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宇宙人に会わせるべき人は

長谷川良氏の9/26付けアゴラ記事「NASAが神学者を雇用する時:説明できないものは多く存在する」へのコメントです。


神が「光あれ」という前に、「はじめに言葉ありき」と聖なる書物には書かれております。これ、どうやら誤訳で、ギリシャ語の”Εν αρχηι ην ο Λόγος(エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)”のアルケーは、宇宙の始原なのですが、ロゴスは言葉というよりも論理、原理なのですね。

つまりは、物理法則が最初に存在したからビッグバンも起こるのだ、という意味で、まことにごもっともなお話、さすがは大ベストセラーの書き出しではあります。読んだことないけど。

でもカントは、人はもの自体を知り得ない、死後の世界も、神のことも知り得ないのだと主張します。人が知り得るのは己の認識したもの(=表象)だけ。これは今日の脳科学の教えるところでもあります。これを「カントは神の首を切り落とす」とハイネが表現したわけです。

では何が最初にあったのか。これはサルトルの言葉が本質をついていると思います。「実存は本質に先立つ」、まず己があって、それが物理法則を知り、ありとあらゆる論理を理解していくのですね。これが現象学の基本なのですが、これは、あたり前の話ともいえます。で、その理解の仕方は、おのれの生まれ育った社会によると、構造主義は教えます。

レヴィ・ストロースは、アマゾンの奥地の裸族の社会で、裸で抱き合う夫婦の写真を撮ったり、陰茎鞘のコレクションをしながらそういう結論に到達する(悲しき熱帯(1)悲しき熱帯(2))。これも相当にエキセントリックな研究ですが、異星人と会うときには、神学者などより、文化人類学者を連れて行った方が良いと思いますよ。なにぶん、この手のことには慣れておりますから。

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