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人工知能に暴かれる仕事の価値

アゴラブックレビューの10/11付けアゴラ記事「人工知能は誰の仕事を奪うのか?:『生成AIは電気羊の夢を見るか?』」へのコメントです。


新しい技術というものは、導入直後にはいろいろとトラブルを起こすものです。AIだってその例外ではない、ということでしょう。この手の問題はいずれ解決されるはずなのですが、次の記述を読みますと、問題は人間の側にありそうです。

ゴールドマン・サックスの推定によれば、高給取りを中心に就業者の約4分の1が人員整理の対象になる一方、今後世界GDPは生成AIがなかった場合より約7%高くなるそうです。その中であげられている人員削減の恐れが少ない業種が今後の職業選択の方向性を占っているようです。

この「高給取り」のしていた仕事が「紋切り型の知的ではない仕事」だった、ということですね。こりゃ最初から「高給」に値しない仕事だったということではないですか。じゃ何で高給をとることができたかといえば、試験を突破したり、人間関係をうまく構築したりする能力に優れていた、ということなのでしょう。

業務を紋切り型にするというのは、じつは経営学の一つの目標であり、1970年代の経営学者は、企業経営を様々な数値で診断することに注力した。「XX比」などの形で数値化し、目標を掲げる、というやり方ですね。生産部門には、「生産コスト低下」を要求し、販売部門には「売上向上」を要求する。それぞれ具体的数値を掲げて尻を叩く。無能な経営者でもこれならできるわけですね。

ところが、1980年代になると、これではうまくいかないことがわかってきた。数値、論理を重視しない日本的経営にしてやられた。そこで出てきたのが「クオリティ」に代表される感性的評価軸だったのですね。で、顧客満足度とか、ブランドイメージだとか、バリューだとかが国際的にも重視されるようになった。

ところが不幸なことに、日本では逆の方向に進んでしまった。当時の金融危機は「取得価額」を簿価としており、一見立派なバランスシートも、じつは売るに売れない不良資産。これを時価評価する「グローバル・スタンダード」への切り替えが進んだ。その時、日本の優れたやり方から数値基準へと移行したのは大失敗でした。それをAIが正してくれるなら、これはまあ、良いことであるのかもしれません。

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