログでは過去にいくつか卑弥呼と邪馬台国関連の記事を書いてきましたが、改めてまとめておくこととします。ここで「俯瞰」という言葉を表題の先頭に置きましたのは、これまでの邪馬台国論が細部を追求する傾向が強いのに対し、本稿では全体的大局的な見地から議論したいという姿勢を示したものです。

... "俯瞰:邪馬台国(その1)邪馬台国の人びと" を続けて読む

以前のブログで、

倭人条で陳寿は邪馬台国の位置を「計其道里、當在會稽、東治之東」つまり「その道里を計るにまさに会稽東治の東にあり」としております。會稽は夏朝の禹のゆかりの地で、東夷に礼の伝わるは禹の徳政のゆえである、と陳寿はしたかったのではないでしょうか。會稽は上海の南に位置し、その東は沖縄ないし屋久島あたりに相当します。魏使はおそらくは正確な邪馬台国の位置を報告書に記述したのでしょうが、陳寿はこれを彼が理想とする位置に置くため、方位と距離に修正を加えたのではなかろうか、というのが私の考えるところです。

などと書いたのですが、陳寿が邪馬台国の位置を沖縄付近としたのは魏略に従ったのかもしれません。ここには次のような記述があります。 ... "三国志魏書東夷伝における邪馬台国の位置の問題、再論" を続けて読む

本日は、内容がぶっ飛んでおりますトンデモ本ではありますが、参考になる内容を含んでおります金容雲著「『日本=百済』説」を読むことといたしましょう。 ... "トンデモ本だが示唆はある金容雲著「『日本=百済』説」を読む" を続けて読む

本ブログでは三国志倭人条に描かれました卑弥呼の時代の倭国と、記紀の記述を突き合わせ、当時のわが国で何が起こったかを推理してまいりましたが、肝心なことを一つ書き忘れておりました。それは、崇神天皇は何者であるのかということ、そして纒向の地にあります巨大墳墓、箸墓古墳と卑弥呼との関係です。本日はこのうちの、崇神天皇の置かれました状況について考えてみることといたします。 ... "邪馬台国への東征" を続けて読む

以前のブログで我が国の古代史について多少述べたのですが、いろいろと気になることもありましたので、先週磯城纏向の里を訪ね、卑弥呼の昔に思いをはせてまいりました。

訪れましたところは、まずは唐古鍵遺跡とその資料館、桜井市の埋蔵文化財センター、箸墓古墳、勝山古墳、そして、崇神、景行陵です。暑い日ではありましたが、曼珠沙華の咲き乱れる農道を自転車で走るのは快適でした。

現地の状況につきましては、ネット上にもさまざまな情報があふれており、ここで改めてご紹介する意味もあまりないと思います。そこでここでは、この地で何が起こったかということについて、私の感じたこと(独断によります推理)をご紹介したいと思います。 ... "磯城纏向の里で思うこと" を続けて読む

民族やナショナリズムをめぐっては、このブログでも8月の記事で姜(カン)氏と森巣氏の「ナショナリズムの克服」を読んだり、6月の記事では小熊英二氏の「単一民族神話の起源」を読んだりしております。 ... "わが意を得たり。塩川仲明著の「民族とネイション」" を続けて読む

明るさを増す空の下、周囲の山間に烟る霧雨が雲のように見えます。

昨夜からかなりの雨が降ったとかで、内宮参道の玉砂利も、うっそうと茂る木々の葉も、埃を流して瑞々しい。二十分もそうして歩いて正宮を拝むと、一陣の風が眼前の布を吹き上げ、本殿がちらりと見えるのもあり難い。いかにも良い事がありそうな、伊勢参りでした。 ... "雨の晴れ行く伊勢神宮、、、" を続けて読む