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大事なのは、理性とは別の知性

内藤忍氏の8/18付けアゴラ記事「成功に必要なのは『頭の良さ』より『馬鹿になる』こと」へのコメントです。


あまり考えてはいけないという教えの古いところでは、西暦1212年に法然和尚が著わした一枚起請文があるのではないでしょうか。その重要な部分は次のところでしょう。

もろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。…この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候(そうろ)うべし。

法然も親鸞も、流配されたことがあるのですが、その田舎の地で京都五山では学べない真実に気付く。頭で考えるような言語化、概念化したもの以前に、五感に触れる生の現実があるということ。それから500年ほど経って、同じようなことにカントが気づき、「純粋理性批判(上) (中) (下)」を著わすのですね。

言語化以前の情報は、じつは人の脳の中で大量に処理されている。これを重視したのがOODAで、最初の二段階、Observe(観察)とOrient(状況判断)は、理性以前の知性を働かせなくてはいけない。そこがPDCAの最初の段階Planを理性的に行うのとは対照的なのですね。

そういえば、長嶋茂雄氏の語るところの「いわゆる一つの動物的勘」という奴も同じだと思います。こんなことを昭和の時代に実践していた人もいた。まあ、その「勘」をつかみ取るところまでが大変だと思いますけど。

似たようなことは優れた研究者、経営者も実践している。江崎玲於奈氏の「テイスト」書物はこちら)とか、石井淳蔵氏がその著「ビジネス・インサイト」の中で書かれた何人かの名経営者などもそうですね。この人たちがバカだなんて、口が裂けても言えませんけど、理性以外の才能を発揮している、これは確かです。

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