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変わりゆく日本文化と米国文化

岡本裕明氏の10/1付けアゴラ記事「今の若者がかわいそうな理由:『我慢も出来ない』と責めてはいけない」へのコメントです。(なんか、出て行っていない様子です。明日改めてトライしましょう。出し直しました。)


> 私がアメリカに初めて行った1980年。自由の国、アメリカの象徴を感じました。ニューヨークは人種のメルトポット、「アメリカン」という強いアイデンティティと愛国精神を強烈に植え付けられました。90年代、そのアメリカで仕事をしていた時、アメリカに長く住む日系アメリカ人の言動は駐在員として赴任していた私と明らかに別人種でした。「アメリカナイズ」されている、です。「郷に入れば郷に従え」を忠実に守り、アメリカの圧倒的強さを感じたものです。

文化というものは、固定的な死んだ存在ではなく、常に変化を続ける「生きた」存在なのですね。で、1980年代から90年代にかけてという時代は、米国文化が、特に、経営学の世界で、大きな変動が起こりつつある時代でした。もちろん、変化する時代の例にもれず、変化する人や企業もあれば、変化しない、旧態依然とした人や企業もある。そういう面白い時代でした。

1979年は、二つの書物が象徴的でした。一つはエズラ・ヴォーゲルの「ジャパンアズナンバーワン」、もう一つがフランソワ・リオタールの「ポストモダンの条件」です。前者は、70年代に急成長した日本の産業の謎を明かして米国企業への処方箋を示した書物、後者は、西欧文明中心と考えられていたこれまでの考え方を否定して、多文化並存の時代に入ったことを宣言しました。

この時代の経営学の特徴は、これまでの言語や数値で表される理性的論理的な指標に代わって、顧客満足度やブランドイメージ、企業の「ヴァリュー」つまり社会にとっての存在価値といった、理性以外の精神的価値を重視する方向に移りつつあったのですね。その一つのキーワードは「品質、クオリティ」でした。でも、これと裏腹に、日本は数値指標重視に行ってしまった。これは少々おかしな話ではありました。

最近、イーロンマスク氏の伝記が出版されて本屋に平積みになっております。この本、分厚い二巻本なのですがなんか内容が薄い。まるでChatGPTの出力みたいな。それは良いのですが、その中に「なぜと5回訊け」などという言葉を見つけてうれしくなりました。趣旨はだいぶ違うようですが。いずれにいたしましても、この時代に日本は米国に成長のバトンを渡した。そして米国が成長路線をひた走る一方、日本は一休みすることになった、ということでしょう。この一休み、30年は少々長すぎるように思いますが。

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