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著作権は事実でなく表現に働く

中村仁氏の6/12付けアゴラ記事「池上彰氏もChatGPTも著作権侵害を気にしない点で似る」へのコメントです。


池上氏は番組制作チームを使って、幅広く情報源、文献にから材料、データを集め、ストーリーを作り、上手に話す。池上氏はどこから情報やデータを集めたかいちいち言わない。厳密にいうと、フェアではない。

著作権が保護するのは、「表現」の部分であって「事実」ではありません。だから、上でいう「材料、データ」が『他人が書いた文章』であれば著作権が働くのですが『他人が紹介した事実』であるなら、著作権とは無縁なのですね。

だから、ChatGPTの場合も、様々なコンテンツを事実関係にまで抽象化して、独自に文章を生成しているなら著作権とは無縁になるのですが、文章そのものを加工している場合は、生成物は二次著作ということになり、著作権が働いてしまいます。

表現か事実(ストーリー)かが問題となる例に近い事件として「私は貝になりたい事件」が有名です。このドラマ、原作者が語ったストーリーを無断でドラマ化したため、著作権侵害に問われたのですが、ストーリー(アイデア)には著作権が働かないということで、侵害は認められなかったのですね。

池上氏が著作権を侵害しているということであれば、他者の表現との一致度を問題にすべきであって、単なるデータの使用を問うても始まらない。このあたりは、著作権とはそもそも何かという法思想から押さえていかなくてはいけません。

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