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このエントリーは、ご機嫌な歌の備忘録的に書いたものです。さて、この歌詞、一体どういう意味でしょう。なんとなくニーチェの「永劫回帰」を彷彿させるのですが、、、

... "All My Life’s A Circle" を続けて読む

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毎年恒例の相場を読むです。なかなか難しい展開となっておりますが、振り返ってみればそこそこの結果と自負しております。とはいえ、本年の読みは「不透明」、これではあたったところでえばれません。

... "相場を読む:2022&2023" を続けて読む

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昨日朝の写真です。海岸の砂がすっかりなくなってしまったという話を聞いて、みてきました。ひどいものです。昔は数十メートルの砂浜があったはず。まあでも、江の島、富士山の景色はそのまま。あたりまえですが。

... "稲村ケ崎、江の島、富士山" を続けて読む

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高梨雄介氏の8/14付けアゴラ記事「日本に法治は根付くのか:ガーシー氏の話に思う」へのコメントです。

... "国会議員が国外逃亡しちゃダメ" を続けて読む

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ロシアに対する経済制裁は、ロシアから購入している天然ガスをどうするか、という問題を一方に生じています。これはこれで、難しい問題となっております。さて、これに、いかが対応すべきでしょうか?

... "どうする、エネルギー" を続けて読む

WordPressには、アクセスを集めている記事の上位30ページを集計する機能があります。32%ともっともアクセスを集めているのがトップページなのは当たり前の話かもしれませんけど、長きにわたって3-4%付近のアクセスを集めて第2位となっているエントリーが「虚数時間の物理学:ローレンツ変換とミンコフスキー空間」です。これ、2016年11月の記事で、5年も前の記事なのですね。あれから長い時間もたったことですし、本日は多少の時間もとれますことから、このあたりで、多少の解説を追加しておくこととします。(本エントリーは、1/6付け「ローレンツ変換と天動説」、1/12改題「虚数時間とファインマン氏の憂鬱」を改めて投稿するものです)

... "虚数時間とファインマン氏の憂鬱" を続けて読む

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最後に重要な修正ありMechaAG氏のページはイケハヤ批判もありましたのでちょくちょくのぞいているのですが、最近ははずれが多いのが玉に瑕。でも、モンティ・ホール問題に関するエントリーは、少々面白い話題ですので、取り上げてみましょう。

... "モンティ・ホール問題" を続けて読む

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MechaAG氏の記事に触発されて須賀原洋行著「現象学の理念(原作:フッサール)」を読んでみました。内容の正しい紹介でもなければ、フッサールの主張の解説でもないことをあらかじめお断りしたうえで、以下、いくつかのポイントについて、私の感じたことを書いておくことといたしましょう。

... "須賀原洋行著「現象学の理念(原作:フッサール)」を読む" を続けて読む

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レイヤ7という「実験的SF小説」を固定ページ「オリジナル文書」に置いているのですが、表示が広がってしまい非常に読みにくいため、WordPressの一般の文書表示の形に変更しました。

... "レイヤ7をWordPress版に改編" を続けて読む

これまで「哲学・思想・自然」のカテゴリーでいろいろと書いてきましたが、およそ、収斂してきたといいますか、全体像が見えてきたように思われますので、このあたりで纏めに入ろうかと考えております。 ... "構想:フィジックスとメタフィジックス" を続けて読む

MechaAG氏のブログは、イケハヤウォッチの一環として毎日チェックしているのですが、最近の記事で、「哲学ってあまり「客観」という概念を扱わないんですかね。」と悩んでおられます。本ブログでは、これまでに「客観」について何度か議論してきましたが、ここで簡単にまとめておきます。 ... "客観再論" を続けて読む

前回に続き、ニュートン著「プリンシピア」の第1巻に記されたニュートンの絶対時空に対する考えをご紹介し、今日的な観点からこれに批判を加えてまいります。時間につきましては前回ご紹介しましたので、今回は空間について議論いたします。 ... "ニュートンの「プリンシピア」における絶対空間" を続けて読む

本日はニュートン著「プリンシピア」の第1巻から、ニュートンの絶対時空に対する考えを読み解き、今日的な観点からこれに批判を加えたいと思います。このエントリーでは、まず、時間について議論しましょう。 ... "ニュートンの「プリンシピア」における絶対時間" を続けて読む

先日のこのブログで、デカルトの「エゴ・コギト・エルゴ・スム」はトートロジーだ、なんてことを書いてしまったのですが、もしかするとこれはもっと意味のある論理だったかも知れません。ここでは、この点に関して、少し考えてみましょう。 ... "コギトの論理、再考" を続けて読む

この話題に関しては、これまでもいろいろと書いてまいりましたが、このあたりで簡単にまとめておきましょう。なお、本稿は、少しずつ書き足していくこととします。 ... "コギトと意味論的あるいは語用論的前提" を続けて読む

イケハヤ師に関しては、うおっち!イケハヤ師とその界隈で追いかけておりましたが、エントリーが2万字以上となりましたので、除草剤以後の話題を新たなエントリーといたします。なお、日経著作権問題以降は、こちらで扱います。

こちらも前エントリーと同様に、日々情報を追加し、修正してまいります。データベース的にお使いください。なお、最新の情報へのアクセスに配慮して、日々の情報を前半に、除草剤関連の話題は後半に移しております。 ... "ウォッチ!イケハヤ(4)除草剤以後" を続けて読む

本日は、トーマス・クーンの「科学革命の構造」を読むことといたします。英語版はこちらです。

なぜこんな古い本(1971年の出版)を読むかといいますと、時間を虚数として扱うミンコフスキーのやり方が、実は優れているのではないかとの疑問を持ち、こちらのエントリーにまとめを行っております。しかし、この問題は、以前のエントリー「虚数時間と地動説」で述べましたように、単に一つの学説をどうこうする問う問題以上の、学問の枠組みを変えてしまうような話であるようにも思えます。

このような問題は、クーンが「パラダイム」と呼んだものであり、この問題に取り組むヒントを探るため、まずは、クーンの問題の書を読むこととした次第です。 ... "トーマス・クーンの「科学革命の構造」を読む" を続けて読む

最近、虚数時間のまとめ記事「虚数時間の物理学:ローレンツ変換とミンコフスキー空間」に、虚数時間を使わないやり方では、テンソル表記を基底ベクトルから説明する際に問題が生じるのではないか、という旨の追記をしたのですが、本日はこの問題について解説をいたします。 ... "テンソルによるベクトルの数値表現と虚数時間" を続けて読む

先日のこのブログ「筒井康隆著『誰にもわかるハイデガー』を読む」で、筒井康隆氏をほったらかしにして木田元氏の「ハイデガー『存在と時間』の構築」を読んでしまったのですが、私が同書を読んだのはずいぶんと以前の話で、記憶も怪しいということで、この本を読みなおすことといたしました。

前回読んだときは、ハイデガーが「存在と時間」のベースとした思想について、簡単にご紹介したのですが、今回は、「存在と時間」の未完部分の主要課題であります「本質存在」と「事実存在」にフォーカスして議論することといたします。 ... "木田元著「ハイデガー『存在と時間』の構築」再読" を続けて読む

本日は、筒井康隆著「文学部唯野教授・最終講義:誰にもわかるハイデガー」を読むことといたします。

読みは致しましたが、あまり論評することがありません。そこで、同書の簡単なご紹介と、ハイデガーの哲学について、以前もご紹介した木田元氏の「ハイデガー『存在と時間』の構築」を参照しながら、私の意見を述べることといたします。 ... "筒井康隆著「誰にもわかるハイデガー」を読む" を続けて読む

このブログでは、アニメとラノベなどというカテゴリーを設ける一方で、鈴木大拙師の禅の思想について種々語ってまいりました。

ですから、鈴木敏夫氏の書かれた「禅とジブリ」などという書物を見かければ買わないわけにもいきません。

本日はこの書物について簡単にご紹介することといたします。 ... "鈴木敏夫著「禅とジブリ」を読む" を続けて読む

本日は、最近の書物であります三田 一郎「科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで」を読むことといたします。この本、本年6月の出版ですけど、すでに第3刷となっております。つまり、売れている、ということですね。 ... "三田 一郎「科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで」を読む" を続けて読む

先日のこのブログ「『アメリカの大学生が自由意志と科学について語るようです』を読む」で、「世界に対する基本認識をカント式のものに切り替えていくことが必要なのではないかと、私は考えております。そしてそれは、物理学からの要請ともなるのではないか」などと書いたのですが、本日は少し時間ができましたので、これについて書いておきます。 ... "カント式の世界認識と物理学" を続けて読む

本日はアルフレッド・ミーリー著「アメリカの大学生が自由意志と科学について語るようです」を読むことといたします。 ... "「アメリカの大学生が自由意志と科学について語るようです」を読む" を続けて読む

「ポール・ブルーム著『反共感論/社会はいかに判断を誤るか』を読む」と題する先日のエントリーで、共感力の種々の問題点についてご紹介しました。一方で、「天才を殺す凡人と、これからの経営」と題する以前のエントリーで、共感は凡人の尺度であり、市場に受け入れられるためには凡人の共感を獲得しなければならない、としております。共感に関するこの矛盾した状況につきまして、本日は考察することといたします。 ... "悪魔のささやき? 共感力" を続けて読む

本日は、比較的新しい書物でありますポール・ブルーム著「反共感論/社会はいかに判断を誤るか」を読むことといたしましょう。 ... "ポール・ブルーム著「反共感論/社会はいかに判断を誤るか」を読む" を続けて読む