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すべてを遅くという天才的政策

倉沢良弦氏の10/27付けアゴラ記事「国民のイライラを解消する解散総選挙はいつか?」へのコメントです。


実質賃金を上げよという主張は、賃金をもらう立場からは当然の主張ではあるのですが、それが果たして持続可能かどうかという点も考えなくてはいけません。

1980年ごろの日本は、電機、自動車といった国内の産業が圧倒的な国際競争力を持ち、その輸出は「集中豪雨的」などとも形容されるように、他国にとってはある種の災害とみなされるほどでした。だから、日本人の給与も右肩上がりに上がる、これは無理のない話なのですね。ところが、1985年のプラザ合意以降、急速に円高が進む。1ドル200-250円のレベルが、1ドル100-120円のレベルに、円の価値が倍増してしまいます。これで、我が国の産業の国際競争力は大きく削がれ、工場の海外移転も進むことになる。

しかし、賃金は下方硬直性があり、ドル円が半分になったから即1/2に賃下げになるわけでもない。ドルベースの賃金は二倍になる。国際的にみたら濡れ手に泡の高賃金となってしまった。その一方で、米国発の情報革命をモノにすることができず、我が国のGDPは、1995年以降、ほとんど伸びていないのですね。

この、稼ぎが伸びないという問題を放置して、賃金が伸びないことばかりに注目しての賃上げを主張することは、賃金をもらうサイドから見れば当然のことかもしれないけれど、一国の経済政策としては成り立たない。このような声に押されて政策を間違い、バラマキに走ると、かつてのギリシャや最近のアルゼンチンのようになってしまう。

ならばどうするか。【すべてが遅い】、これは一つの現実的な手段かもしれない。つまり、時間を稼いでいる間に、稼ぎを伸ばす政策も展開する。まあ、岸田政権がこういうことをきちんと考えているかどうかはわかりませんけど、もしかすると、天才的な政治家であるのかもしれません。(希望的観測)

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