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寛容さを失いつつある米国社会

アゴラ編集部の10/12付けアゴラ記事「ハーバード大学の学生団体がハマスの攻撃は『全てイスラエルに責任がある』と非難」へのコメントです。


オリエンタリズム」という名著があって、中東情勢を語る際には押さえておきたい一冊でもあります。この本の著者エドワード・W・サイード氏はイスラエル生まれのパレスチナ人なのですね。そして、訳者あとがきによれば、「カイロで教育を受けた後米国にわたり、1970年からコロンビア大学の教授を務める親PLO派知識人の一人」と。

ここまで読んだときに思ったことは、米国の懐の深さです。当時のPLOは武闘派で、イスラエルを支持する米国の政策とは全く相反する勢力だったのですが、その支持者であるサイード氏を米国社会は受け入れている。日本で言えば、鈴木宗男氏をどこぞの大学が教授に招へいするような話です。

本来、民主主義というものは、異なる意見を尊重するもの。生物界で遺伝子の多様性を維持するような話で、絶滅危惧種的思想も尊重しなくちゃいけない。奇貨居くべし、なのですね。

それが、寛容性を失いつつあり、人々の思想を一色に染める方向に動き出すような気配がある。これって、かつてフランスの建築家にして思想家のポール・ヴィリリオが、「電子的コミュニケーションは、その速度の故に民主主義を破壊する」と語った危惧が、まさに現前に起こりつつあるようにも見えます。

ここでヴィリリオが語った「電子的コミュニケーション」はテレビを念頭に置いてのことなのですが、SNSその他のデジタル情報ネットワークもその例外ではない。さらに度を増しているといってもいいでしょう。そしてここでハーバードに苦言を呈したCEOの中に、これら情報関連企業の名がちらほら見えることも、少々危ない時代を感じさせます。私がこの学生の主張を支持するわけではないのですけどね。

1 thoughts on “寛容さを失いつつある米国社会

  1. MITSUNORI MINOSHIMA

    全く困った連中だよ。
    誰が…誰でしょう。

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