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「日本版(ダメダメ)」返上の道

山田肇氏の2/21付けアゴラ記事「ライドシェアに『日本版』と付ける怪しさ」へのコメントです。


「日本版」宜しいのではないでしょうか。「友」と書いて「ライバル」と読む伝でいけば「日本版」と書いて「ダメダメ」と読むことになるのでしょう。

なぜこんなことになるかといえば、企画立案の任にある人が無能であるが故としか言いようがない。無能であることは、まあ、良いとしても(あまり良くはないのだが)、さらに大きな問題は、この手の人たちがおのれの無能さに気付いていないことなのですね。

昔の「ネギま」というコミックに、武道大会に敗れて落ち込むサブキャラ(2003年 6月21日(土)の項)に「なに、また修行すればよい」といい、「俺、弱いのかなあ」との弱音に対して「弱いから修行するでござる」と返す楓(女忍者)をみて、何ともすごい漫画であることよなあ、と感じたことがありました。

会社生活の場でも、有能な人ほど、己の無能さを認識していて、本を読んだり、他人に質問したりするのですね。一方、果てしなく無能な人は、本も読まなければ勉強もしない。それでいて、全てがわかっているようなことを言う。どうしようもありません。

こんなことはソクラテスも語っておりました。あえてこれをセリフにすれば「汝、己の知らざるを知れ」ということ。「無知の知」という奴です。日本の再生は、まず指導的立場にある人が己の無知に気付くこと。これは決してその人たちが無能だということではなく、己の無知に気付くほど有能であることを証明しているのですね。頑張ってください。

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