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大発見はどのように生まれるか

森本紀行氏の3/5付けアゴラ記事「遊んでいると偶然に成果が生まれる」へのコメントです。


偶然が生み出した大成果といえば、ケクレのベンゼン環の発見や、アルキメデスの浮力の発見が引き合いに出されます。

前者は、炭素と水素が1:1である化合物の構造を、炭素の六員環と6つの水素から成るものと見出した発見ですが、蛇が互いの尻尾に噛みついて回りだした白日夢を見て思いついたというのですね。そして後者は、風呂に入ってあふれ出す湯を見て、体積の測定法を見出し浮力の発見につながった、としております。

もちろんこれらは大発見の経緯を面白おかしく語ったフィクションなのかもしれませんけど、論理的な思考の結果として見出したのではなく、そこに何らかの論理の跳躍、いわゆる「ひらめき」があったことを示唆いたします。

なぜこのひらめきが生じたかとの問いは、創造的な開発環境を作るうえで重要だし、人の思考様式を探るうえでも大事な問いでしょう。よく言われることは、第一に彼らが対象領域に対する十分な知識を持つ人物であったこと、第二に四六時中問題解決を考えていたこと、そして、第三にその中でも(昼寝や入浴という)精神的に解放された時に着想が生まれる、という点です。

そして、このエントリーとの絡みでもう一つ言えば、たしかにそれは強制されてのものではない。ケクレの場合は研究開発レースがあっただろうし、アルキメデスの場合は王の命令(要望?)があった。だけどそれらは自らに苦行を強いるようなものではなく、ケクレは開発レースに参加する己の力量を意識して(そして勝つチャンスも認識して)いただろうし、アルキメデスは、王がおのれの力量を評価していると意識していただろうということ。それにきっちり答えてやろうというのが、つまりは、研究者の美意識、というわけなのですね。この手の美意識は、結構、人を強く致します。

1 thoughts on “大発見はどのように生まれるか

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